光彩の瞬間 -4-
快斗は、この別邸で過ごす時間のほとんどを『海渡』とともに過ごした。
あの小屋裏部屋でマジックを見せたり、いろいろなことを語り合ったり、時には図書室でお互い本を読んでゆったりとした時間を過ごしながら。
それは快斗にとって、幸福で楽しい時間であったが、時として地獄のような苦しみを味わうことにもなった。
新一が生きていたことに、喜んでいるのか……。
それとも畏怖を感じているのか……。おそらくは………、両方だ。
「快斗、出掛けるぞ」
5日目の朝―――。
いつもは朝食の席にも出てこない『海渡』が、まだ夜が明けたばかりの頃に快斗を叩き起こしに部屋へきた。
寝ぼけ眼を擦りながら、快斗は柔らかい羽根布団から頭を出した。
「ん……? しんいち……? なに……?」
「な〜に、寝ぼけてんだよ。俺だよ俺、海渡だって!」
軽く頭を叩かれて、快斗は目をパチパチさせてから、ガバッと跳ね起きた。
「な、なんでここにいるんだよッ!?」
枕元に置いてあった時計を見れば、まだ5時を少しまわったばかりだった。
「なんでって、出掛けるからだよ。ほら、シャワーでも浴びて目覚まして来いって!」
「わかったよ。だから、ちょっと後ろ向いてくんない?」
「はぁ〜?」
「なに? 俺の裸見たいの?」
快斗は布団をめくって、上半身を露にした。
快斗にしてみれば、いまさら全裸に羞恥するようなこともないのだが、『彼』には記憶がないのだし、記憶がある時でも、快斗の裸を平然と直視できる人ではなかったから、そう言ったのだ。
案の定、パジャマを着ていない剥き出しの肌に、『海渡』はクルリと後ろをむいた。
快斗は投げ付けられたバスローブをすばやく身につけると、バスルームへ向かった。
『海渡』は、クスッと笑って抜け殻のような羽根布団を整えようとした。
その時、ハラリと一枚の紙が宙に舞った。
床の上に落ちたそれを『海渡』は拾い上げる。
(写真……? 恋人とかかな? アイツもてそーだし……)
なんとなくその写真を裏返した『海渡』は、思わずバスルームのドアに目をやった。
(アイツ……、なんでこんなモン……?)
『海渡』はもう一度その写真に目を落とし、じっくりと目に焼き付けると、それをそっと枕の下に戻した。
とりあえず、身支度を整えると、車寄せに停められていた車に乗り込むことになった。
車は普段、嘉明が使用しているというBMWではなく、国産のスタイリッシュなマルチワゴン。
運転手は春川氏、助手席には嘉明が座っている。
リアシートには磯村氏が乗っていて、快斗は『海渡』に押し込まれるようにして乗り込んだ。
「すみません。お待たせしてしまって」
『海渡』が謝りながらドアを閉めると、車はすぐに発進した。
「へ?」
快斗はポカーンと口を開けたまま、目の前に広がる光景を呆然と見ていた。
山道を降り、30分ほど揺られて車が停まったのは、港に繋留されているクルーザーの前だったのだ。
「ほら、ボーっとしてねーで乗れよ」
またしても『海渡』に押し込まれるようにして、クルーザーへと乗り込む。
快斗が我に返ったのは、クルーザーがとっくに沖へ出た後のことだった。
キャビンでコーヒーを飲みながら、快斗は『海渡』に尋ねた。
「ねぇ『おぼっちゃま』」
「だから、その呼び名はヤメロって……」
「なんでこんなことになってるわけ?」
「ん? ちょっと快斗を連れていきたいとこがあったからさ、父さん達に便乗させてもらったんだよ」
「連れていきたいとこって……?」
「ナイショ」
それは着いてからのお楽しみだ、と『海渡』がウインクしながら言うので、快斗はドギマギしてしまう。
(記憶があったら、ただじゃおかないんだけどなぁ〜♪)
と、快斗は不埒なことを考えていた。
「ん? 顔赤いぜ? ちょっと外に出よっか?」
『海渡』が返事を待たずに、階段を昇っていくので、快斗もその後に続く。デッキに出ると、海を渡る風が頬を心地よく撫でる。
別に、顔が赤かったのは暑かったわけではないが、いい感じにクールダウンされていく。
「よぉ、海渡君! 黒羽君もちょうどいいところに」
二人の背後から磯村が声を掛ける。
「見てくれよ、俺の獲物!」
振り向いた先に快斗が見たものは……、磯村の手に掲げられた全長50センチの魚だった。
スーッと快斗の顔から血の気が引き、クールダウンを通り越して凍りつく。
「快斗!?」
驚いたように叫ぶ『海渡』の声を最後に、快斗は気を失った。
気が付いた時に最初に目に入ったのは、心配そうに快斗の顔を覗き込む4人の顔だった。
「よかった、気が付いたか」
ホッとしたように、そう言ったのは嘉明氏。
「悪いことしたなぁ〜」
気まずそうに言ったのは磯村氏。
「大丈夫かい?」
と、心配そうな顔をしてるのは春川氏。
「食事の時、お前だけ魚のメニューが違ったから、苦手なんだとは思ったけど、まさか見るのもダメとは思わなかったよ」
と、呆れたように言ったのは『海渡』だった。
「た、頼むから……その名前出すのヤメテ……」
青い顔をして口元を押さえる快斗を、口では悪し様に言いながらもちゃんと介抱している『海渡』に後を任せ、嘉明達はキャビンを出た。
(あ〜〜〜、情けないとこ見られちゃったヨ〜)
嘉明とその友人の趣味が釣りだったことを、はっきり言って快斗は失念していた。
港でクルーザーを見たときから、な〜んとなく嫌な予感はしていたのだが、まだ思考が覚醒しきっていない上に、あれよあれよという間に、『海渡』のペースでここまで来てしまった。
それに、『新一』には知られていることとは言え、記憶を持たない『海渡』に改めて恥をかきたくはなかったのだ。
まぁ、結果として、言葉で言う以上の恥をかいてしまったのだが。
(天罰……なのかな……?)
