「ん……ゃあっ………」
「蘭?どうした?大丈夫か?蘭っ!」
夢に魘されている蘭の肩を掴み、新一は揺り起こした。
揺さぶられて、目を開けた蘭はぼんやりと目の前の顔を見た。
(誰……?お父さん……?違う…。これは、し…ん…い…ち………)
突然、蘭の脳裏に先程見た光景が押し寄せてくる。
「いやぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」
「蘭!どうした?」
蘭は自分の肩を掴んでいた新一の手を思いきり振払った。
「蘭?」
「触らないで!その汚らしい手で私に触らないで!」
「蘭!」
「近寄らないで、汚らわしい!アンタなんか大っ嫌いよ!!!」
そう叫んだ蘭はそのまま、部屋を飛び出していった。
結局、一睡もしないまま新一は出社した。
あのあと、蘭がどうしていたのか、新一は知らない。
ただ、キッチンの隅で蹲るようにして寝ていた蘭に、毛布をかけて家を出た。
「おはようございます、常務。今朝はお早いんですね」
本社ビルの最上階にある自分の執務室に入ると、秘書がにっこりと笑って挨拶してくる。
「あぁ、ちょっと気になることがあってね。そうだ、黒羽君のスケジュールを調べておいてくれないか?」
「デザイナーの黒羽快斗さんですね。わかりました。本日のご予定ですが…」
スケジュールの確認をしてくる秘書の声を新一は上の空で聞いていた。蘭を愛していないわけではない。
恋とか愛といった感情を知る前の、幼い頃からの付き合いだし、この上もなく大切な存在であった。
誰にでも好かれる明るい性格の蘭に思いを寄せる者は多く、その中でもっとも近い場所にいた新一は優越感に浸っていた。
そして、それが恋だと思っていた時期もあった。
だが、新一は出会ってしまったのだ。
黒羽快斗に。
誰よりも自分を理解してくれる存在に。
新一にとって快斗は一言では言い表せない存在だった。
戦友。
盟友。
パートナー。
恋人。
そのどれもが新一と快斗の関係を表す言葉であり、またどれもがそういう関係ではなかった。快斗と出会ったのは5年前だった。
新一は父・優作が経営するこの会社に就職したばかりだった。
将来、この会社の全てを引き継ぐものとして相応しいかどうか、それを他の役員や取引先に、そして何よりも父に認めさせるためのテストとして、いきなり新ブランドのプロジェクトチームを任されたのだった。
新一は1週間で社員の中からこれはと思われる人材を選び出し、自分のプロジェクトチームに引き込んだ。
彼等を使って、コンセプトを立ち上げ、そのイメージを形にできるデザイナーを探した。
数十人に上る候補者のショーを片っ端から見て回り、実際に会って話をした。
だが、すでに世に出ているデザイナー達とはいろんな面で折り合いがつかず、途方に暮れていた時に、売り込みにきたのが快斗だった。
本来なら、そんな売り込みに応対するのは新一の仕事ではなかったが、たまたま通りがかって見せられたデザイン画に自分がイメージしていたものを見つけた。
そして、ありとあらゆるテーマでデザインを起こさせた。
まだ、無名だった頃から、快斗はプライドが高く、決して妥協を許さなかった。
快斗は何度も討論を重ね、コンセプトを完璧に理解しようと努めた。
そうして、何度も顔を合わせる内に、一緒に飲みに行くようになった。
プライベートでの付き合いを重ねていくと、新一は快斗が自分と同じ考えを持っていることに気付いた。
それだけではない。
快斗の人間としての魅力、とでもいうのだろうか。
いつも何かに飢えたように前を見据え、獲物を探しているような瞳。
デザイナーというよりはモデルのほうが似合っているのではないかと思うようなしなやかな体躯。
決して人に譲ることのない、孤高な魂。
新一はそうしたものに魅せられていったのだった。
そして、ある日。
ホテルのバーで飲んでいた時のことだった。
「新一ってさ、その辺の女よかよっぽど綺麗だよな」
「はぁ〜?なに気色悪いこと言ってんだよ。俺は男だぞ?」
「わかってるよ。でも、新一が綺麗だってのは事実だよ」
「男が綺麗だって言われて喜べるか!」
「なに?新一はデザイナーの美意識をないがしろにするわけ?そんなんじゃ、一緒に仕事なんてできないよ」
「うっ…それは…」
「ねぇ新一、俺に喰われてみる気、ない?」
快斗が幼馴染みの青子という女と学生結婚しているのは知っていた。
それだけじゃない。
相当なナンパ師で、とっかえひっかえ女を弄んでるのも、快斗の口から聞いていた。
だけど…、快斗の飢えた獣のような瞳に射竦められて、新一は動けなくなった。
(喰われる…、快斗に…。俺は?俺は何を望んでいる?)
