
ホテルの部屋を引き払いに来た二人を出迎えた男がいた。
「新一、久しぶりだな」
「父さん……」
数ヶ月ぶりに顔を合わせた優作は幾分面やつれしているものの、まだアパレル界のトップに君臨しているだけのダンディさは持ち合わせていた。
「話がしたいんだが、いいかね?」
新一の隣に立つ快斗の方をチラと窺う。
暗に席を外すように言っているのだとわかる。
それを察した快斗が「ロビーにいる」と言おうとする前に、新一が機先を制した。
「快斗を……、黒羽氏を同席させていただけるなら、どうぞ?」
ドアを開けて、新一は優作を招き入れた。
「で、用件は?」
応接セットに腰を下ろすとすぐに新一はそう尋ねた。
優作としては本題はもう少し後にしたかったのだが、聞かれたことに答えないわけにもいかず、仕方なく切り出した。
「単刀直入に言おう。『KUDO』に戻る気はないか?私にはやはりお前が必要なんだ」
「どう必要だと言うんです?僕が何を言っても耳を貸さなかったのは、父さんの方ですよ?」
父と子はお互いに睨むようなするどい視線で相手を見た。
「私は引退するよ。お前が社長になるんだ」
少なからず新一は驚いた。
昨日、有希子から話を聞いていたから、前職復帰か、あるいはそれと同等のものを提示されるとは予想していたが、副社長の有希子、専務の白鳥を押し退けて社長にとは考えてもいなかった。
言い換えれば『KUDO』はそれほどに病んでいるのだろう。
新一はやんわりと拒絶した。
「取締役会が納得しないでしょう。実の息子とはいえ、僕は正式に辞職したんですよ?」
「取締役達に文句は言わせない。頼む、この通りだ」
優作は立ち上がったかと思うと、椅子の横に跪き土下座した。
これにはさすがの新一も慌てた。
いつだって、余裕綽々で、尊大で、人に弱みをみせるようなことなどするような男ではなかったから。
「父さんっ!?」
優作は何も言わずに頭を下げている。
あの父親が簡単に自分を曲げるとは思わないが、そこまでするなら話ぐらいは聞いてみようという気に新一はなっていた。
「とにかく頭をあげてください。伺いたいことがありますから」
優作はゆっくりと頭をあげ、新一に椅子を勧められて再び腰掛けた。
「では、取締役の賛同が得られたとして、僕が社長になれば僕の自由にしていいんですね?」
「少しは私の意向も聞いてもらいたいがね」
力ない苦笑を浮かべて、優作は答える。
「例えば、オリジナルブランドを整理したいと言えば?」
「新一の好きなようにすればいい」
「では、ライセンスブランドは?」
「それも新一に任せよう」
「それでは、新規事業への参入は?」
新一は暗に例の大阪のプロジェクトのことを臭わせた。
「内容にもよるな」
優作も簡単には言質を取らせたりはしない。
「大阪のプロジェクトは、全面的に手を引いても?」
「あれは渡さん。あれは私の夢だからな」
「あれが『KUDO』の首を絞めてる、とまだ気付かないんですか?」
「先行投資だよ、新一」
「どこが投資なんですか!いつになったら回収できるんです?」
2人はどちらも一歩も引かず睨みあっている。
「新一、わかってくれ。お前が社長にさえなれば『KUDO』は安泰なんだ」
今度は低姿勢で攻めてくる。
「お前だって『KUDO』をこのままで終わらせたくはないだろう?」
「ならば、あの新プロジェクトは諦めるんですね」
「それは、できない」
これ以上話しても埒があかない。
新一は早く堂々めぐりを始めた話にケリをつけたかった。
「父さん。父さんは僕を社長という名の人形にして、父さんが変わらず『KUDO』を牛耳る。それが父さんの狙いなんですね?」
「当然だろう。あれは私の会社だからな」
新一は嘲笑うように唇の端を上げた。
やはり、あの土下座はポーズだったのだ。
『KUDO』を自分の手に残すためなら、頭を下げることなどなんの痛みにもならないのだ。
新一は、いまほど優作と血の繋がった親子であることを厭ったことなどなかった。
「………話すことはもうありません。お引取りください」
ドアを開けて、退室を促す。
「新一、父さんを見捨てるのか?」
優作は有希子と同じようにやたらと哀しげに訴えた。
新一も、有希子にしたのと同じように優作にも返した。