そう、快斗にしては気弱なことを思ったりもした。
自分の都合で新一の命を奪うようなことをしておきながら、その新一が生きていたとわかって喜んでいる。
しかも、記憶を失っているのだ。快斗は『海渡』に―――記憶を失った新一に、もう一度自分に恋して欲しかったのだ。
- 「海渡、そろそろポイントに着くぞ?」
デッキの方で、嘉明から声がかかる。
「はい、いま行きます」
凜とした声で『海渡』は答えると、快斗の方に向き直った。
「もう一度、デッキに上がるぞ」
「え……?」
またアレとご対面させられるのだろうか……、と快斗は怖じけづく。
それを見て取った『海渡』はゲラゲラと笑った。
「ほんっとにダメなんだな。安心しろ、もうあんなことねーから」- 「……ほんとに?」
「俺が信用できねー?」
「…………わかった」
快斗もデッキに上がることは、『海渡』の中ではすでに決定事項で、それ以外の選択肢は用意されてはいないようだった。
それに―――。
あんな言い方をされて、快斗が断れる筈もない。
快斗は覚悟を決めて『海渡』の後に従った。
『海渡』はデッキに上がると、嘉明達が釣りに興じている船尾ではなく、船首の方へ向かって行った。
一番先端まで行きクルリと向きを変え、両腕をフェンスに預けるように寄り掛かると、なぜかクルーザーのエンジンが停止した。
「?」
どうしたのかと快斗が首を捻ると、『海渡』が心配いらないと笑う。
「わざわざ停まって貰ったんだ。俺の為に……」
潮風が乱す黒髪を掻き上げて、『海渡』が言った。
「一年前……、俺はここに浮かんでいたんだ……」
快斗はゆっくりと『海渡』に並ぶと、そのまま下を見下ろした。
暖かくなってきたとはいえ、海の水はまだまだ冷たく波打っていた。
(こんな……こんな冷たい場所に新一が……)
あの現場から、決して近いとは言えないここまで、いったいどれほどこんな冷たい海を漂っていたのか。
嘉明が見つけてくれなかったら、新一は間違いなく命を落としていただろう。
海の底へと沈んでいく新一の姿を思い浮かべて、快斗の身体がブルルッと震えた。
「なぁ……、なんで俺をここへ連れて来たんだ?」
どんな意図があって、『海渡』がここへ自分を連れてきたのかが気に掛かる。
「なんでだろうなぁ……。強いて言えば、俺がお前を気に入ってるから……かな。他にこんなこと言えるヤツもいないし、聞いてくれるヤツもいないからな」
館に集まったメンバーを思い浮かべると、もっともだとも思う。
嘉明の友人である磯村と春川や、嘉明の部下にあたる槇と橋本らは、いずれも嘉明の人間関係だ。
親類縁者と言えば言えなくもない雅子とその夫は、『海渡』の存在を疎ましく思っている。
その息子である俊夫は、年齢は近いが話が合うとはとても言えない。
他の執事やメイド達は、辛く当たるようなことはないだろうが、使用人としての立場を超えるような接し方はしないだろうし、年齢も離れている。
あの洋館の中で、『海渡』は孤独な日々を過ごしてきたのだろう。
本当なら、警視庁の面々に囲まれて事件を追い、友人達に囲まれて楽しく笑い、彼を愛する隣人である発明家と少女化学者、幼馴染み、愛嬌のある両親……そして恋人だった自分自身に囲まれて幸せな日々を過ごしていたはずだったのに。
それを奪ったのは、自分のこの手なのだ―――。快斗はいまさらながら、自分の犯した罪の深さに苛まされた。
『海渡』は、隣でまるで自分の痛みのように悲壮な顔で海を見つめる男を見ていた。
今朝、快斗の部屋で見つけた写真が、『海渡』の脳裏を掠める。
写真に写っていたのは、無邪気な笑顔の快斗と、幸せそうな笑顔で肩を並べている『海渡』自身だった。
(あれは……どういうことなんだ……? 快斗は『俺』を知っているのか……? 俺の失われた記憶を、過去を……。それならそうと、何故言わないんだ? 快斗……)
海には夕闇が広がり始め、ちょっとしたアクシデントはあったものの、平和な一日が終わろうとしている。
山道を登る車が洋館に辿り着いた。
そして、快斗が『彼』の後について車を降りた時だった。
小さく、なにげなく、けれどはっきりと『彼』の口から毀れた言葉が、快斗に戦慄を齎した。
「俺が魘れてた時に呼んだ『カイト』って、お前のことかもな……」
その夜、『海渡』はある決心をして床に就いた。
念のために言っておきますが……、 快斗の『地獄のような苦しみ』は、アレとご対面してしまったことではありません(笑)。 《3》 INDEX 《5》