
原宿・竹下通りにある『H2』に、店には似つかわしくない一人の紳士が現われた。
質のいい紺のスーツに身を包み、首元にはシルクのアスコット・タイが巻かれている。
指には―――何カラットあるのか―――大きなダイヤモンドがついた指輪を嵌めていた。
「いらっしゃ………、お義父さん!」
棚に並べられた商品を整理していた蘭が、客の気配に振り返ってそのまま硬直した。
そこに立っていたのは、新一の父・優作だったから。
「やぁ、蘭君。元気そうだね」
にこやかな顔で笑いかける優作に、蘭はなにやら不穏なものを感じた。
工藤家の嫁でありながら、新一との離婚前からここで働いてることを優作に知られていることは、新一からも聞いていた。
そのことで優作が新一に離婚を勧めたことも。
服部と夫婦同然の生活をしていることまで知られているのかどうかはわからないが、こんな風ににこやかに話し掛けられるような関係ではないはずである。
蘭はそう思いながら、ぎこちない笑顔を浮かべた。
「おかげさまで……。あ、新一の居場所なら、私ほんとに……」
一つ思いついたことを返す。
だが、優作は違うと手を振った。
「新一とは話をしたよ。蘭君には心配をかけたね」
「いえ……。あの…、では、なぜここへ……?」
「今日は服部君に用があるんだよ。いるかね?」
「え、あ、はい。いま、呼んで参ります」
蘭は事務所へと引っ込んだ。程なくして服部が出てくるが、見るからに不機嫌そうな顔つきである。
大体、昨夜新一に体よくあしらわれて、気持ちの荒れ様はさらに激化してるのだ。
「なんの用や?俺はアンタと話すことなんかないで?」
「まぁまぁ。君にとっても悪い話じゃないと思うが」
服部は目線で入ってもいいかと尋ねる優作を見下ろした。
「勝手にせぇ…」
くるりと身を翻した服部の後に続き、優作は中へと入っていった。
形ばかりの応接セットのソファに座り込み、優作はじっと服部を見つめる。
「なんや!」
不躾なまでの優作の視線に、服部はイライラとした声を上げる。
「なに、やはりカエルの子はカエルだな、と思っていただけだよ」
「な…んやて?」
「静香は確かにいいモデルだったが、モノを作り出す才能はなかった。アレが結婚したという男は板前だとか……」
「何がいいたい」
「君がこうしてデザイナーとして立派に大成できたのも、やはり私の血筋のおかげだろうね」
優作が陶酔的に語るのを、服部は歯軋りしながら聞いていた。
母を、そして自分をあっさりと切り捨てたこんな男の血なぞ一滴もいらん!と言いたいのは山々だが、服部はグッとそれを堪えた。
優作がアパレル業界に居なければ、同じ土俵で見返してやるなどとは思わなかっただろう。
いま、自分がここにこうしていることの優作が一因であることには変わりはなかった。
「自慢話がしたいんやったら帰ってくれんか?こうみえても結構忙しいんや」
「自分の自慢をしに来たわけじゃないよ。こんな素晴らしい息子を持って、私は果報者だと言いたいんだがね?」
「は?」
優作はいま何と言ったのか?
服部は自分の耳を疑った。
この男は、いま『息子』と言わなかったか?
12年前にあっさりと自分を無視し、父親らしいことなど何一つしてないこの男が自分を『息子』と呼ぶのか?