「あなたの子供は僕じゃないでしょう?あなたの子供は『KUDO』だ」
再度、手で道を示すようにして退室を促す。
優作がそれに従うようにすると、新一は優作の身体を押し出すようにしてドアを閉めた。
「しんいち……」
一部始終を黙って見守っていた快斗が、緊張感が一気に抜けてドアに凭れかかる新一に声をかけた。
あの、≪タヌキ≫な優作と話をする時は、一瞬たりとも気が抜けないのだ。
「よかったの?」
「ん?」
「社長の話、断っちゃってさ」
「最初っから引き受ける気なんかねーよ」
「なんだぁ〜、新一が社長に就任したら契約解除なんてしちめんどくさいことしなくていいのに……」
慰めてるつもりなのか、軽口をたたく快斗に、新一はニッコリと微笑みかけた。
「バ〜ロ、最初っから引き受ける気なんてねーよ」
『KUDO』に戻るつもりのないことは、有希子と話した時から―――いや、それより以前から―――なかった。
ここまで話を聞く気になったのも、あの天上天下唯我独尊な優作が土下座なんて真似をしたからであって、それがポーズでなかったとしても、引き受けたりはしなかっただろう。
これが1年前なら、どんな形であっても、必要としてくれたことを嬉しく思っていたかもしれないが……。
いまは快斗がいるから。
もう、家族の縁(えにし)の薄さに心を傷めなくても、ただ一人いて欲しい人が傍にいる。
だから、うわべだけの絆に惑わされたりしない。
「かいと……」
「なに?」
「ずっと、一緒だよな?」
「モチロンでしょ!」
新一の顔を覗き込むようにして見る快斗に、新一は柔らかな笑みを返した。
「愛してるよ、新一……」
「俺も……」
どちらからともなく寄せた唇は、何度も角度を変えて重なりあった。
新一の荷物を麻布の家に放り込んで、快斗はアトリエへと向かった。
一昨日、「弁護士と打ち合わせしてくる」と言って出て行ったきり連絡のない快斗に、アトリエ内は大騒ぎとなっていた。
「あ〜!先生っ!!もう、どこ行ってたんですか」
快斗の姿を見つけたスタッフが大声で叫んだ。
その声にアトリエ中のスタッフが、一斉に快斗の方に目を向けた。
「携帯は繋がらないし、自宅の電話は『使われておりません』ってメッセージが流れるし!戻ってこなくてもいいから、連絡だけはちゃんと取れるようにしてください!」
有希子の姿を見かけたときに、いつ携帯の電源を切っておいてそのままにしていた。
自宅も前のアパートを引き払って、麻布に引っ越したことを誰にも言っていなかった。
全て快斗の落ち度である。
「ゴメン……」
素直に非を認めた快斗に、スタッフ達もとりあえず怒りだけは治め、呆れたように聞いた。
「で、仕事をほったらかして、いままでどうされてたんですか?」
「そう!それなんだけどね……」
後を振り向いて、新一がそこにいないことに気付く。
ドアの外を覗けば、新一が気まずそうに立っている。
「どうしたの?」
「……入れねぇよ。俺は部外者なんだし」
もう、『KUDO』の担当者でも、社員でもない。
まして、自分が退職したことで迷惑をかけたことは、すでに快斗からも聞いている。
どの面下げて、彼女達の前に出られるというのか……。
ぺちっ。
「いてっ!」
快斗の指が新一の額で跳ねた。
いわゆるデコピンというやつだ。
「な〜にグルグル回ってンの。新一らしくないよ?俺が選んだスタッフだよ?そんなヤツがいたら、即行クビにしてるって!」
快斗は偉そうにふんぞり返ると、新一の腕を掴んで強引にアトリエの中に引き入れた。
「きゃっ!」
「あら!」
「え?うそ?」
新一の姿を目にした途端、スタッフは口々に感嘆の声をあげた。
「工藤さん!戻ってらしたんですね?」
「お帰りなさい。お元気そうで何よりですわ」
「先生、よかったですね!」
暖かく迎え入れてくれる彼女達に新一の方が唖然としていた。
「ね、新一。心配ないでしょ?」
快斗の声に、我に返った新一が快斗のスタッフ達の顔を見まわして、頭を下げた。
「済まなかった。みんなに迷惑をかけて……」
他のブランドにも大なり小なり迷惑をかけているだろうが、快斗のところは特別だった。
サブとしての担当は置いていたものの、ほとんど自分が手を下していた。
