光彩の瞬間 -3-
洋館の二日目は、あいにくの雨だった。
朝食の席に、『海渡』はいなかった。
忙しそうに後片付けをしているメイドを捕まえて聞けば、『彼』はいつも朝食を取らないらしい。
10時ごろ起きてきて、濃いめのコーヒーを飲むだけなのだそうだ。
(そんなとこは、記憶がなくても変わんないんだ……)
短かった幸せな時間に、快斗は思いを馳せる。
あの頃も、新一は朝に弱く、朝食を取らないことが多かった。
快斗が泊まった日は、無理矢理起こして、寝ぼけ眼のまま食卓に座らせ、雛鳥に餌を与える親鳥のように食事させていたこともあった。
寝ぼけ顔の新一を思い出して、快斗はクスッと笑ったが、すぐにそれを振り払った。
幸せな思い出は、現在の微妙な状況に直結している。
いまの快斗にはまだ、記憶を失っている新一にどう接していくつもりなのか、答えは出ていなかった。快斗は食堂を出ると、屋敷内を見て回ることにした。
昨日は結局、自分の部屋と食堂、そして『海渡』と話をした小屋裏部屋にしか足を踏み入れていなかったのだ。
まず快斗は娯楽室に足を踏み入れた。
かなり大きな部屋で、ビリヤード台が中央にあり、麻雀卓が二つ、カードゲーム用のテーブルが二つ置いてある。
他にも、スロットマシンやダーツの的などが並んでいた。
この部屋では槇と橋本、そして嘉明の友人二人がカードゲームに興じている。
「やぁ、黒羽君。君もこっちに来てやらないか?」
そう声を掛けてきたのは槇であった。
同じテーブルには橋本と嘉明の友人である磯村と春川。
四人の手にはそれぞれ数枚のカードが握られていて、場にはカードの山が一つ出来ている。
「ババ抜き……ですか?」
「さっきから負け続きなんだよ。助けてくれ〜」
情けなさそうに槇は訴える。
「槇さん、わかりやす過ぎなんですよ」
磯川がそう言えば、槇の部下である橋本までが頷いている。
「いいですけど、強いですよ?」
「願ってもない!」
槇は席を快斗に譲り、自分は隣のテーブルからもう一つ椅子を引っ張ってきた。
快斗に渡されたカードは7枚。
そしてゲームは3順目で終わった。
「黒羽君、さっき変わる前に私たちの手札を見てたんじゃないだろうね?」
「そんなことしてませんが、お疑いならもう一度やりますか?」
14枚のカードが快斗の手元に配られて、再度ゲームスタート。
そして、今度もあっさりと快斗が勝利を収めた。
納得がいかない3人は、セブンブリッジ、7ならべ、ブラックジャックと思い出す限りのカードゲームを挑んだが、どれも惨敗であった。
すっかり傍観者になっていた槇が、ほぉ〜っと溜息をついた。
「鮮やかなもんだねぇ〜。どうやったら、そんなに強くなれるんだい?」
快斗は何も言わずに親しげな笑みを浮かべる。
快斗は、この人達を敵に回したいわけではない。
これも営業活動の一つとしてやっていることだった。
「では、このカードをちょっと拝借して……」
テーブルの上、見事な手捌きでカードをシャッフルしていく。
さらにカットを繰り返し、ひと山に纏めてテーブルの中央に置いた。
「では、磯村さん」
いきなり指名された彼は、ちょっとビックリして居住まいを正す。
「わ、私かい?」
「はい。一番上のカードをめくってみてください」
ニッコリと笑う快斗に磯村はそっと手を伸ばして言われるままにカードをめくった。
現れたのはクラブの9。
快斗に促されて、磯村は他の人達にもそのカードを見せた。
「では、そのカードを好きな場所へ戻してください」
磯村は、全員に見えるようにしながら、そのカードを山の中程に戻した。
「すみませんが、どなたかペンをお持ちではありませんか? ボールペンでも、万年筆でも、なんでもいいのですが……」
