
新一が姿を消して半月もすると、快斗は何もなかったかのように仕事をしていた。
マネージャーはホッとしたように狂ったスケジュールを調整しなおし、快斗は再び多忙な毎日を迎えていた。
だが、それはあくまで表面上のことだった。
いつまでも酒に溺れているわけにもいかない。
快斗にそう思わせたのは、他でもない哀だった。
哀は快斗にこう言ったのだ。
「新一さんがどこにいようと先生のこと忘れられないようにするには、どこにいても嫌がおうにも先生の名前が聞こえてくるようにするしかないんじゃないかしら」
弱冠17歳とは思えない静かな啖呵に、快斗は横っ面を殴り飛ばされたような心地がした。
とにかく仕事に打ち込む以外はないのだ。
いままでのように仕事に逃げるのではなく、いつか新一を再びこの手に抱くために。
新一に相応しい男でありつづけるために―――。快斗は昨日までとは別人のようにデスクに向かい、デザイン画を描いた。
ほとんどは『MOON』のためのデザインであったが、その日の終わりごろになると別のスケッチブックを取り出して数枚のデザインを描いた。
それは新一をモチーフとしたと言っていた『SIN』と書かれたスケッチブックだった。
快斗は一日の終わりにその日新一に着せてみたいと思った服をデザインしたのだ。
ビジネススーツやフォーマルスーツ、カジュアルなカラーシャツやニット、果てはパジャマやバスローブなんていうものまで、なんでもデザインした。
新一のいない乾いた日常の中で、その時間だけが僅かに潤いを含んでいた。
「さて、そろそろ帰るか」
快斗はスケッチブックを閉じて鞄にしまった。
アトリエを出ると、快斗は夜の青山通りを歩いていた。
久しぶりに新一とよく行ったあのバーに行こうかと思ったのだ。
新一にすっぽかされたあの夜を最後に、快斗はあの店には行っていなかった。
気分良く歩き出した途端に背後から快斗を呼ぶ声がした。
「黒羽君!」
振り向かなくとも快斗には誰だかわかった。
偽善者面したおせっかい野郎だ。
せっかくいい気分になれそうだったのに、ぶち壊しにしてくれた。
快斗は、声を無視して歩きつづけた。
小走りに走り寄ってくる足音が聞こえる。
さらに呼び止める声とともに、腕を捕まれた。
「黒羽君!待ってください!お話があるんです!」
「俺にはお前と話すことなんかねーもん」
「君になくても僕にはあります!」
「それを聞いてやらなきゃなんない義務もないと思うけど?」
「青子さんのことです」
またか…と快斗は思う。
この男が現われるのはいつも青子のことばかりだ。
こんな男に相談する青子も青子だと思うが。
下心見え見えなのだ、この男は。
まだ高校生だったころから、青子に取り入ろうとして姑息にもお友達を続けているのだ。
そんなに好きならそう言やぁいいのに、熨斗つけてやるから。
高校生同士の幼い恋に結婚というピリオドを打った、快斗は自分の気持ちが勘違いであったことを悟った。
愛していないことがわかってる女と一つ屋根の下で夫婦ごっこができるほど、快斗は性悪ではなかったから、家にはほとんど帰らなかった。
それが青子を悩ましているとはわかっていても、他にどうすることもできなかった。
その青子の元にこの男は足繁く通い、青子の愚痴を聞いてはそれを快斗に伝えに来るのだった。
「いいかげんにメッセンジャーボーイはやめたら?」
掴まれた腕を振り解きながら快斗は白馬に皮肉っぽく言った。
「僕はそんなつもりで君のところに来てるのではありません!」
「じゃあ、どんなつもりなんだよ?」
「青子さんがかわいそうなだけです」
「ケッ、よく言うぜ」
世界中で注目されているトップデザイナーとは思えないような、砕けた口調で吐き捨てた。
「お前が青子のところへ行くのは、青子に惚れてるからだろ?」
「ち、違います」
白馬は慌てて否定した。
白馬の想いは秘められたものでなくてはならなかった。
二人が結婚したときに誓ったのだ。
二人の……彼女の幸せを一生見守るのだ、と。
しかし、そんなことは快斗にはバレバレであった。
「と、とにかくですね、青子さんのところに帰ってください。彼女じゃいまが一番大切な時なんですよ」
「俺にはかんけーねーよ」
「関係ないって……。君はお腹の中の赤ん坊の父親なんですよ!」
「俺はそんなもんになりたかねーの」
それは快斗の本心だった。
子供なんて望んでなかった。
家庭なんて欝陶しいだけだった。
青子を抱いたのだってほんの気まぐれにすぎなかった。
それで妊娠したからって家庭に縛り付けられるなんて、いいパパなんて真っ平御免だ。
青子が産みたいなら勝手にすればいい。
金が必要なら必要なだけ用意してやる。
いま、自分が欲しいのは新一だけだ。
快斗はそう思っていた。
「なんて無責任な……」
白馬は呆れたように呟いた。
「青子さんはいつもお腹の子に話し掛けてますよ。パパは世界一のデザイナーなのよ、って」
快斗はピクリと眉を顰た。
そして憮然としながら言った。
「わかったよ。とにかく帰ればいいんだろ?」
「わかってくれたんですね!」
白馬は嬉しそうに快斗の手を握りこんだ。それが大きな誤解だと気付いたのは、その翌日のことだった。
「ただいま」
「快斗?おかえり〜!ほら、パパでしゅよ〜」
随分と目立ち始めたお腹を摩りながら、青子が奥から出てきた。
快斗はそれを冷たい目で見ていた。
青子の大きくなってきたお腹を見ても、なんの感慨も感じない。
むしろ忌々しさすら感じていた。
「どう?青子、お相撲さんみたいでしょ?」
「あぁ、そうだな」
「ひっど〜い!そういう時には、ウソでも『そんなことないよ』って言ってくんなくっちゃ」
「あぁ」
母となろうとしているのに変わらぬ無邪気さに、快斗は笑いもせずに相槌を打った。
靴を脱いでそのまま青子の横を通り過ぎる。
「快斗?」
「とりあえずメシにしようぜ。あるんだろ?」
「うん!」
青子は嬉しそうに笑った。
いつもの快斗じゃない……と思ったのは気のせいだったのだと思って。
それが間違いだと知ったのは和やかな夕食の後だった。
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