光彩の瞬間 -7-






「快斗、具合はどうだ?」
 夕食の後、『海渡』は部屋へ戻る快斗を呼び止めて、そう聞いた。
 快斗の右手には、痛々しい白い包帯が巻かれている。
「大丈夫……」
「そっか……」
『海渡』は心から安心したように、ホッとした笑顔を見せた。
「けど、快斗の腕ならあっという間に勝負ついたんじゃねーの?」
「まぁね。けど、それじゃあせっかく集まってくれたギャラリーの皆さんに申し訳ないじゃない?」
 平然と言ってのける快斗に、『海渡』はプッと吹き出した。
「なんで笑うかなぁ〜。俺はマジシャンだよ? お客様に奇跡を見せるのが仕事なの!」
「ゴメンゴメン! なんかお前らしくて」
 腹を抱えて『海渡』は笑いつづける。
「なぁ、ちょっと外に出ないか?」
 ようやく笑うのを止めたかと思えば、『海渡』は唐突にそう言い出した。
「外? いいけど……何?」
「ちょっとな……。お前に見せたいトコあるんだ」
 こんな何もないような場所で夜、何をしようと言うのかわからないが、快斗は黙って『彼』の後について行った。





















 月明かりと僅かな街灯だけが、夜の山道を照らしている。
 隣を歩く『彼』の顔も、月明かりに白く映えて、とても綺麗だ。
(記憶……、まだ戻ってないみたいだな……)
 さきほどの『海渡』の笑顔を見て、快斗はそう思う。
 新一の記憶があれば、『彼』があんな柔らかな笑みを自分に向けてくれることなどないだろうから。
 いま快斗は、何よりも『彼』の記憶が戻ることを怖れていた。
 再び『彼』を失うことを……。






 一年前に快斗が新一を殺めて、安寧だったわけではない。
 好敵手を失って、怪盗キッドとしての安全は守られたけど、快斗の心には大きな穴がポッカリと空いていた。
 失った存在の大きさ。
 暖かい肌の温もり。
 心の安らぎ。
 楽しいお喋りと、笑い声。
 組織もパンドラも忘れて二人で過ごした日々。
 それら全てを代償にしてまで、『怪盗キッド』でいる必要があったのか。
 あの―――新一の背中を押した―――夜から、快斗には心休まる時などなかった。
 深い悔恨と哀しみに快斗の日々は包まれていたのだ。

(新一……、愛してる……。愛してるんだ、いまでも。ずっとお前だけを……)

 忌まわしい自分の手に快斗は目を落とした。
 この手が新一の背を押したのだ。
 この手で新一を殺そうとしたのだ。
 この手が全てを壊したのだ。
 そんな忌まわしい手に、夢を紡ぎだすマジックができる訳がない。
 新一が好きだと言ってくれたマジックだから。
 マジシャンとして成功することが、新一に対する贖罪。
 そう思ってここまでやってきたけれど。
 それは自分を誤魔化すことでしかなかったのかもしれない。
 この汚れた手で掴むものは、全て汚れたものでしかないのだ。
 新一を汚す訳にはいかないのだ。
 あの、崇高で綺麗な蒼い瞳を。






「やっぱり痛むのか?」
 黙りこんだまま、自分の手を見つづける快斗を心配したのか、『海渡』が覗き込んでくる。
「あ、ゴメン。別にそういう訳じゃないから」
 溺れかけていた自分の思考から這い上がって、快斗は顔を上げた。
 眼前に、大きな月が飛び込んでくる。
「あ……」
「いいだろ? ここの景色」
 鬱蒼と生い茂っていた森が開け、波飛沫が夜光虫に光る海が遠くに見える。
 空にかかった丸い月を背に、『彼』が微笑む。
「……うん。すごく綺麗」
 快斗は新一の背中を見ていた。
 重なる情景。
 月と、海と、切り立った崖……。
 そして、『彼』。
 違うのは、崖の下が海ではなく、硬いアスファルトの道であることだけ。
 いま、この背中を押せば、新一の記憶が戻ることはない……。
(何考えてんだ、俺はッ! 二度と失いたくないのに……!)
 でも、『彼』の記憶が戻ったら……?
 今度こそ、彼は自分を逮捕するだろう。
 そして、彼は自分の手の届かないところに行ってしまう。
 誰かを好きになって……、ひょっとしたら結婚したりするかもしれない。
 自分の物でない彼に、激しく心が騒ぐ。
(イヤだッ! そんな新一を見るくらいなら……)

 自分の心の中だけに彼を……。

「いいぜ?」
「え?」
 小さく呟かれた言葉は、快斗の耳には聞こえなかった。
『彼』は振り向くことなく、海に向かって言う。

「背中を押したきゃ押せばいい、って言ったんだ」

―――……え?