服部はなにやらおかしくなってクククククッと肩を震わせて笑い、それはやがて爆笑となった。
「俺を息子やて?いまさら何を言うとんのや!27年アンタを父親やと思うたことなど一度もあらへん。俺のおとんは服部の父親だけや!」
優作は気を悪くした様子もなく、悠然と答えた。
「君がどう思おうと、君には私の血が流れているんだよ?」
「……………」
「私はね、敢えて君に辛い道のりを強いたのだよ。獅子が千尋の谷に我が子を突き落とすようにね?けれど、君はここまで上がってきた。もう充分だ。これからはお互いに手を取り合ってやっていこうじゃないか?」
服部は呆然としたまま、優作の話を聞いていた。
優作が服部を訪ねる前日のこと―――。
どこの美術館かと思うような調度品が並ぶ『KUDO』の社長室。
その部屋の応接セットで、阿笠弁護士が優作と向かい合っていた。
「するとなんじゃ、新一君は戻る気がないんじゃな?」
「えぇ、そういうことですね」
「…ったく、君は本気で説得したのかね?新一君の存在は必要不可欠だと言ったろうに……」
「申し訳ありませんねぇ」
そういう優作には全く悪びれたところなどない。
苦い溜息をつきながら、阿笠弁護士は思案顔をした。
「仕方ないのぅ。作戦変更じゃ。幾分厳しくなるがの……」
「それは止むを得ません。で、どう変更するんです?」
「とにかく『KUDO』は若返ったという印象を持たせることじゃ」
「はい……。で、私はどうすればいいのでしょう?」
「確か、君にはもう一人息子がおったよな?」
阿笠は人を食ったような微笑で優作を見ていた。
(このタヌキが……)
優作は内心でそう毒づいた。
阿笠が服部の存在を知らないわけがない。
服部の母・静香との別れ話を仲介したのが、当の阿笠なのだから。
だが、そんなことよりも、優作には『KUDO』の今後のことのほうが重要だった。
「彼が何か?」
大体、内容は検討がつくが、優作は何もわからないかのように尋ねた。
「聞けば、その子も同じ業界で働いとるそうじゃないか。新一君がダメならさっさと方向転換してじゃな、その子を何とかするんじゃな」
優作が思ったのと寸分違わない返事が返ってきたが、それはそれで頭が痛い。
いままで我が子と認めたことなどなかった服部平次に頭を下げるなどとは。
だが……、頭を下げるだけで『KUDO』が存続できるのなら安いものだと思う。
優作は顎に手を当てて、少し思案する。
(いい案……かもしれないな。新一よりは服部…平次の方がはるかに御しやすそうだ)
そうして、阿笠に平次との交渉を快諾すると、さっそく白鳥を呼びつけて、『H2』の経営状態を聞きだしたのだった。
優作と服部の話をドアの向こうで聞いてしまった蘭はパニックしていた。
新一が、優作の申し出をけんもほろろに断ったとは知らない蘭は、優作が新一を排除しようとしてると思い込んだのだ。
「すぐに…、すぐに新一に電話しなきゃ……」
店の電話に飛びつき、新一の携帯へ電話をかけた。
「新一?いま、服部君のお店にお義父さんが……」
『父さんが?』
声を顰めて新一に蘭が耳にした一部始終を話した。
新一は時折相槌を打つだけで、黙って蘭の話を聞いている。
「新一、どうしよう……」
蘭にとっては新一は未だ大切な幼馴染であり、また服部もいまや大切な恋人だった。
できることなら、二人がいがみ合うことなく居られればいい、と願っていた。
その間を取り持つなどというような奢った考えは持ってはいなかったが……。
だから、二人の間に優作が入り、今まで以上に二人が険悪になっていくのは、蘭には耐えられないことだった。
『どうしよう、って言われてもなぁ……。服部が『KUDO』に入りたいなら、俺がとやかく言うことじゃねぇし……』
「でも……」
一度は辞めた会社とはいえ、新一こそが優作の後継者と誰もが認めていたのだから復帰もありえると思っている。
それに、いくら優作の血筋であるからと言って、ショップ・デザイナーに過ぎない服部を社員達が認めるとは思えなかった。
「『KUDO』の後継者は、やっぱり新一だと思うの……」
『蘭……』
蘭の言葉をありがたく思いながら、新一は優しい声で続けた。
『サンキュ。でも、俺が『KUDO』に戻ることはない』
「え……?」
『会社、興すんだ。快斗と共に生きるために』
優しいけれど、強く響く新一の声。
あの、慌しく離婚したころの打ちひしがれた様が嘘のようだ。
「しんいち……」
『俺は俺の道を、俺が信じた道を行く。蘭も服部と二人の道を見つけろ』
「うん……」
蘭が好きだった幼馴染の強い声に励まされる。
『ただし!俺の前に立ちはだかるヤツは容赦なく潰してやるから覚悟しとけよ?』
蘭はしばし呆気に取られ、プッと吹き出した。
「うん」
泣き笑いの顔で蘭はそっと受話器を置いた。
一方、通話を切った新一は紅子の事務所に電話をかけ直した。
コール音が切れ、紅子のクールな声が聞こえると、手に入れたばかりの情報を伝えた。
携帯をスーツの内ポケットにしまうと、不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「服部……、お前がどれほどのヤツか見せてもらうぜ?あの親父はバケモンみてぇなもんだからな」
黙々とビジネスマン達が行き交う街中を、新一は楽しそうに歩いていった。
なんか40話でも終わらないような気がしてきた……。 BACK RED-INDEX NEXT