不敵な笑みを浮かべて、新一の顔を覗き込む快斗をキッと睨みかえした。
「OK?」
ホテルのキーをちらつかせながら、そう聞いてきた快斗に、新一は答えた。
「試してみろよ、そう簡単に喰えはしないぜ」
「上等だ」
二人はスツールから腰をあげると、スイートルームのある最上階へと消えていった。
その後、快斗はセンセーショナルなデビューを遂げ、プロジェクトは大成功を納めた。
あれから5年。
新一は着実に社内での評価を得て、いまでは常務に昇格した。
そして、快斗もコレクションの度に拍手喝采を受け、いまや『KUDO』の売上トップを誇るトップデザイナーへとのし上がっていったのだった。
「……む?常務?聞いてらっしゃいますか?」
「え?あ、ゴメン。ちょっと考え事をしてた」
「もう!」
「悪かったよ。そんなに怒らないで。きれいな顔が台無しだろ」
「あら、そんなことおっしゃいますと、奥様に言い付けますわよ。では、特にご用がなければ失礼いたします」
「あぁ…」
秘書が出ていった扉を見つめながら、新一は呟いた。
「奥様…か…」新一にとって、蘭は家庭の象徴だった。
いまや大手として急成長を遂げた『KUDO』も新一が子供の頃は新興の小さなアパレル企業だった。
もともとデザイナー志望だった母・有希子がモデルを辞め、父と一緒に興した会社だ。
父が先祖から受け継いだ財産があったから、資金はなんとかなったものの、会社を支えていくというのは、並み大抵のことではない。
会社が大きくなるにつれて、付き合いの量も増え、新一はいつでも広い家で独りだった。
日頃は通いの家政婦がいたが、その家政婦が休みの時は、母の友人の家に預けられた。
その家にいたのが、蘭だった。
小さい家ながらも、両親がいつも家にいて、楽しく食卓を囲んでいた。
決して美味しい食事とは言えなかったが、大勢で囲む食卓はそんなことが気にならないくらい楽しかった。
自分達が中学生になる少し前に、蘭の両親は別居した。
それはぐうたらな亭主に一念発起して欲しいという、愛情の裏返しであったことは歳を経るごとにわかってきた。
そのぐうたらな父親を支えて、蘭はよく家庭を切り盛りしていた。
そんな蘭を新一はずっと見てきたのだった。「そろそろ新一も企業人として、身を固めないとな」
そう、父に切り出された時、まっ先に浮かんだのは蘭のことだった。
だから、蘭にプロポーズした。
そして、結婚を前提とした交際が始まり、先月ハワイで挙式をした。
蘭は新一に家庭の安らぎを与えてくれた。
それは新一が知り得ることのなかった感情だった。
新一はそれを大切にしたいと思っていたから、蘭を大切にした。
快斗との関係を続けたままで…。
(選ばなくっちゃなんないのか?どうしても、どちらかを選ばなくっちゃ…。どちらも失いたくない…)
コツコツとドアをノックする音に、新一は我にかえった。
「どうぞ」
「失礼します。常務、黒羽さんのスケジュールの件ですが」
「あぁ」
「コレクションの打ち合わせのため、本日から4日間の予定でパリに行かれます。うちの吉田が同行してますので、お急ぎでしたら連絡をとりますが」
「そうか…。いや、急ぎではないから、彼が戻って来る日にアポをとっといてくれ」
「わかりました」
秘書が退室した一人の部屋で、新一は思った。
蘭と話がしたい。
蘭が聞きたいというなら、包み隠さず話そう。
きちんと正面から向き合おう。
そうだ、蘭の好きなEmileのアップルパイを買って帰ろう。
新一は予約を入れるために、受話器を取り上げた。
なんか、ノーマルな要素が強いかも…。でも、快新ですから(笑)。BACK RED-INDEX NEXT