「困るんだろ? 俺がいたら……」

―――……まさか?

「工藤新一が生きてたら……」

―――――!!!

 振り向いた彼の瞳は紛れも無い真実を見据える蒼。
 快斗は絶望と歓喜を同時に味わい、天を振り仰いだ。
「それとも自分で飛び降りた方がいいか?」
 新一は本気でガードレールを乗り越えていた。
「やめてッ!」
 快斗は慌てて新一にしがみついた。
「やめて、新一! お願いだからやめて!」
 快斗は新一の身体を強引に引き寄せる。
 二人して地面へと倒れ込んだ。






 快斗はギュウッと新一の身体を抱き締めて、決して放そうとはしなかった。
「しんいち……。いつ……? いつ、記憶が戻った?」
 地面に横たわったまま、新一の身体を抱き締めて、快斗は尋いた。
「……今日。ほんの数時間前だよ」
 新一も快斗がしたいようにさせている。
「……そっか」
 快斗は新一の身体をそっと放すと、身体を起こして両手を揃えて前に突き出した。
「かいと?」
「俺を逮捕するんだろ?」
 快斗は俯いたままで新一の顔を見ようとはしない。
 だから、新一がキョトンとした顔をしてるのに気付かなかった。
「逮捕? 快斗を? なんで?」
「なんで……って、俺は怪盗キッドだったんだよ? 知ってるでしょ? 一年前、新一だって見たじゃないか! それに……、それに俺は新一を殺そうとしたッ!」
 新一はフーッと溜息をついた。
「このバカイト……」
 新一は快斗の胸倉を掴むと、噛み付くようなキスをした。
 一年ぶりに感じる柔らかな唇の感触。
 与えられる唾液の甘さに酔い痴れそうになる。
「んっ……、しんい…ち……」
 温もりが離れて、変わりに冷たい蒼が快斗の言葉を塞ぐ。
「快斗。お前の望むようにしてやる。お前はどうして欲しい?」
 何を言われているのかわからない。
「お前が俺の命を望むなら、何度だってくれてやる。お前が俺の記憶を望むなら、俺は『工藤新一』を封印して『城之内海渡』として生きていく。お前は俺に何を望む?」
「しんい…ち……?」
 頭が混乱する。
 彼は探偵なのに。
 なぜ、自分を捕まえようとしない……?
「まだ、わからないのか? いいか? 俺が知ってる怪盗キッドは、オメェのようなバカじゃねぇ。恐ろしく頭の切れるヤツだよ。よって、お前は怪盗キッドじゃねぇ。それになんだって? 工藤新一を殺した? 俺はあの時、マヌケにも足を滑らせて海に落ちた挙句、記憶を失って一年もの間『城之内海渡』って名で暮らしていた。わかったかッ!」
 新一があの時怪盗キッドの素顔を見たのは確かで。
 間違いなく自分が新一を突き落として。
 怪盗キッドと黒羽快斗がイコールだと知る唯一の人で。
 つまり、それでも自分を愛してくれていると……?
「新一、ゴメン……。ゴメンね、新一……」
 快斗は項垂れて、絞り出すような声で、何度も詫びる。
 けれど、新一の瞳はまだ強く快斗を射抜く。
 身体を揺さぶって、その顔を上げさせ、視線を反らすことを許さない。 
「快斗、答えろ。お前は俺に何を望む?」
 快斗の眦から、光るものが零れ落ちる。
「傍に……、ずっと傍にいさせて……?」
 新一は、快斗の胸倉を掴んでいた手をようやく緩めて、柔らかに微笑んだ。
「傍にいろ。ずっと、俺の傍に……」
「うん、いる。ずっと、新一の傍に……」
 泣き縋る快斗の 頭を抱え。
 そして見つめ合って。
 いま再び巡り会った恋人達は唇を重ねた。
 






一番、書きたかったシーンです。やっと、ここまできたよ〜。
前回とは大違いで、情けないよ、快斗君……。
なんか、りゅうの書く快斗君ってこんなんばっかり?
次回は、汚名挽回の快斗君。華麗なマジックショーを御披露いたします。
いや、りゅうがちゃんと描写できれば……なんですがね(苦笑)。


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