だから、新一が失踪した時、一番混乱したのはここ『MOON』のスタッフ達に違いないのだ。
「迷惑なんて……」
「なんとかなっちゃいましたし」
「そうそう、黒羽先生が手をつけられないぐらい荒れてたぐらいで……」
ドッと笑いが起きる。
「ボスである俺を売るなんて〜!」
ヒドいスタッフ達だと嘆きながら、新一に泣きついてくる。
「心配なんてな〜んもないでしょ?」
と明るい笑みを見せる。
新一も、小さく柔らかな笑みを浮かべた。
「さ!仕事、仕事!」
パンパンと手を叩くと、それぞれ持ち場へと戻っていく。
「新一、悪いけどそこ座って待っててよ」
「邪魔じゃないのか?」
「邪魔になんてしないよ。ず〜っといて欲しいぐらい」
「バカ……」
新一が少し照れながらソファに腰掛けた。
ガラガラとスタンを押してきたスタッフが声をかけてくる。
「さっそくですけど先生、これなんですが……」
「あぁ、ここはタックをもっと大胆に深くとって……」
快斗がスタンに掛けられた布を摘んで、素早くピンを刺していく。
「ね、ウエストのラインがよりほっそりとするでしょ?」
「はい」
入れ替わり立ち替わり、スタッフが快斗に指示を仰ぎにやってくる。
新一は、快斗の仕事ぶりをただ眺めていた。
居ることしか出来ない自分に歯痒さと焦りを感じる。
(いい加減、俺も身の振り方を決めねーと……。けど、『KUDO』の名を捨てた俺に一体何ができる……?)
その時だった。
「あの……、工藤さんは先生のお味方と思ってよろしいのでしょうか?」
新一に話し掛けて来たのは、経理担当の男性スタッフだった。
新一は、自嘲気味な笑みを浮かべて頷いた。
「信用できないのも無理はないけど、そのつもりだ」
「いえ!決して信用できないとかじゃないんです!」
彼は慌てて大きく手を振った。
「実は相談に乗っていただけないかと思って……」
「そうだん?」
「はい。僕は経理を預かってるんですが、経営はよくわからなくて……。先生ともいろいろ話はするんですが、先生もデザイナーですから、やはりそちらの方は……」
彼は珍しくも元・銀行員という経歴の持ち主である。
お金を管理することは得意でも、お金を活かす方法までは―――それも、アパレルという業界の中では―――さすがに持ちえていなかった。
「いままでは?」
「『KUDO』にお任せになってまして……」
そうか……、と新一は頷いた。
快斗のブランドが誕生して、丸5年…もうすぐ6年になろうとしている。
その最初から新一は関わっていたが、その内状までは知らなかった。
それは、踏み込んではいけないことだったから。
「工藤さんなら、経営が専門ですし……、ぜひお力になってもらえないかと……」
そうは言われても、所詮は部外者である。
どうしたものかと戸惑っていると、快斗が新一を呼んだ。
「そいつの頼み聞いてやってよ。っていうか、俺からも頼みたいんだ」
「わかった」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる経理スタッフの後に続き、新一はその場を出ていった。
そして、数時間後。
快斗が山積みになっていた仕事を終えたのを機に、スタッフ達は帰っていった。
アトリエには、新一と快斗の二人だけが残っていた。
「さ〜て、俺達も帰ろっか?」
「快斗……」
「ん?」
「俺、決めた。これからもお前とずっと一緒にやっていきたい。だから……、聞いて欲しい。俺の考えたことを」
快斗は息を飲んで新一を見つめた。
ふと、初めて『KUDO』で出会った時の事を思い出した。
自信に満ちた瞳で、『MOON』を立ち上げるために二人で夜通し語り合ったころの新一を。
いま、目の前に立つ新一の瞳はあの時の瞳と同じ輝きを宿している。
「ん。けど、その前になんか食べよ?俺、もう腹ぺこ……」
「クスッ、実は俺も……」
笑いながら、アトリエの灯りを落とし、二人は夜の街へと出ていった。
とりあえず、野望(←優作さんを新ちゃんの元に跪かせること)達成。 このお話の中で、優作さんだけがど〜も偽物……。 そ〜ゆ〜設定だから、仕方ないんだけどね。
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