
アトリエに血相を変えた男が飛び込んできた。
快斗としては、この男が来ることは予測の範疇内だったので、それほど驚きもしなかったが、何も事情を知らないスタッフ達は冷たい視線を送っていた。
「く、く、く、黒羽君!!!き、き、君は一体何を考えているんですかっ!!!」
「落ち着けよ。ほら」
快斗が差し出したエヴィアンのペットボトルを押しのけ、さらに凄い剣幕で怒鳴りかかってきた。
「これが落ち着いていられますか!!!」
「なんで?お前のことじゃねぇだろ?」
「そ、それはそうですが……」
そう、当事者は快斗と青子であって、この血相変えて飛び込んできた男・白馬ではない。
だがこの白馬という男、そう簡単に引き下がるような奴でもなかった。
「いいですか、黒羽君!青子さんはですねぇ、いまが一番大切なときなんですよ!父親の君がそれぐらいのことわからなくてどうするんです!」
「わからないのはお前の…いや、お前達の方だよ。なんで血の繋がりだけで父親になんなきゃなんないわけ?」
「なぜそう無責任なんですか!」
「無責任って言われてもねぇ〜、気持ちいいからセックスするわけデショ?セックスに責任取れって言われたら気持ちよくなんないじゃん」
「子供に対する責任はどうなんですか?」
「俺、産んで欲しいなんて言ってないし」
「じゃあ、どうして青子さんと結婚したんですか!」
「う〜ん、若気の至り…ってとこかな?」
「なんでそういい加減なんですか!!!」
「だから、離婚しようって言ってるんじゃん」
まさに、話は堂々廻り、暖簾に腕押し、糠に釘、馬の耳に念仏である。
話が噛み合わないのは、二人が違う次元で話をしているからだ。
「青子から聞いたんだろ?認知だってするし、金だって出すけど、とにかく俺は父親にはなれないの」
「青子さんが可哀想だとは思わないんですか?」
「思ったところでどうにもなんないって。そうだ、白馬が慰めてやれば?ついでに父親になってやればいいじゃん。そうすれば、俺は父親になんなくて済むし、子供には父親ができるし、青子は寂しくなんないし、お前は好きな女と一緒になれるし。四方八方ま〜るく収まって、めでたしめでたし、ハッピーエンドだろ?」
パチパチパチパチと手を叩く快斗を呆れた様子で白馬は見た。
「そんな簡単な話じゃありませんよ」
白馬は大きな溜息をついた。
「簡単な話だよ。お前が一人で難しくしてんの。この話はここまで」
「黒羽君!」
「ところでさぁ、お前ニチメンにいるんだろ?なんかいい話とかないわけ?」
快斗は無理にでも話題を変えた。
白馬がなんと言おうと、快斗は考えを改めるつもりなどないのだから。
白馬も、これ以上言っても埒があかないと悟ったのか、快斗の話に乗ってきた。
「ないわけではないんですよ。いい新製品ができたんで先日、大手メーカーに持ってったら、直後に常務が突然退社してしまって……。サンプル預けたままなのにですよ?後任の方に聞いても、引き継いでないから知らないといって、宙に浮いてしまってるんですよ」
白馬の話には固有名詞こそ出てこなかったが、それが『KUDO』のことで、退社した常務というのが新一だということは一目瞭然だった。
「お前、新一に…、工藤常務に会ったのか?」
「え?えぇ……」
「いつ?何を話した?」
「え、えーとですね、ちょうど1ヶ月ぐらいまえでしょうか。新製品の話して……。工藤常務が君と組んでることは知ってましたから、黒羽君の話とかもしましたよ」
「俺の話?」
快斗の眉がピクリと動く。
「え、えぇ。高校時代のこととか、黒羽君がもうすぐ父親になるということも」
それだ!と快斗は思った。
新一は快斗が青子を大切にしないことを口煩く言っていた。
『家族コンプレックス』を抱えた新一には、家庭を大切にしない快斗が信じられなかったのだ。
快斗と身体の関係まで持ちながら。
それに以前聞いた服部との話がオーバーラップする。(バカ…だな……。俺にはお前しかいないのに……)
快斗はこの親友ヅラした高校時代のクラスメートを睨み付けた。
結局、このバカのおかげで新一はいらぬ不安を抱え、独りで悩み、姿をくらましたのだ。
そうとわかれば、快斗は白馬の顔など見ていたくはない。
