
『MOON』のある青山のビルでは、連日スタッフ達のディスカッションが続けられていた。
「やっぱりマリエでしょ?『MOON』の顧客は80%がOLよ?彼女達の一番の関心はやっぱり結婚じゃないかしら」
「でも、結婚式は一度済んでしまったらおしまいよ?その後も引き続き顧客を放さないためには、まずファミリー層をターゲットとしたブランドが必要だと思うの」
「確かにブランドが必要だとは思うけど、ショーとしてはインパクトがたりなくない?」
「インパクトだけなら確かにマリエよね」初めて『KUDO』の力なしでのショーを行おうとする、『Kaito Kuroba』のスタッフ達はそれこそプライベートな時間を削ってでも、ショーを成功させたい一心だった。
「おはよ!」
かなり陽が高くなったころ、快斗は青山のアトリエに顔を出した。
「せんせ!どこにいらしたんですか?何度も携帯にご連絡したんですよ!」
血相変えて出て来た事務方のスタッフに、快斗は「ゴメンゴメン」と笑って返した。朝起きた時、あまりにいい天気だったので、ドライブがてら海を見に行ってきたのだ。
ほんとうならビーチにでも行きたい気分だったのだが、仕事を放っていくことはできないから、ベイエリアの公園でのんびりと時間を過ごしたのだ。
打ち寄せる波を見ながら、快斗は新一を想った。
(この海は新一の所へ繋がっている。波に乗せて想いを届けることができたら……。新一、早く戻って来て……)
あまりに乙女チックな想いに快斗は自分のことながら苦笑してしまった。
新一が海外にいるのはまず間違いない。
おそらくはパリかミラノ、あるいはニューヨーク。
いずれもファッション界をリードする街だ。
会社を辞めても、ファッションからは離れられない。
快斗の知る工藤新一という男はそういう男だった。
つてを使って行方を探すこともできるが、快斗はそうはしなかった。
新一を無理矢理連れ戻したところで、心に開いた風穴は塞がらない。
快斗は新一に自分の意志で戻ってきて欲しかったのだ。「せんせ!聞いてますか?」
「ん?あ、ゴメン」
すっかり自分の世界に浸っていた快斗は、改めてスタッフに謝った。
女性が多いスタッフの中で経理を担当する彼は数少ない男性スタッフだった。
「で、どうしたんだ?そんなに血相変えて…」
「一大事なんですよ!」
彼は快斗が悠長に構えているのに焦れて、大声を上げた。
「『KUDO』が不渡りを出しました」
彼の声にディスカッションに白熱していたスタッフ達が振り返った。
「どういうこと?」
「詳しいことはわかりません。ですが、会社更生法を適用されることはまず間違いないかと……」
「うちにどう関係してくる?」
「今月分の売上金が支払われないということになるでしょう」
ライセンス契約の形態にはいろいろあるだろう。
『Kaito Kuroba』の場合、青山を始めとするいくつかの直営店以外は『KUDO』が間に入っていた。
品物を『KUDO』に卸し、『KUDO』は全国のデパートなどでそれを展開する。
「こちらが『KUDO』に支払う分と相殺して、どれぐらいの損失が出る?」
「細かい計算はまだしていませんが、ざっと1億ぐらいにはなるかと……」
「1億か……」
他のスタッフも事の大きさに唖然としながら快斗を見ていた。
「とにかくできるだけ回収できるものは回収しろ。ショーの話はとりあえず中断だ。共倒れだけは避けないとな」
「はい!」
経理担当の彼は大きな声で返事をするとデスクへと戻っていった。
他のスタッフ達も、自分達がいま自分達がすべきことを次々と快斗と打ち合わせて持ち場へと戻っていった。
快斗はスタッフ達に指示を出し終えると、椅子に身体を沈めた。
(守りきってみせる、必ず……)
ここは新一が戻るための場所なのだ。
何が何でも守りきらなければならない。
快斗は頭に手を置きながら大きく溜息をつくと、カチリと煙草に火をつけた。
(新一……)
銀座にある『KUDO』の本社は大混乱をきたしていた。
なにしろ、昨日までは活気に満ちていたはずの会社が、今日は死に瀕しているのだ。
社員達は皆、ひっきりなしに鳴り響く電話の対応に追われていた。
どの部署でも昼を食べに行く暇などなく、事務職の女の子にコンビニへ買い出しに行ってもらった。
1000人以上の人が働く『KUDO』の本社である。
その凄まじさは、この日銀座中のコンビニから弁当がなくなった、と言われるほどだった。
ちなみに新一が改革した社食もすでに経費節減のためという理由で、安かろう不味かろうという業者に変わっていたし、その業者が倒産した(実際にはまだ倒産したわけではないが)会社に用はないとばかりに、仕入れた食材を持って引き上げていった。営業部の部員達が解放されたのは、10時を回ってからのことだった。
疲れきってはいたが、このまま家に帰る気にもなれず、誰からともなく同僚を誘い合わせて一杯飲んで行くことになった。
「ったく!どうしてこんなことになったんだよ!」
お疲れ、と重ねたジョッキをグビグビと煽るように飲み干し、タンッと音を立ててテーブルに置く。
愚痴を言っても仕方がないことは承知しているが、言わずにはいられないのは、皆同じだった。
「おい、誰かなんか聞いてねーのかよ」
