
青山のアトリエに一人の女性が現れた。
長い黒髪にかっちりとした真紅のスーツが良く似合う女性だった。
彼女は応接室のソファに座り、スラッとした足を組んだ。
運ばれてきた紅茶を一口啜ると、彼女は微笑んだ。「わりぃ、待たせた」
バンと音を立ててドアが開き、快斗が入ってきた。
「呼び出しておいて待たせるなんて、サイテーよ」
冷たい目でジロリと睨まれる。
「だから、悪かったよ」
「ま、いいわ。この紅茶に免じて許してあげてもよくってよ」
高飛車な物言いだが、快斗は気にもしていなかった。
「で?用件はなんなの?」
彼女の名前は小泉紅子。
快斗の元・クラスメートであり、法曹界のクィーンと呼ばれるやり手弁護士だ。
「『KUDO』との契約を解除したいんだ」
快斗は薄いファイルを放り投げるようにして紅子に差し出した。
ファイルには契約書のコピーが綴じられている。
紅子はざっとそれに目を通した。
「それは違約金を支払ってもということかしら?」
「まさか!それならわざわざお前を呼ばねーよ。『KUDO』に払う金なんかない。むしろぶん取りてーぐらいだ」
紅子は歪んだ笑みを浮かべる快斗を表情のない目で見つめていた。
「わかったわ。これ、借りていくわよ?」
紅子はファイルを鞄にしまうと、代わりに小さな封筒を出した。
かわいらしい風景のイラストが入った少女趣味なそれは、とても紅子のものとは思えない。
「青子から預かったわ」
胡散臭そうに見る快斗に紅子はそう告げた。
まるっきり正反対の性格をしていながら、紅子と青子は高校時代から仲がよかった。
昨日、紅子が「快斗から呼ばれた」と話をしたら、「快斗に届けて欲しい」とこの手紙を預かったのだ。
「……」
「読んでもらえるかしら?」
快斗は黙って封筒を取り上げると、封を開いて便箋を広げた。
たった一行だけ、書かれた言葉。
『快斗、いままでありがとう!』
へらっと笑った似顔絵が描き添えられている。
が、少し滲んだインクが、本当の青子の姿を窺わせている。
「あの、おひとよし……」
何も青子が悪いわけではない。
やりたい放題やっている自分を最後まで待ちつづけてくれたのだから。
そう、悪いのは自分だ、という自覚はある。
でも、もうどうにもならない。
工藤新一という相手に出会ってしまったのだ。
この世の何を捨てても欲しいと思える人に。
快斗への恨みでも、罵りでもなく、最後に一言「ありがとう」という青子に快斗は心の中で頭をさげた。
「青子に電話ぐらいはしてちょうだい」
それだけを言うと、紅子は席を立ってアトリエを後にした。
夜、アトリエに誰もいなくなってから、快斗はデスクの電話を取り上げた。
「あ、青子?俺……」
快斗は青子からの手紙を見ながら、電話の向こうで涙を堪えているであろう青子に話し掛けた。
「かいと…、あの……」
「うん、紅子から手紙貰った」
静まりかえったアトリエに自分の声が響く。
「ごめんな。でも、やっぱり俺、父親にはなれないよ」
「……うん」
「元気な子、産めよ?」
「……う…ん」
「幸せになれよ?」
「…………っん」
電話の向こうの声がだんだんとしゃくりあげるような声に変わる。
ポツポツと静かな会話は、とても夫婦として最後の会話とは思えないほど穏やかだった。「青子、ありがとう」
こんな自分を愛してくれて。
こんな自分を待っていてくれて。
最後まで、自分の我侭を聞いてくれて。
快斗はいろんな気持ちを込めて、その一言を言った。そして―――。「ごめんな」
青子の想いに応えてやることができなくて。
父親にはなれなくて。「かいと……、好きな人いる?」
泣きながら尋ねる声に、快斗は静かに答えた。
「……いるよ」
「その人は、幸せにしてあげてね?」
「あぁ、約束する」
「頑張ってね。快斗の服、これからも着るから」