「話は終わり。帰ってくれ、白馬。俺はお前と世間話してられるほどヒマじゃないんだ」
デスクの上の電話を取り、秘書に白馬が帰ることを告げ、カップを下げるように頼む。
そこまでされれば、まだ青子のことで文句の言い足りない白馬も引き下がるしかなかった。
「黒羽君、ちゃんと青子さんと話し合ってくださいね?」
最後にそう投げかけた言葉に、快斗の返事はなかった。
白馬が帰ったあと、快斗は何やらずっと考え事をしていた。
「先生、お先に失礼してもよろしいでしょうか?」
マネージャーが快斗に声をかける。
「あぁ、お疲れ……。あ、ちょっと待って。いま、誰が残ってる?」
「いま……ですか?主だったメンバーはほとんど。店長はもう帰りましたけど……」
「じゃあ、いまいるメンバー全員、呼んできてくれる?」
マネージャーは、快斗が珍しく真剣な顔をしているのを見て、何か一大事が起きたのかと慌てて同僚たちを呼びに行った。
集まったスタッフは、心配そうに快斗の顔を見ていた。
「あれ〜、なんでみんなそんなお通夜みたいな顔してる訳?」
その場に流れる重苦しい雰囲気に、快斗は目をパチパチさせてそう言った。
「先生、ふざけるのはやめて下さい。先生が急にみんなを集めるから何か起こったのかとみんな心配してるんです!」
みんなを呼びに行ったマネージャーがそう快斗をたしなめた。
「そっか…、みんな心配してくれてありがとう。でもそんなんじゃないんだ。みんなにちょっと聞いてもらいたくて……」
快斗はそこで一度言葉を区切ると、みんなの顔を見た。
「実は、ショーを開こうと思うんだ」
「この時期にですか?」
秋冬のコレクションはもう終わってる。
春夏のコレクションには早すぎる。
準備とかは一年ほどかけるから、そういう意味では一年中いつでもコレクションの準備に追われているのだが……。
「そういうコレクションじゃないよ。もっと小さくていいんだ。いつやるか、どこでやるか、みんなの意見を出し合ってもらいたい」
「え……?」
驚いたのはマネージャーだった。
いままで、コレクションは全て『KUDO』のスタッフたちが仕切っていた。
快斗側のスタッフたちはその中で衣装の管理やチェック、モデルの体型に合わせた直しなどを担っていた。
だから、会場やショーの進行などを手掛けることなどなかったのだ。
「先生、それは『KUDO』のスタッフにお任せした方がいいのではないでしょうか?」
プレス担当者がみんなの疑問を代表して口にした。
「……『KUDO』とは次の契約を更新しないつもりなんだ。しん……、工藤常務のいない『KUDO』にはなんの魅力も義理もないからね」
「せんせ……」
「みんなの負担が大きくなってしまうことはわかってる。けど、『KUDO』の力を借りずにどこまでできるのかを試してみたいんだ。みんな頼む……」
真剣な面持ちで頭を下げる快斗に、スタッフたちは一様に驚き慌てた。
「先生、頭を上げて下さい!私達全員、先生のデザインが好きでここで働いてるんです」
「そうですよ!やります!どこまでできるかわからないけど、頑張ります!」
口々にそう言ってくれるスタッフたちに快斗は心から礼を言った。
「ありがとう……、みんな」
「先生、先生が考えてらっしゃること教えて下さい」
「うん……。考えてるテーマは2つあるんだ。どっちがいいのか、自分でもよくわからない……」
快斗が椅子に身体を沈めると、スタッフたちも打ち合わせ用の椅子に腰掛けた。
それでも、数が足りない分は応接セットや事務デスクの椅子を引っ張ってきた。
「一つはウェディングをテーマにマリエのショーを考えている」
マリエとはウェディング・ドレスのことで、通常コレクションの最後に披露される。
「もう一つは、まだテーマだけで漠然としたものなんだけど……、『家族』ってテーマで何かしたいんだ」
『家族』
家族というものになんの憧憬も夢も持たない自分がこのテーマを持ってくるのは無謀なことだ、と快斗は思う。
けれど、『家族』というものにコンプレックスを抱いて、自分の元から逃げ出してしまった新一へ何かメッセージを送りたい。
その気持ちが、快斗をただ黙って新一が戻るのを待つということ抜け出させたのだった。
(新一……、新一のためのショーを開くよ……。見ててくれる……よな?)
