
週が明けた月曜日、午前中の部長会を終え、新一は社員食堂で簡単な昼食を取っていた。
その時、胸の内ポケットの中で新一の携帯電話が鳴った。
ディスプレイに表示された名前を見て、新一は微笑みを浮かべて通話ボタンを押した。
『氷の微笑』と秘かに称された冷徹な常務の、心からの微笑を見た周囲のどよめきをよそに。
「どうした?」
『わりぃ、仕事中だろ?』
「いや、ランチタイムだから平気だ」
『そっか。新一、今夜時間とれるか?』
「あぁ、7時には身体が空くと思うけど?」
『じゃあ、いつものバーで待ってるから、来てくれないか?』
「了解」
手短に用件だけで通話を切る。
ディスプレーの表示に出た時間を見ると、新一は慌てた。
来客まであと10分しか残されていない。
まだ皿には食事が残っていたが、それを食べずに新一は席を立った。
興味津々で新一の方を見ていた社員達は慌てて視線をそらした。
執務室に戻ると秘書が、来客がすでに見えていることを新一に告げた。
「お待たせしました」
新一が部屋に入ると、ソファに腰掛けていた人物が立ち上がって会釈をした。
純粋な日本人ではないのだろう。
蜂蜜色の髪がとっても印象的だった。
「初めまして。この度、御社を担当させていただくことになりました、ニチメンの白馬探です」
ニチメンはアパレル・繊維業界を中心にしている商社である。
そのニチメンが先日とある紡績会社と共同開発した新素材が業界の話題となっており、『EYE』ブランドで使用することを考慮して、アポを取ったところ、早速担当者を決めてご挨拶に伺うという返事が返ってきた。
白馬と名乗った青年は、見たところ新一と同年代と思える。
名刺を見ると、営業第一部第一課主任とある。
ニチメンほどの規模の会社としては、異例の出世ではないだろうか。
よほど優秀なのだろう、と新一は思いながら、椅子を勧めた。
白馬は早速、鞄の中からサンプルを取り出し、説明を始めた。
「いかがでしょうか?」
「面白い素材ですね。このサンプルはお預かりしても?」
「もちろんです」
「では、あとは、デザイナーと相談して採用するかどうか決定させていただきます」
「デザイナーというと、黒羽君ですか?」
新一は「え?」という表情で白馬を見た。
初対面の人物から、快斗の名前が――それも親し気に――出るとは思っていなかったのだ。
「なぜ、黒羽氏だと?」
「失礼しました。工藤常務が黒羽君を世に出したと聞いておりましたので、個人的にもぜひお会いしたいと思っていたのですよ」
実は、彼とは高校時代のクラスメートなんです、と誇らし気に白馬は語った。
「そうでしたか。この素材に注目したデザイナーは黒羽氏ではないんですが、彼も非常に推している人物ですよ」
「黒羽君は、高校在学中から一風変わったところがありましたからね。いつかこうして世に名を轟かせると思っていましたよ」
「そうなんですか」
新一はビジネススマイルを崩さずに答えた。
内心では、なにかしら言い様のない複雑なものを感じていた。
自分の知らない快斗を語る、目の前の人物が腹立たしく思えた。
白馬はそんな新一の心情も知らず、ペラペラとまるで自分のことのように、快斗のことを話した。
「黒羽君は昔から女性関係が派手なんですよ。ですから、僕も青子さんのことが心配なんです」
快斗の妻・青子が元クラスメートだということは、新一も知っている。
女性関係が派手なのは、いまもなおマスコミに噂されているから気にもならない。
特に中傷めいたようにも聞こえないから、本気で青子という快斗の妻のことを心配しているのだろう。
だから、新一は白馬の話を聞き流していた。
「ですけど、さすがの黒羽君もこれからは家庭を大事にせざるを得ないでしょうね。なんせ父親になるのですから」
新一の眉がピクリと動いた。父親……?
快斗が……?
誰の……?
子供の……?
子供……。
快斗の妻に、子供が……。
「工藤常務、どうかされましたか?」
「いえ、そうですか。黒羽氏に子供が…。何かお祝を差し上げないといけませんね」
内心の動揺を隠して、新一は微笑の仮面を張り付けた。
「申し訳ありません、そろそろ次の会議が始まりますので、失礼いたします」
「これは、お忙しいのに個人的な話で失礼いたしました」
白馬が立ち上がって、部屋を出るのを見送った。秘書が、お茶を下げに部屋に入ってきた時、新一は椅子に座って、目を瞑っていた。
「常務?」
明らかにいつもの様子でない新一を見て、秘書が心配そうに声をかけた。
「すまない、ちょっと気分が悪いんだ。午後の予定をキャンセルしてくれないか?」
快斗はその夜、いつものバーで新一が現れるのを待っていた。
だが、バーが閉店する午前2時になっても、新一は現われなかった。
快斗は、アトリエでさらに新一を待った。
それでも、新一は姿を露さないどころか、連絡すら寄越さなかった。
そうして、そのまま夜が明けた。
ちょっと短かめだけどキリがいいのでここまで。BACK RED-INDEX NEXT