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この話はパラレルな設定となっています。
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新一は満ち足りた気持ちの中で目覚めた。
目を開けると、そこに、この世で最も大切な人の顔があった。
「オハヨ、新一」
柔らかな笑顔で、触れるだけのキスを落としてくる。
「…おはよ」
新一は少しだけ恥ずかしそうにシーツを持ち上げた。
けれど、シーツの中でもぞもぞと動いた手が新一の身体を抱き寄せた。
快斗と身体を重ねることは幾度となくあったけれど、こうしてともに朝を迎えるのは過去に数えるほどしかない。
ましてや、何ヶ月ぶりかのことである。
新一は気恥ずかしさに頬を染めた。
「………腹、減ったな」
照れ隠しに色気のないことを呟いてみる。
「あとでルームサービスでも頼もう。でも、いまはもうちょっとこうして新一の身体を感じていたい」
「バーロ……」
ストレートに現された欲望を、照れてはいても嫌がることなく新一は受け入れる。
重ねられた唇が、より深いものへと変わっていく。
快斗の手が不埒な動きを見せて、新一の身体を愛撫した。

『パパーッ!』

廊下を駆ける子供だろうか。
どこかで、子供が父親を呼ぶ声が聞こえた。
いや、ほんとに聞こえたのかどうかはわからない。
けれども、それは確かに新一の心の耳に響いたのだ。
深く……、そして痛く……。
「あ!」
新一は小さな悲鳴を上げた。
(そうだった……)
新一は忘れていたことを思い出した。
なぜ、自分がパリへと逃げたのかを。
快斗がもうすぐ父親になるのだということを。
幸せに満ち満ちていた新一の顔に翳りが落ちる。
「快斗、帰ってくれないか」
「え?」
「帰ってくれ!俺はもうお前には会わないって決めたんだ」
ようやく身体が快斗の温もりを忘れようとしてたのに。
こうして、また身体を重ねてしまって、また辛い日々を過ごさなくてはならない。
これ以上、傷を深くしないためにも今快斗を突き放さなくては、立ち上がれない。
快斗を、快斗のブランドを守るために帰ってきたのに。
新一はのしかかる快斗の身体を押し返した。
「いやだね」
身を切るような思いで、快斗を突き放したというのに、肝心の快斗があっさりとそれを突っぱねる。
より強く新一の身体を抱きこんでくる。
噛み付くようなキスを仕掛けてきては、荒々しく新一の身体を愛撫する。
「例え新一がなんと言おうと、俺はもう新一を手放さない。もう二度と……」
新一は、新一がいなくなったときの快斗の苦悩を知らない。
酒に溺れ、仕事を忘れ、腑抜けになった快斗の姿を。
それでもこうしてなんとかやってこられたのは、すべて新一のためだった。
いつの日か、再び新一の隣に立つために、このまま堕ちるワケにはいかない。
それを気付かせてくれたのは、自分より10歳も年下の少女だった。
「新一……、愛してる」
染み渡るように新一の心の中に響く愛の言葉。
いままでにもそう囁かれたことがないわけではない。
ただ、自分の気持ちを自覚していなかった新一は、戯言ぐらいにしか受け止めていなかった。
しかし快斗を思う気持ちが、恋だと知った瞬間から、それは新一が最も欲しい言葉となった。
けれども、いまの新一はその言葉を鵜呑みにするわけにはいかなかった。
「そんなこと言ったって、お前には青子さんが…、生まれてくる子供がいるじゃないかっ!」
絞り出したような掠れ声の新一の叫びは、新一の悲痛な感情を露にしていた。
「新一ッ!」
感情的になって、快斗の腕の中から逃れようともがく新一の名をキツイ口調で呼ぶ。