どこにいるのかもわからない新一を思い、快斗は月を振仰いだ。
「Bonjour!」
新一は遠く海を越えたパリの空の下にいた。
「シン、またいつものカフェオレとクロワッサン?」
「あぁ、頼むよ」
すっかり馴染みになったアパルトマン近くのカフェで朝食を取り、仕事に向かうのが日課になっている。
仕事と言っても、新一は観光ビザしか持っていない。
逃げるようにして日本を出た新一には、就労ビザを取っているような時間はなかったから。
それに何か目的があったわけでもない。
ただ新一はファッションと関わりを持っていたかっただけだった。
それが自分と快斗を結ぶ残された唯一の絆だったから。
ミラノではなくパリを選んだのも、ここが快斗にとっても『聖地』といえる場所だったからだ。
新一の目標は快斗を日本で二番目のクチュリエにすること。
そのためには、自分のプライドすら捨てる覚悟でいた。
『KUDO』という後ろ盾を失った新一に何ができるのかはわからなかったが……。
だが世の中、何が幸いするかわからない。
『KUDO』という会社組織の中にいた新一には、何をするにもその看板が付きまとってきた。
だから、会社組織という色がついた交友関係を望まないものも多いのだ、ということを新一はいままで知らなかったのだ。
特に上流階級の御婦人方などは……。
「シン、そちらが終わったらネットの記事をチェックしておいてもらえるかしら?どうも機械は苦手なのよ」
「Oui、マダム・ジレ」
新一はにっこりと笑って答えた。
その笑顔には、数カ月前の苦悩の様子は全く伺いしることなどできなかった。
新一はマダム・ジレというフランスにおけるファッション業界の御意見番ともいうべき人物の元で働いていた。
身分としては、雑用係というようなもので、いわばバイトのようなものであった。
金銭的にも安アパルトマンで最低限の生活をしていくのに充分という程度のものであったが、お金に代えられない報酬があるのだった。
ここには、パリだけでなく世界中のモードの最新情報が集まってくる。
遠く離れた日本のことも……。マウスを軽やかに扱いながら、次々とブックマークを開いていく。
必要だと思われる記事はプリントアウトする。
忙しなくマウスを動かし、キーボードを叩く新一の手がピタッと止まった。
それは日本の業界紙のホームページだった。
ヘッドラインに大きく書かれた『Kaito Kuroba』の文字に、新一は釘付けになっていた。
しばらくして、カーソルを宛ててクリックすると、画面に詳細が現れる。
やがてモニター上に記事を写した文字とともに、快斗の写真が現れた。
(快斗、頑張ってるんだな……)
新一は記事を一読すると、それをプリントアウトする。
レーザープリンターから掃き出された紙をじっと見つめ、やがて大事そうにきれいに折り畳んで手帳に挟む。
そして、何ごともなかったかのように、再びマウスを動かしては、キーボードを叩いていった。
モニターに浮かぶ文字はなぜだか滲んで見えた。
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