上からのきちんとした説明もなく、総務から渡された応対マニュアルだけで一日を乗り越えた。
明日も同じ手が通用するとは思えない。
なんでもいいから情報が欲しいのだ。
「おい、山田の嫁さん経理だったよな?なんか聞いてねーのか?」
経理部の女性と社内結婚した男に視線が集中する。
「なんかって言われてもなぁ……」
視線を浴びせ掛けられた男は呟いた。
「やっぱ、アレなんじゃねぇの?」
隣に座っていた男が呟いたのを聞いて、山田と呼ばれた男は助かったとばかりに聞き返した。
「アレって?」
「ほら、うちの専務が入れこんでた……」
あぁ……、と皆が頷いた。
「そういや、うちのが言ってたよ。専務の伝票は『ほんと?』って思うのが多いってね」
アレとは、専務である白鳥が行っていた大阪のベイエリアに巨大なファッションモールを建てるプロジェクトのことである。
「ったくよ〜、使えない上司を持つと苦労するぜ」
「おいおい、そういうレベルの問題じゃねぇだろ?」
白鳥は彼等営業部の担当取締役でもあった。
「けど、責任問題じゃ済まねぇぜ?」
なにしろ会社の存続に関わっているのだから。
「そういや、噂だけど……」
栗原という男が声を潜めて呟くと、皆も頭を寄せた。
「新一常務の退職ってアレがからんでるらしいぜ?」
「どういうことだ?」
「取締役会で新一常務はあのプロジェクトに反対したらしいんだよ。ところが、取締役会は新一常務を除いて満場一致で賛成したんだと」
「マジかよ?」
「っていうか、そんな情報、どこで仕入れたんだ?」
「秘書課とは仲良くしとくもんだぜ?」
栗原には『合コンキング』というあだ名があった。
「しかし、それが本当だとしたら、うちで先見の目があったのは新一常務だけってことだよな?」
「あぁ……、新一常務、どこで何やってんだろうなぁ〜」
管轄の違う彼等とも、いや、彼等だけでなくどんな社員とも新一は仕事に対しては厳しかったが、偉ぶるところなく接してきた。
そういう新一に対して、好感を持つ社員は多かった。
『KUDO』の先行きが暗くなったいま、新一を慕う声はどんどん強くなっていくだろう。
この場に集った営業部の面々は、クールビューティーと言われた新一の顔を思い出して残っていたビールを飲み干した。
夕刊を見て、蘭は黙ってそれを眺めながら座っていた。
<アパレル産業の王者『KUDO』に会社更生法>
<時代に逆行した事業展開が祟る>
といった見出しが踊る記事はどれも肝心なことを伝えてはいなかった。
「気になるんか?」
服部がそんな蘭に声をかけた。
新一との離婚後、蘭はボストンバッグ一つで服部の元に身を寄せた。
いまだ結婚はしていないが、蘭は今度こそいい家庭を作りたいと健気だった。
「気にならないっていったら嘘になる……」
「実を言うとな……」
服部はいつになく真剣な顔をして蘭を見た。
「俺とこも関係しとんのや……」
「え?」
蘭は驚いたように服部を見た。
蘭は服部の本当の父親が工藤優作であるということを知っていた。
そして服部が優作を憎んでいることも。
だからこそ、『KUDO』のプロジェクトに服部が絡んでいるとは思ってもみなかったのだ。
「あの男を許した訳やない。せやけど、大阪進出の話は俺にとってもええ話やったんや。せやから、この話に飛びついたんや。まさか、こないなことになるとは思うとらんかったしなぁ……」
「どれぐらい被害があるの?」
「大したことない。協賛金ゆう名目でわずかに出資しただけやから」
蘭を不安にさせないために、服部はそう言った。
実のところはわずかになどという額ではない。
快斗とは違って、服部のブランド『H2』は家内制手工業のような小さなショップだ。
何から何まで服部がやらなければならない。
それに、新一とは違って服部には経営とは縁のない単なるデザイナーに過ぎなかった。
後日、この痛手がどんな事態を産むかなど及びもつかないのだった。
「平次君、大丈夫……。きっとうまくいくって!」
なんの根拠もない励ましではあったが、蘭の笑顔を見ているだけで、服部は事態が好転するかのように思えるのだった。
「おおきに……、蘭ちゃん」
服部はそっと蘭の肩を抱き寄せると、唇を重ねた。
『KUDO』の不祥事は海を越えて新一の元にも届いた。
「日本に帰る?」
日本の経済紙や業界紙のサイトを順番に何度も見て回る新一の様子に、マダム・ジレが声をかけた。
新一に何か気掛かりなことがあるのだということに気付いていたマダム・ジレは、新一に帰国を勧めた。
だが、新一は首を縦に振ろうとはしなかった。
「ここでやりたいことはまだまだありますから」
そう言っていた新一だったが、その次に入ってきた
<関連ブランド倒産の危機?>という見出しに、新一は心がぐらついた。
(快斗……、誰にも邪魔はさせねぇ……。快斗は、快斗のブランドは俺が守ってみせる……)
新一はマダム・ジレの元へと行き、ついに日本へ帰る決心をしたのだった。
「マダム、長期休暇を頂きたいのですが」
新一の申し出にマダム・ジレは一も二もなく、それを許可した。そして1週間後、マダム・ジレが手配してくれたエール・フランスのファーストクラスに、新一が身体を丸めて座っていた。
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