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この話はパラレルな設定となっています。
登場人物の紹介はこちら




「ただいま」
新一は帰ってくるなり書斎に入り、オーディオセットの電源を入れる。
CDを一枚セットすると、本革のゆったりとした椅子に腰を下ろし、リモコンを操作する。
大音響で鳴らされる旋律に心を漂わせるように目を瞑る。
今夜、新一が選んだのはヴェルディの『レクイエム』より第2曲『ディエス・イレ』だった。


Liber scriptus proferetur, 
In quo totum continetur, 
Unde mundus judicetur. 
Judex ergo cum sedebit, 
Quidquid latet,apparebit: 
Nil inultum remanebit. 
Dies irae, dies illa, 
Solvet saeclun in favilla: 
Teste David cum Sibylla. 


目を瞑ると、昼間見た光景が目に浮かんでくる。
快斗の一件のことで訪れた街。
新一がそこで目にしたのは、自分の目を疑いたくなるようなものだった。
ここしばらく見ることのなかった蘭の笑顔。
それを向けている相手は新一ではなく、腹違いの弟でもある服部平次だった。
蘭に働くことを許したのは確かに自分だ。
それが少しでも蘭の慰めになるのならと思ってのことだ。
だが、それがなぜよりによってあの店なのか。
(蘭……)
新一が初めて服部と顔を合わせたのは、15歳の時だった。
『KUDO』の創業10周年の記念パーティーでのことだった。
服部の母・静香に連れられて、パーティーに出席していた。
父に隠し子がいるのは、知っていたが、相手が大阪に住んでいることもあり、顔を合わせたのはこれが初めてだった。
父に服部母子を紹介されると、新一は冷たい視線で母子を見て、たった一言「恥知らず」とだけ言って、その場を離れた。
だが、母親が侮辱されたと言って、服部平次はその場で殴りかかってきたのだった。
その後、何をどう思ったのか、服部は高校を卒業すると東京の服飾専門学校へと通い始めた。
原宿のショップでアルバイトをしながらファッションを学び、卒業後もそのショップでアシスタントデザイナーとして働いていた。
蘭が服部と知り合ったのもその店でだった。
新一が将来『KUDO』を背負う立場にいるとわかっていて、蘭は独学でファッションの勉強をしていた。
ショップでのアルバイトもその一つだった。
蘭の口から、服部の名前が出た時は驚いたが、「告白された」と聞いても、蘭が友人以上の感情を持っていないのを知っていたから、なんとも思わなかった。
だが、いまはどうなのだろうか…。
あの頃のように、蘭の世界は新一だけではなくなっているだろう。
自分の裏切りを目にしたのだから。
(俺よりもあの男の方が蘭の笑顔を取り戻せるというのか…)
それは新一にとっては屈辱的なことだった。
義弟などとは、決して認める気はない。
(あの男には蘭は渡さない!)
それは、蘭への愛情からではなく、新一のプライドからくる執着であった。










約40分に渡る『ディエス・イレ』が終わると、新一はオーディオセットの電源を落とし、リビングへと下りていった。
蘭はダイニングテーブルで買い込んできたらしいファッション雑誌を読み漁っていた。
「あ、ごめんなさい、気付かなくて。いま、コーヒーをいれるわね」
お気に入りのジノリのカップに注がれたコーヒーが目の前に置かれると、新一は静かに言った。
「蘭、話があるんだ。座ってくれないか?」
蘭は大人しくソファに座る。
新一はコーヒーに一口、口をつける。
「今日、昼間、服部の店に行った。そうしたら、蘭、お前が売り子として働いていた」
「やだ、どうして声をかけてくれなかったの?」
「蘭…」
新一はその問いには答えずに続けた。
「俺は仕事の話をお前にしないから、知らないのも無理ないが、今回の快斗のゴシップ騒ぎの元凶は服部なんだ」
「う…そ……」
「嘘じゃない。いま、弁護士をたてて裁判の準備をしている。それなのに、俺の妻である蘭がアイツの店で働いているなんてことがわかったら、社員の士気にも関わる。悪いが、明日から行くのは遠慮してくれ」
「……………イヤ」
「え?」
新一は自分の耳を疑った。
「だって、昨日の今日で辞めるなんて失礼じゃない。それに、服部君はそんな人じゃないわ。何かの間違いよ」
「間違いなんかじゃない。裁判を起こそうというんだ。ちゃんと調査はしている。アイツが悪意を持ってしたことに間違いはないんだ」
「悪意を持ってるのは、新一のほうじゃないの?」
「な、んだ…と…?」
蘭は、新一が服部のことを快く思っていないことを知っていた。
ただ、蘭が服部と友人として付き合うことに反対されたことはなかったので、蘭も何も言わずにきた。
しかし、新一の服部への接し方は異常だと思えた。
例えそれが異母兄弟だということに根付いているにしても。
「どうして、服部君を認めようとしないの?血を分けた義弟なんでしょ?」
「義弟なんかじゃない!だれが義弟だなんて認めてやるか!蘭、なんでそんなにアイツの肩を持つ?」
ふと、小さな疑惑が新一の中で芽生えた。
(蘭はいつから服部と会っていたんだ…?)

急に働きたいと言った蘭。

服部の店を辞めたくないと言った蘭。

昼間、いままで蘭がどう過ごしていたか知らない自分。

快斗との逢瀬を知られた後のスキャンダル。

小さな芽は、もやもやとした黒い感情を吸収してどんどん大きくなっていく。
暴走していく猜疑心を新一は抑えることができなかった。
「蘭…、まさか…お前が…?」
「な、なに…?」
「お前が、快斗のこと、服部に言ったのか?」
「どういう意味?」
「服部は雑誌のインタビューで快斗のデザインが盗作だと言っていたらしい。服部がそんなことを言い出したのはお前が原因なのか、と聞いてるんだ。お前が、服部にそんなデマを吹き込んだのか?」
「なんですって!」
酷いわ、と言って蘭は泣き崩れた。
だが、新一はそんな蘭には目もくれずにまくし立てた。
「大体、蘭はあの店でいつから働いてるんだ?俺に働きたいって言う前から働いてたんじゃないのか?」
「違うわ!服部君のところに行ったのは昨日が初めてよ!服部君が独立したってことすら知らなかったんだから!」
「なら、どうしてそんなに服部の肩を持つんだ?」
「肩を持つとか、そういうことじゃないわ!」
蘭は怒りと哀しみで涙を止めることができなかった。
(新一は私を信じていない。新一は本当に私を愛してくれているの…?)
「もういい、勝手にしろ!」
そう言い放って、新一は出て行った。
その新一の顔には、蘭が好きだった優しい新一の面影はなかった。







そして、その日から新一は家に帰って来なくなった。






ちょっと短かめですが、キリがいいのでここまで。


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