
不渡りを出したからといって、『KUDO』が倒産したわけではない。
そもそも『倒産』という定義自体が確定していないのだが。
まずは6ヶ月以内に再度の不渡りを出さないこと。
そして、会社更正法の適用を仮処分申請すること。
取締役会はこれを採択し、すぐに弁護士が呼ばれた。
東京・銀座にある『KUDO』本社の社長室。
温厚そうな顔をした男が、ソファに座っていた。
会社更生法の申請の書類を作る弁護士の阿笠博士である。
阿笠弁護士は 『KUDO』の顧問弁護士で、いくつもの企業再建に手を貸したことで有名な弁護士だった。
「つまり、この再建案での認可は受けられないということでしょうか」
書類をつき返す阿笠に対し、優作は居住まいを正して尋ねた。
「そうじゃな。社長の君に今回の責任があるのはわかるじゃろう?その君が続投をするというのでは、株主を始めとする関係人に説明がつかないじゃろう。会社更生案の最低条件は君が社長を退任し、新社長を迎えることだ」
「私の退任はともかく、新社長には誰を……?」
優作は、呟くように言った。
順序から言えば、副社長である有希子になるが、彼女には経営能力はない。
その次となれば専務の白鳥であるが、今回の不祥事の直接原因を作った白鳥では、関係人達の承諾を得られないのは明らかである。
「君には優秀な息子がおるじゃろう?」
阿笠は顧問弁護士であるだけでなく、優作の古い友人でもあったので、新一のことは子供のころから知っていた。
新一の経営手腕も、世間からの評価の高さも、多くの企業に関わっている阿笠は、よく知っていた。
「新一……ですか?ですが、あの子はすでに『KUDO』を辞めてますし……」
「なにを言うとるんじゃ!いまや企業再建のために外国から社長を向かえる時代じゃぞ?企業内の人材に拘るのは時代遅れというもんじゃ」
ワッハッハと笑う阿笠に、優作は困り果てるばかりであった。
「実は新一は行方知れずでして……」
会社を退社し、蘭と離婚した新一の行方を優作は知らなかった。
我が子が行方知れずというのに、いままで何にも手を打っていないことに阿笠は呆れかえるばかりであった。
「新一君も、もう子供ではないんじゃから、心配することもないだろうが…。親としてそれでいいと思ってるのかね、優作君?」
「……………」
優作は何も答えなかった。
いまの今まで、親としての自覚などなかったに等しいのだ。
新一が小さい頃は家政婦に任せっぱなしだった。
中学生になったころには、自分でなんでもこなしていたから、手がかからないいい子だと思っていた。
勉強でもスポーツでも、優秀な成績を取れば誉めてやった。
「まずは新一君の行方を探すことじゃな」
そう言って阿笠が立ち上がり、部屋を出て行く。
優作は打ちひしがれたようにその場にへたり込んだ。
「新一の行方…と言われてもなぁ」
我が子の交友関係はおろか、手がかりになりそうなことは何も知らなかった。
優作は卓上の電話を取り上げると、蘭の実家である毛利家に電話をかけた。
蘭の父・小五郎から蘭の連絡先を聞き出すことはできなかったが、蘭から優作に連絡をするように伝えてもらうことのはできた。
程なくして、卓上の電話が鳴り、蘭の声が聞こえてきた。
「ご無沙汰しております」
かつての舅に対し、蘭は礼儀正しく挨拶をした。
"元気そうだね?」
「おかげさまで。皆様、おかわりなく?」
「あぁ、みんな、元気でやってるよ」
優作の言葉を聞き、蘭はカチンときた。
すでに離婚したといっても、新一とは憎み合っていたわけではない。
むしろ、いまではたった一つの新一の秘密を共有する幼馴染という関係を築いている。
服部にも、そのことは言ってある。
秘密の内容までは言わなかったが。
服部もしばらく様子をみていたが、新一から蘭に連絡が来るようなことがなく、蘭も頻繁に連絡している様子はなかったので、良しとしていた。
服部が知る限り、蘭が新一に連絡を取ったのは、麻布の家が売れた、という報告の1回限り。
事実、蘭はその1回しか新一と連絡をとってはいなかった。
新一の秘密―――新一の居場所―――を唯一知る蘭は、新一が親にも居場所を知らせていないことを知っていた。
だから、優作が「みんな元気」と言ったときに、「みんな」の中には新一が含まれていないことに憤りを感じたのだった。
案の定、優作は先ほどの言葉とは矛盾することを尋ねてきたのだった。
「新一の居場所を知らないか?」
と……。
蘭はなんと返事をするべきか、しばらく考え込んだ。
何も言わない蘭に、優作は焦れたように言葉を続けた。
「蘭君も新聞で知ってると思うが、うちの会社が先日不渡りを出してね」
「はい、存じています」
「会社更生法の適用を受けようと思うのだが、それには新一を社長にするのが必須らしいんだ」
蘭は静かに怒りを感じた。
新一が何を悩み、なぜ蘭と結婚し、離婚したのか。
新一から全てを打ち明けられた蘭は、悲しみはしたものの、新一を恨むことなどできなかった。
でなければ、秘密を共有するなどというようなことはしなかっただろう。
蘭は、新一が快斗にも打ち明けられない秘密を蘭に託してくれたことを誇りに思っていた。
なのに、優作はこの期に及んで、新一の気持ちを理解しようと努力すらしないばかりか、会社存続のために新一が必要なのだと宣うのだ。
『KUDO』なんて潰れてしまえばいい。
一時は自分も籍を置いた会社を、蘭は完全に見限ったのだった。
「私、知りません」
蘭はきっぱりと答えた。
「離婚したい、と言ったのは新一の方からなんです。その後の居場所まで聞くような未練がましいことしたくありませんから」
「ならば、居場所を知っていそうな人物を知らないかね?」
「そんなこと聞かれても困ります。ご自分の子なんですから、お義父様のほうがご存知なんじゃないですか?」