橋本が上着のポケットからボールペンを取り出す。
「あぁ、ありがとうございます。さすがは優秀なビジネスマン! では皆さん、ワン・トゥー・スリー!」
受け取ったペンでカードの山をトントントンと三つ叩く。
「では、磯村さん。もう一度一番上のカードをめくって下さい」
磯村は再びカードをめくる。
「そんなバカなッ!」
めくったカードを見た途端、磯村は驚いて声を上げた。
春川達も磯村の手元を覗きこんで驚く。
それは先程カードの山の中程に入れたはずのクラブの9だった。
一同はしばし呆然としていたが、すぐにこの新進マジシャンに拍手喝采を送った。
「いやぁ〜、見事だ! これはパーティーが楽しみだよ!」
「カードには全く触れてないのに、どうやって? あぁ、こんなに近くにいても、全くわからん!」
「すごいよ、黒羽君! 当日もこの調子で頑張ってくれよ?」
快斗は興奮気味に話す四人に営業スマイルで応える。
将を射るならば、まずは馬。
嘉明を落とすならば、まずは彼が信頼する人を味方につけようとする快斗の考えは見事に、そして極自然に成功したようだった。
「ふーん……」
突如聞こえた声に、部屋にいた一同はいっせいに声のした方へ振り向いた。
「これは海渡ぼっちゃま。いつからいらしたんです?」
槇が媚びを売るように、年下の青年に遜る。
「槇さん、その『ぼっちゃま』って言うのはやめて下さい。僕はそんな大層なもんじゃありませんよ」
そういう『彼』の言葉に、嫌みも自嘲めいたものも感じられない。
突然置かれた境遇を受け入れはしているものの、甘えているわけではないのが、よくわかる。
『彼』があの工藤新一だと知る快斗には、それは極普通のことだと思われた。
彼は親の地位や財産を利用することはあっても、カサに着ることはなかったから。
だが、その漂う気品を思えば、あの俊夫という男より、よっぽど『ぼっちゃま』と呼ばれるに相応しいとも思われるのだが。
(そーいや俺にもいたよな……。俺を『ぼっちゃま』って呼ぶ人が……。元気にしてっかな……)
亡くなった父の付き人で、いつも影から快斗を支えてくれた老人の顔を思い出して、快斗は思わず口元を綻ばせた。
「な〜に笑ってんだよ!」
ギロリと『海渡』に睨まれて、快斗は慌てて手を振った。
「いや、なんでもないって! てゆーか、自分のことだって!」
完全にその言葉を信じた訳でないことをあからさまに目に出しながらも、『海渡』は話を戻した。
「さっきのヤツ、もう一度やってくんねぇ? えーと……」
『海渡』は鮮やかなマジックを見せた男の名前を聞いていなかったことに気付いた。
昨夜は彼の方からの質問に答えるような形で話をしたので、名前を聞く必要がなかったのだ。
「あぁ、海渡君は彼の自己紹介が終わってから、食堂に来たんだったっけ」
思い出したように磯村が言うと、槇がちょっと自慢げに快斗を紹介した。
「今度、うちのホテルで契約するマジシャンの黒羽快斗さんです」
「くろば…かいと……」
「えぇ、偶然ですけど、ぼっちゃまと同じお名前なんですよ。ですが、お親しそうに話してましたが……?」
『海渡』が快斗の名前を知らなかったのに、親しげな口調で話していたことを訝しく思ったのか、槇は諂うように問い掛けた。
「あぁ、昨夜ちょっと話したんですよ。あ、ちょっと彼をお借りしてもいいでしょうか?」
槇は快斗が『海渡』に気に入られれば、嘉明にも印象が良くなるとでも思ったのか、ニコニコとしながら快斗の背を押した。
「それはもう! 海渡ぼっちゃまのお好きなだけ、どうぞ!」
快斗は槇の人身御供にでも差し出すような物言いにちょっとカチンときた。
が、『彼』と一緒にいられることに依存はないので、言われるままに部屋を後にした。