「かんべんしてくれ……。俺はもう……」
傷つきたくないのだ、と今度は快斗から顔を背け、気弱げに言う。
白馬の心無い言葉に、新一が何を思い、何を考えたのか。
快斗にはわからないけれども、新一も傷付いていたのだ、といまはっきりと知った。
「新一、聞いて。俺、青子と離婚したんだ」
穏やかに、でもはっきりと新一に確実に届く声で快斗は告げた。
「な……なんで?子供は?子供はどうなったんだ?」
新一の頭を掠めたのは、青子が流産したのではないかということ。
それが原因で離婚したのではないかということだった。
「さぁ、順調なんじゃない?そろそろ臨月にさしかかると思うけど?」
「じゃあ、なぜ!?」
「父親になんてなれないよ」
あまりにもなんでもないようなことのように言う快斗に、新一は呆気に取られていた。
新一が夢見ていた平凡な家庭、平凡な家族。
それを手中にいれようとしていたのに、自ら手放したという快斗を信じられないモノを見るかのように見つめていた。
「な、なんでそんなこと言うんだよ!お前の子だろ?お前の血を分けた実の子なんだろ?なんで……、なんでそんな見捨てるようなことしたんだよ!」
激昂する新一を宥めるように、快斗は新一の頬に触れる。
「新一、それを新一が言う?血の繋がり故に苦しんだのは新一だろ?」
「……………」
「ねぇ、新一。俺の記憶の中に……、父親はいないんだ」
快斗は幼くして父親を亡くした。
「おふくろは、どんなに親父が立派で優しかったか、いつも幸せそうに話してくれたけど……。でも、俺は父親の顔も、声も、大きな手も、背中の温もりも、何一つ覚えていないんだ」
「かいと……」
「そんな俺に父親になれって言われても、何していいかわかんないよ。それにさ、俺はもう新一を好きになっちゃったんだ。母親を愛してやれない父親なんて、いないほうが子供のためだと思う」
「そんなことは……」
ない、とは新一には言えなかった。
「新一、前に言ってたよね。血の繋がりはなくても服部はいい父親にめぐり合えて幸せだって。俺もさ、青子が子供にとっていい父親に出会ってくれると思うんだ」
おせっかいな元・クラスメート顔を思い浮かべながら、快斗は言った。
新一に余計なことを吹き込んだ忌むべきヤツではあるけれど、あの男なら生まれてくる子供ごと青子を幸せにしようとしてくれるだろう。
「新一、愛してる……」
「かいと……」
落ちてくる優しいキスを受け止めながらも、新一は溢れる感情が整理できずにいた。
快斗の言葉は嬉しい。
嬉しいけれど、このまま快斗の手を取ってしまってもいいものなのか。
青子と生まれてくる子供をこのままにしていいものなのか。
己の中の疑問に何も答えを出せないうちに、快斗は新一に返事を求めてきた。
「新一、俺は新一を愛してる。でも、まだ新一の本心(真実)を聞いてない」
「俺の……しんじ…つ……」
「そう、新一の……。教えて?」
まっすぐに射るような視線をぶつけてくる。
言い逃れなど許さないかのように。
「俺は……」
僅かに躊躇いを見せて、でもすぐに意を決したかのように瞳を合わせる。
「俺も。俺も快斗を愛している」
新一の蒼い瞳に力強い輝きが戻っていた。
「しんいち……」
再び、唇を重ねようとした時、無粋な音がその動きを中断させた。
グゥ〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!
考えてみれば、昨夜から何も口にしていない。
二人から同時に発せられたその音に、二人は顔を見合わせて吹き出した。
「まずは腹ごしらえするか」
「あぁ」
すでに時計は昼に近い時刻を示していた。

