「アホ子にゃ、俺の服は似合わねーよ」
「ひっどーーーーーい!これでも、少しは女らしくなったんだからね!」
昔のままに怒る青子に、快斗はクスクスと笑った。
外見や性格の幼さは別として、青子は十分女らしい。
たまにしか帰ってこない夫を待ち、家を守ってきたのだから。
これからは母として、子を守っていって欲しい。
「じゃあな」
笑ってサヨナラできてよかった。
それは、受話器を置いた両方が思ったことだった。
新一は、都内のホテルにいた。
真っ先に快斗に会いたい、という気持ちはあったが、新一はなぜ自分がパリへ行くことにしたのかを忘れていたりはしなかった。
アトリエにも行かず、電話すらせず、ただひたすらホテルに篭って情報を集め、対策を練っていた。
「とにかく、いまは俺にできること、俺にしかできないことをしねぇと……な」
ホテルの窓から快斗のアトリエのある青山の方を眺めると、新一は電話を手にした。
「はい、妃です」
受話器の向こうからは、キビキビとした女性の声が聞こえてくる。
「ご無沙汰しております。工藤です」
「工藤…って、新一君!?」
「はい」
「……私に電話してきたってことは『KUDO』のことかしら?蘭のことじゃないようね」
電話の女性は妃英理。母・有希子の友人であり、蘭の実の母親である。
新一たちが中学生になったころ、英理は小五郎と別居した。
その後、業界紙の記者となり、業界では有名なファッションジャーナリストとなった。
新一が英理に電話したのも、彼女の情報網を当てにしてのことだった。
「ご心配なく。何かあれば蘭にはちゃんと連絡していますから」
「あら、そうなの」
日本に帰ってきたその日のうちに蘭には連絡しておいた。
現在のホテルの番号を教え、さりげなく服部の様子も聞いてみた。
ファッションビル完成の暁には出店するつもりで、かなりプロジェクトにも出資していたらしい、と聞いたときには新一もなんと言えばいいのかわからなかった。
あんな杜撰なプロジェクトに金を出すこと事体が間違っている。
大阪にいた服部ならば、あのビルがどんなところに建つのかわからないはずはないのだが。
『KUDO』に対する過信か、自分の名前に対する気負いか、真意のほどはわからないが。
いずれにしろ一ショップに過ぎない『H2』には大きな痛手となったはずだ。
(服部は蘭には何も言ってないようだけどな……)
新一が気にかけているのは蘭のことだけで、服部のことなど眼中にはない。
例え腹違いの弟であっても。
(また、蘭が辛い目にあわなければいいけど……)
新一は、それだけを気にしていた。
そしていまは、蘭よりも大事な唯一の人、快斗のために行動あるのみなのだ。
「で、『KUDO』のことなんですが……」
新一は英理に向かって用件を切り出した。日本のアパレル業界のことなら彼女の知らぬことはない、と言われるほど英理は様々な情報を持っていた。
「必ずお礼はさせていただきます」
「楽しみにしてるわ、新一君」
受話器を置いた新一は、深い溜息をついた。
英理の貸しは高くつくだろう。
けれども、いまは背に腹は変えられない。
新一はノートパソコンを立ち上げると、英理から引き出したばかりの情報をまとめ始めた。
快斗―――。
潰させない。
お前のブランドを。
お前の未来を。こんな形でしか、俺はもうお前にしてやれることがない。
お前のブランドを守ること。
それが俺の愛の証。快斗、愛している―――。
新一が、初めて囁く愛の言葉。
けれど、それが快斗に伝わることはない。封印した想いは新一の中でさらに強く激しく育っていた。
ハハハ、まだ引っ張ります。果たして感動の再会はいつ?
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