連れていかれたのは、昨夜と同じ小屋裏部屋だった。
大きな窓からは、穏やかな陽差しが差し込んでいる。
「悪いな……。お前の都合も考えねーで」
「だいじょーぶ! ちょっと助かった……って気分だし」
槇は決して悪い人ではないが、さっきのように年下の青年に―――それも、会長の息子というだけで、媚び諂う姿を見るのは、決して気分のいいものではなかった。
『海渡』は、そんな快斗の顔を見て、プッと吹き出した。
「なんか気が合うな、お前とは」
柔らかな笑顔を向ける『彼』に、快斗もニッコリと笑い返した。
「……かいと……黒羽快斗、か。いい名前だな。なんか、お前に似合ってる」
しみじみと『彼』は呟く。
「同じ名前じゃん。城之内さん、一生懸命考えたんだろーね」
「……あぁ。でもなぁ、一年もこの名前で呼ばれてるけど、未だに慣れないんだよなぁ。なんかしっくりこねーんだよ……」
それはそうだろう。
『彼』の名前は工藤新一であり、『彼』が譫言で呼んだという『カイト』という名前は自分のことなのだから。
けれど、それを言える筈もなく、快斗はただ黙って『彼』の顔を見ていた。
「なぁ、快斗って呼んでいいか?」
「え? 別にいいけど……。呼びにくくない?」
「いや、別に。俺のことも『海渡』って呼んでいいぜ?」
快斗は返事に詰まってしまった。
『彼』から快斗と呼ばれるのは嬉しい。
自ら彼の命を奪おうとしたとはいえ、快斗が唯一愛した人なのだ、『彼』は……。
名前を呼ばれれば、幸せな頃を彷彿とさせ、心が騒ぐ。
けれど、『彼』を『海渡』と呼ぶことには、やはり抵抗を感じずにはいられなかった。
快斗にとって『彼』は工藤新一以外の何者でもなかったから。
「……うーん、俺はちょっと……」
かろうじて、それだけは言ったものの、後が続かない。
いまの『彼』は名探偵ではないから、昔名前を呼ぶのが憚られた頃のようにそう呼ぶ訳にもいかない。
かと言って苗字を呼び捨てするのも、義明のことを考えれば、気が引ける。
何かいい代名詞はないものかと思っていたところに、ノックの音がした。
「ぼっちゃま、お飲み物をお持ちしました」
メイドが入ってきて、昨夜と同じコーヒーとココアが目の前に置かれる。
用事を済ませると、メイドはそそくさと部屋を出て行った。
「あ、決めた! 『ぼっちゃま』って呼ぶことにしよ♪」
「ワァ〜〜ッ! それはやめろッ!」
じゃれ合うようにして、『彼』は快斗の口を塞ぐ。
そんな様子が昔を思い出させて、快斗は胸が苦しくなるほど嬉しかった。
(新一……、いまでもずっと愛してる……)
それが言うに言えない、快斗の本心だった。
「ところで、なんの為に俺を連れ出したワケ?」
単に名前のことで呼び出したとは思えなくて、快斗は訳を聞いた。
「いけね、忘れてたぜ。さっきのマジック、もう一度見せてくれよ?」
「……いいけど?」
快斗はちょっと嫌な予感がしつつも、先程のマジックを『彼』だけのために披露した。
『彼』は、ずーっと快斗の手許を見つめている。
「もう一回! チキショー! 全然タネがわからねぇ〜ッ!」
「……………」
嫌な予感は的中していた。
前にも新一に、こうして何度も同じマジックを披露したことがあったのだ。
タネを暴くまで何十回も……。
(ったく……、こーゆートコは記憶がなくても変わらないんだから……)
そうしてその日、快斗は食事のために食堂へ行く以外はずっと、寝るまで同じマジックを続けることになったのだった。
新一が『海渡』で、『海渡』は快斗を快斗と呼んで。 快斗は『海渡』とは呼べなくて……。 あ〜〜っ! 書いてる私の方が混乱しそうだ……。 《2》 INDEX 《4》