ルームサービスで朝食を兼ねた昼食を取り、再び身体を重ねたあと、身支度を整えて二人はロビーのラウンジへと降りてきた。
「紅子」
快斗が一歩先に出て、すでにラウンジで待っていた紅子へと近づいた。
「黒羽君……、あなた帰ってないの?」
快斗の服装が昨日と同じことに気付いた紅子は細い眉を顰めた。
どこぞのオヤジサラリーマンならともかく、日本のファッション界をリードする黒羽快斗が着るものに気を使わないわけがない。
けれど、快斗は昔から変わらない無邪気な笑みで
「ちょっとワケありなんでね」
と片目を瞑った。
「まぁいいわ。それで、急な呼び出しのわけは?」
「昨日言ってただろ?『KUDO』の内部事情に詳しいヤツって」
「あぁ、それで?まさか、もう口説いたとか言うんじゃないでしょうね?」
内部告発にも等しいことを、いくら快斗が名うての女たらしだとしても一晩で首を振らせるのは無理だと紅子はたかを括っていた。
「そのまさかだよ。紹介するよ」
一歩身をずらした快斗の後から、新一が姿を現す。
「初めまして、工藤新一です」
にこやかな笑顔を向けられた紅子は不覚にも一瞬怯んだ。
差し出された手に自分の手を添えて、かろうじて挨拶をする。
「弁護士の小泉紅子です。黒羽君の元・クラスメートですわ」
自己紹介を済ませると、紅子は快斗に向き直った。
紅子は契約書を始め、その他もろもろの資料に目を通しているから、その中に責任者として名を連ねる『KUDO』常務取締役・工藤新一の名前は知っていた。
けれども、こんなトップをどうやって口説いたのか、快斗に聞いてみたかったのだ。
「新一は親友なんだよ。もともと俺と新一で始めたブランドだし、それにもう新一は『KUDO』を辞めてるんだ」
「そう……」
先回りして言う快斗に、納得がいくのかいかないのかわからないまま、紅子は頷いた。
「まぁ、いいわ。では早速始めましょう」




そうして2時間に渡り、3人は真剣な討論で盛り上がった。
といっても、快斗はまるでチンプンカンプンだったし、「新一に任せておけば問題ない」と途中からは話を聞いているようで頭の中は全く別の世界へと飛んでいた。
「助かったわ、あなたが味方で。これで、向こうの弁護士も引き下がるしかないわ」
紅子は、忘れていた疲労が甦ったかのように、ゆったりとしたソファに沈むように凭れかかる。
「阿笠弁護士はあれで結構タヌキですから、安心はできませんよ?」
すっかり冷めてしまったコーヒーに口をつけながら、新一はニヤリと笑った。
ライセンスブランドを一手に見ていた新一は、何度となく阿笠の世話になっているから、彼が見かけどおりの人物ではないことをよく知っていた。
いまここでこうして話をして、紅子も一筋縄では行かない女性だということはわかったが、何分経験値に大きな開きがある。
釘を刺しておくにこしたことはない、と新一は判断した。
「負ける仕事なら、例え黒羽君の頼みでも引き受けたりはしないわ」
法曹界のクイーンは、婉然とした笑みを浮かべた。
「ところで、黒羽君」
「ん?」
いつのまに注文したのか、3つ目のケーキを頬張りながら、快斗は紅子を見た。
「あなたのこと女の敵だとは思っていたけど、男の敵でもあったのね」
「「★◇※☆*▲!!!」」
紅子の言う意味を理解した二人は、言葉を失った。
「じゃあ、ごちそうさま」
ホーホッホッホと高笑いを残して去っていく紅子の後姿を呆然と見やる。
「なんでバレてんだよ〜〜〜!!!」
「……自分でバラしたんじゃねぇのか?」
冷めた目でジロリと睨まれて、快斗はプルプルと首を振った。

























「新一、目瞑って?」
快斗はホテルの前のタクシー乗り場で、新一にそう言った。
「はぁ?」
「いいから!」
「わかった……」
新一は訳がわからないまま、言われたように目を瞑った。
それから車で揺られたのは10分ぐらいだろうか。
行き先も快斗が紙に書いたものを運転手に見せていたようだったので、耳から得られる情報はカーラジオと時折聞こえてくるタクシー無線の音だけだった。
「お客さん、ここでいいですか?」
運転手の声が聞こえて、タクシーを降りる。
その間も、まだ目は瞑らされたままだった。
快斗の手がクルリと新一の身体の向きを変える。
「いいよ、目を開けて?」
新一はそっと目を開けた。
「ここは……」
新一の目に飛び込んできたのは、薄茶色のレンガ造りの家。
そう、新一が蘭との新居として用意した麻布の家だった。
「おかえり、新一」
立ち尽くす新一にそう声をかけて、快斗は新一の手を引きながら家の中へと入っていった。

