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「常務、お疲れでしょう?」
秘書が、眠気覚ましのコーヒーをデスクに置く。
「あぁ、ありがと。悪いね、こんな真夜中に君を呼び出して」
「大丈夫です。それより、常務の方こそ少し横になられた方が…」
「そういう訳にもいかないだろう、これじゃあね」
新一は書類の山を指で弾いた。
マスコミに対するコメントの草案。
社員に今回の一件を説明する社内文書。
海外の支社へ送る翻訳文。
各ショップへ送るマスコミ対応のマニュアル文。
ゴシップ記者やそれを掲載した新聞社、そして服部平次を名誉毀損罪で訴えるための資料作り。
決済を出さなくてはならない書類は他にもある。
ことがことだけに、書類の隅々まで目を通し、洩らしているものがないかチェックしなくてはならない。
肉体的よりも精神的な疲労が新一を襲っていた。
あと1時間程で一般の社員が出社してくる。
そうなれば、マスコミがこぞって押し掛けてくるだろう。
それを考えると、少しでも休んでおいた方が、いいのは確かだった。

デスクの上の電話が鳴った。
「はい、常務室でございます。はい、いらっしゃいます。少々お待ちくださいませ」
秘書が受話器を差し出した。
「黒羽さんとようやく連絡が取れたそうです。お出になります」
「ありがとう」
受話器を受け取ると、新一は送話口を押さえた。
「悪いが、席を外してくれないか」
秘書は黙って頭をさげると、執務室を出ていった。
「もしもし?」
「よぉ」
「元気そうだな」
国際電話独特の間があく。
受話器を通して聞く快斗の声がとてつもなく懐かしく聞こえる。
まだ、あの夜から1日と少ししか経っていないというのに。
それほど、新一にとっては長い一日だった。
「吉田君から事情は大体聞いた。悪いな、手間かけさせて」
「バーロ!余計な心配はいらねぇよ。俺に全部任せて、やることきっちりやれよ?」
「わかってるよ」
「それと、いま日本に戻ってくるのはまずい。支社に手配させるから、そのままミラノへ行ってくれ」
「いつまで?」
「1週間でいいだろう。世間はあっという間に次のネタに飛びつくさ」
ネタを提供するのも、新一の仕事の内だった。
ゴシップでゴシップを消そうというのだ。
「なに?1週間も新一に会えない訳?」
「快斗」
ケラケラと笑う快斗に、新一は明らかに口調を変えてその名を呼んだ。
「あ、ちょっと待って」
快斗がフランス語で何か言ってるのが聞こえる。
わずかに、女性の声も聞こえる。
プライベートな話題と察して、席を外すように言ったのだろう。
「テメェ、またどっかの女引っ掛けたな」
「新一がいないと寂しくてね」
「なら、これからは青子さんを連れて回るんだな」
「新一?」
別に、ずっと一緒にいたい、という言葉を期待していたわけではない。
だが、わざわざ青子の名前を出すことに引っ掛かりを感じて、訝し気に呼んだ。
「もう、お前とはセックスしねぇよ。逢うのも仕事の時だけだ」
「ちょっ…、どういうことだよ」
「蘭にお前とのことがバレたんだよ」
国際電話ゆえだけではない間が流れた。
「それで?」
「蘭は許してくれたよ。本当の夫婦になりたいって」
「……………」
「俺もそうしたい。蘭が大切なんだ」
「わかったよ。新一がそう望むならそうしよう。でも、仕事上でのパートナーシップは切れないからな。新一とじゃないなら、契約は破棄だ」
「ありがとう、快斗」
プツンという音がして、通話は切れた。
新一はツーツーという音がしても、ずっと受話器を握りしめていた。










コツコツというノックの音が聞こえた。
「はい?」
「常務、奥様がお見えになりました」
「通してくれ」
ドアが開いて、ボストンバッグを持った蘭が入ってくる。
「ゴメン、蘭。朝早くに起こして悪かったな」
「ううん。新一だって大変なんでしょう?はい、これ着替え」
「あぁ、ちょっと当分帰れそうにない」
差し出されたバッグを受け取りながら、新一は申し訳なさそうに言った。
「そう」
「それから…蘭、快斗のことだけど…」
蘭の肩がビクンと揺れた。
「もう、あんなことはないから。仕事もあるから、会わないって訳にはいかないけどな」
「ううん、十分よ」
蘭は新一にしがみついた。
(まだ、本当の夫婦じゃないけど、新一は私とちゃんとやり直そうとしてくれる。それだけで十分だわ)
それは、蘭の本心だった。
「ねぇ、新一?私、お願いがあるの」
「なに?」
「私、何かしたいの。働くのは体裁が悪いって言うなら、カルチャースクールでもなんでもいいわ。何か打ち込めるものが欲しいの」
「なんだ、そんなことか。いいぜ。蘭がしたいようにすればいい」
「働いてもいいの?」
「いいけど、『KUDO』の名前を出すのは止めろよ」
「わかったわ。ありがとう、新一」
新一はドアを開け、蘭が帰るのを見送った。
これからは戦争だ。
マスコミが大挙して押し寄せてくる。
その前に、熱いシャワーを浴びておきたかった。










一方、快斗は街でナンパしたパリジェンヌを部屋から叩き出し、近くのビストロへと足を運んだ。
カウンターでコニャックを注文すると、浴びるようにそれを飲み干した。
「新一のバカヤロー。いまさら青子となんてできるか!」
新一はわかっていないのだ。
快斗がどんな気持ちで新一と共に歩んできたのかを。
いまでも鮮明に思い出せる。
初めて新一に会った時のことを。
仕立てのいいスーツに細みの身体を包んだ綺麗な男だと思った。
社長の息子と聞いてたんなるお坊っちゃんかと思ったら、とんでもなかった。
気が強くて、負けず嫌いで、綺麗な顔してやたら好戦的なところが気に入った。
何がなんでもコイツと仕事してやる。
快斗の闘争心に火をつけたのだ。
だから、新一が出す課題を全てクリアしてみせた。
話をしていく内に、妙にウマがあうところがあった。
母子家庭に育った快斗と大手アパレル企業の次期社長である新一。
生まれも育ちも違うのに、考え方が似ていた。
いつのまにか、新一のことばかりを考えるようになっていた。
男のクセして、男をその気にさせる色気があることにも気付いた。
そうして、負けず嫌いな性格を利用して、半ば強引に関係を結んだ。
プロジェクトは成功し、快斗は名声を、新一は社内での地位を得た。
そうしてずっと二人でやってきたのだ。
これからもずっとそうしていくつもりだった。
結婚すると聞いた時も反対はしなかった。
『KUDO』の後継者たるには、そういうこともあるとは思っていた。
それに、自分にも青子という妻がいるのだ。
新一と関係を持った日から、一度たりとも抱いたことなどなかったが。
適当に女遊びは続けていたから、青子はまさか男を抱いてるなんて考えたことはないだろう。
女遊びはまさに趣味と実益だった。
新一を青子の目から隠すための。
「結局、夢中だったのは俺だけってことかよ。カッコわりぃの…」
快斗はコニャックのボトルの最後の一滴までをグラスに入れるとそれを一気に飲み干した。
「さよならのキスぐらい、させろよ…。しんい…ち…」

強かに酔っぱらってビストロを出た快斗は、翌朝、強烈な頭痛で目を覚ましたのだった。






服部君の前にやっぱりこの人でしょう!

M様、この程度なら許していただけるでしょうか?


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