「……………」
優作は言葉を失った。
我が子のことを何も知らないことに対する羞恥ではなく、なぜ阿笠に続き蘭までもが「親だから知っている」と思うのか理解できなかったのだ。
「悪かったね。じゃあ……」
優作は静かに受話器を置いた。
優作は半日考えて夕方近くになって再び受話器を取り上げた。
「もしもし、工藤ですが、黒羽氏をおねがいしたい」
受話器の向こう側が騒然となった。
なにしろ、渦中の人であり、この人物によって『Kaito Kuroba』は最大の危機に瀕しているのだ。
しばらくして、快斗が出た。
「これはこれは工藤社長、直々にお電話とはどんなご用件でしょうか?」
多分に嫌味を入れ込んだ慇懃無礼な受け答えを、優作はさらっと聞き流した。
「君は新一と仲がいいのか?」
「はい?」
快斗は思わず聞き返してしまった。
仲がいい、と言えばこれ以上はないというぐらいに仲はいいのだろう。
なにしろ、男同士でありながら身体の関係までもっているのだから。
だが、優作がそんなことを聞いてきたとは快斗には思えなかった。
「どういう意味でしょうか?」
「いや、君のブランドに新一はかなり入れ込んでいたようだったから、プライベートでも付き合いがあるのか聞きたいんだ」
新一は単なるブランドについているファンではない。
『KUDO』を代表して、『KUDO』と『Kaito Kuroba』に利益をもたらすように働いてきたのだ。
それなのに……。
(入れ込んでた……だと?)
快斗は呆れてしまった。
優作と新一が父子ということを考慮から外しても、自社の事業に対し社長である優作の認識がその程度でいいのか?ということに。
「プライベートの付き合いはありました」
「では、新一の居場所を知らないかね?」
「……なぜ、そんなことを聞くんです?」
優作は、蘭にしたのと同じ説明を繰り返した。
それが、快斗の逆鱗に触れるとも知らずに。
「申し訳ありませんが、私は新一の行方を知りません。私のほうが聞きたいぐらいです」
例え知っていたとしても、教える気にはなれなかった。
新一が自分の前から消えた一番の原因が、『家族』にあったことを快斗はすでに知っていたから。
「ところで、社長。今月の支払はどうなるんでしょうね?」
快斗は逆に自分にとって一番聞きたいことを優作に質問した。
「支払?」
「とぼけないでください。今月の売上のことです」
優作はとぼけたつもりではなかった。
自社のことで頭が一杯で、関連企業や取引先のことまで考えていなかったのだ。
「あ、あぁ。君に迷惑がかからないように善処するよ」
優作はそれだけ言うと、溜息をつきながら受話器を置いた。
快斗は優作との電話を終えると、スタッフに今日のところはもう上がるように言って、自分もアトリエを出た。
タクシーで麻布の家に帰ると、例の書斎でまた酒を飲みながら、考え事をしていた。
一つは『KUDO』との契約解除を早急に進める事。
快斗は、優作の言葉を聞いて一刻も早く『KUDO』と縁を切るべきだと感じた。
それには私憤も多分に含まれてはいたけれど、新一が『KUDO』に戻ることはないと強く確信していたから。
(『KUDO』の会社更生法に新一が欠かせないなら、『KUDO』が更生することはない……)
快斗は携帯電話を取り出すと、あるメモリーを呼び出して、電話をかけた。
「よぉ、俺。久しぶり。ちょっと、オメーに相談してぇことあんだけど明日時間取れるか?」
詳しいことは会った時に話すから、と手短にアポだけ取ると電話を切った。
もう一つは、新一のこと。
快斗は新一が大阪のプロジェクトに反対したときに言っていたことを思い出した。
『夢を見るのは悪いことじゃないさ。自分の名前を冠したファッションビルなんて、アパレルメーカーとしては悪くない夢だと思う。けど、経営者は食べさせなきゃいけねーんだ。夢を食って生きてはいけねーよ』
快斗はそれを聞いたとき、現実主義な新一らしい言葉だと思った。
けれど、快斗はいま実感する。
夢だけを食べさせつづけた結果がこれなのだと。
快斗はリモコンでオーディオのスイッチを入れた。
スピーカーから流れてきたのはヴェルディの『レクイエム』より第2曲『ディエス・イレ』。
残されていったオーディオセットのCDトレイに入ったままになっていた。
新一が好んで聴いていたのだろう。
快斗は新一を想う時、いつもこの曲をかけていた。
というよりも、この曲しかこの部屋で聴いたことはなかったのだ。Liber scriptus proferetur,
In quo totum continetur,
Unde mundus judicetur.
Judex ergo cum sedebit,
Quidquid latet,apparebit:
Nil inultum remanebit.
Dies irae, dies illa,
Solvet saeclun in favilla:
Teste David cum Sibylla.CDだけが取り残されていたため、歌詞にどんな意味があるのかはわからない。
けれども、重厚なメロディーは甘さのかけらもなく、蘭との生活を彩る目的でかけられていたのではないことが窺い知れる。
(この曲を聴きながら、新一は何を考えていたの?)
答えのかえるはずのない問いを投げかけて、快斗は目を閉じた。
新一……。
新一の本当の居場所はここだろ?
早く帰っておいでよ。新一といろんなこと話したい。
俺の夢を話すから。
新一の現実を見つめる瞳で、夢を叶えて。新一の夢を聞かせて。
俺が新一に最高の夢を見させてやるから。必要なんだ、新一が。
二人でなら、なんでもできるよ……。しんいち……。
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