リビングに通された新一は、ホッと息を撫で下ろしていた。
カーテンも、ソファも、蘭の趣味で揃えられた少女趣味なものではなく、シンプルで落ち着いたものに取り替えられていた。
リビングから見えるダイニングも同様だ。
蘭との決して甘いとは言えなかった新婚生活を思い起こさせるところはなく、確かに以前自分が住んでいた場所なのに、知らないところのように思われる。
いまの新一には、それが返って心を落ち着かせた。
それどころか、全てが新一の好みに合っていて、知らない場所なのにしっくりと馴染んでいる。
淹れたてのコーヒーの香りが、ソファに座る新一の前に運ばれてくる。
新一はまたしても目を瞠った。
新一が愛用していたジノリのデミタスカップ。
コーヒー好きの新一が、ミラノで買ってきたものだ。
ほとんど身一つで日本を出たから、トランクルームに預けた蔵書以外は全て残したままこの家を売りに出した。
もう2度と手にすることはないと思っていたもの。
それが、こうして再び新一の手の中に収まっている。
「……っ」
新一の中に熱いものがこみ上げる。
零れそうになる涙を、抑えようと手で顔を隠す。
「新一!?」
「な…、なんでもない」
新一は、コーヒーを半分ほど飲み、ソーサーへと戻した。
「ふ〜ん。じゃあ新一、来て?」
快斗は新一の手を取り、廊下へと出た。
その突き当たりにある部屋のドアを開ける。
「あ……」
新一の書斎だった部屋。
書棚の中こそ空っぽであったが、マホガニーの机、革張りの椅子、卓上の時計も書類箱も何から何まで新一が使っていたものがそのままに残っている。
快斗がオーディオセットの電源を入れ、再生ボタンを押す。
スピーカーから流れてくる『ディエス・イレ』のメロディ。
もう、抑えきれなかった。
失ったはずのお気に入りのカップ、音楽、居心地のいい場所、そして快斗。
全てが快斗の手によって、再び戻ってきたのだ。
「かい…とっ!」
新一は快斗に抱きついた。
「ありがとう…、快斗」
快斗を愛してよかった。
新一は、強く心の中で思いながら、快斗の顔を両手で挟むとその形のいい薄い唇に口づけた。
熱い想いに口づけはさらに深くなっていく。
「しんいち…、上に行こう?」
新一は小さく頷いた。













寝室にも、蘭を思い起こさせるものは何もなかった。
決して蘭とはともにすることのなかったベッドも、新しいキングサイズのものに変えられている。
ついいましがたまで、貪るように重ねあった熱も少し収まり、甘いけだるさとともにまどろんでいた。
「新一……」
「ん?」
「ここで、俺と暮らそう?俺が新一の家族になるから……」
数ヶ月前、この家で一人寂しく呟いた言葉を、現実にするため今度は愛しい人に向かって言う。
少し不安げに揺れる瞳に、新一はクスリと笑う。
ここまでされて、「NO」なんて言えるわけがない。
それに、今朝から何度も愛してると言ってきたのに、何を臆病になっているのだろう。
「バーカ!なに、そんな顔してんだよ。答なんてわかってるだろ?」
新一の答えに、快斗の顔がパァーっと明るくなる。
「よろしくな、快斗」
二人は誓いのように再び唇を重ねた。









バカ甘ですね。ですが、まだ終わりません。問題はまだまだ山積してるので(笑)。
でも、二人一緒なら、な〜んも問題ないでしょう。


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