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この話はパラレルな設定となっています。
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深夜になってから、蘭は帰宅した。
麻布の家は暗いままで、新一が帰宅していないのは扉を開ける前からわかっていた。
それでも蘭は、何かから身を隠すように家の中に入り、バスルームへと駆け込んだ。
(どうしよう…)
洗っても落ちることのない紅い刻印をこすりながら、蘭は途方にくれた。

意識を取り戻したとき、蘭は服部の腕に抱かれていた。
驚いてパニックを起こしたが、服部に強く抱きしめられ、優しく髪を撫でられ、「愛してる」と囁かれるうちに、なんともいえない心地よさを感じたのだ。
それらは、いずれも新一との結婚生活では得られなかった感覚だった。
暖かく逞しい腕に抱きしめられるというのは、なんて幸せなことなのだろうか。
蘭は自分の気持ちが急速に服部に傾いていくのを自覚していた。

だからこそ、困るのだ。
形ばかりの夫婦ではあっても、自分はもう人の妻なのだ。
いまさら、服部に心を奪われても、もうどうにもならない。
それに、新一は服部を良くは思っていない。
だから、蘭が服部に抱かれたことを、服部に心が傾いていることを知られたら…。
蘭には、何よりもそれが怖かった。







一方、服部は薄暗い作業場で呆然としていた。
(どういうことや…?)
あまりにも情緒不安定に陥っている蘭が愛しくて、勢いで抱いてしまった。
蘭も最初は抵抗を見せていたが、次第に自ら求めるようになっていた。
だから、あれが無理矢理だったとは思わないし、心配もしていなかった。
すぐに離婚は無理でも、いずれ蘭の全てを手に入れようと思っていた。
それよりも、いま気掛かりなのは作業場のソファに僅かに付いた赤いシミのことだった。
(蘭ちゃんがバージンやなんて…、そんなアホなことが…?)
蘭が新一とのことで何か思い悩んでいるのは気付いていたし、あの不安定な状態もそのせいだろうとは思っていた。
だが、仮にも二人は夫婦なのだ。
親同士が決めた政略結婚ではないことは、服部も知っていた。
新婚生活はわずかとはいえ、その前に1年もの婚約期間がある。
いまは夫婦として上手くいっているとは言えないようだが、いくらなんでも、ただの一度も性交渉がないとは思えなかった。
しかし、あれはどうみても処女の証であった。
とするならば、信じられないことではあるが、やはり蘭は処女だったのだ。
となれば、自分にも勝機が生まれたと服部は思った。
(工藤と話せな、ならんようやな…)
蘭を完全に手に入れるために。



















『KUDO』本社の地下1階にある社員食堂。
新一は会食の予定がないときはほとんどここを利用していた。
まだ役員に名を連ねたばかりの頃、新一は社員の福利厚生の全面見直しを図った。
社員が本当に必要としているものを残し、それ以外は売却したり、契約を打ち切ったりした。
そのために新一は各セクションの女の子たちと日替わりで昼食を取った。
その収穫は多かった。
彼女達の不評を一番にかっていたのが、社員食堂の不味さだった。
そして新一は社員食堂の改革に乗り出したのだった。
それまで業者に丸投げしていたのをやめ、料理人を雇った。
それも和、洋、中と3人。
いずれも腕はいいが、こだわりが強すぎるあまり師と衝突して店にいられなくなったような者ばかりだ。
新一は彼等に普通より安い契約料で契約を申しでた。
ただし、歩合給としてその月に一番人気があった料理人に対し、法外な手当が支払われた。
社員食堂の人気はあがった。
銀座という一等地にありながら、外へ食事に出る社員は少なかった。
食べに出るよりもはるかに美味しい食事が、その半分の値段で食べられるのだから。
もっとも、新一を除く他の役員は、「社員食堂を利用するなど役員としての沽券に関わる」などとバカなことをほざいていたが…。
利用者が増えたことにより、厚生福利費は法外な手当を支払ってなお、大幅に節減された。
また、残業が多い部署からは「24時間とは言わないから、せめて深夜0時まで営業して欲しい」という要望も出て、交渉の結果和、洋、中が交代で深夜までの営業を勤めることになった。
新一の手腕は役員よりも一般社員から高く評価された。

社員食堂は現在新一の手を離れているが、その方針は後任者に引き継がれつつがなく営業されていた。
新一がここをよく利用するのも、自分が手がけた最初のビッグプロジェクトであったという愛着心と一般社員からの情報収集のためだった。
「一緒していいか?」
「あ、常務!」
「もちろんです」
新一は営業部の中堅が数人いるテーブルへトレーを持って近付き話し掛けた。
彼等は少しずつ席を詰め、新一のために場所を空けた。
「新一常務はどうして役員食堂を利用しないんですか?」
社員達は、社長や副社長と同姓の常務を呼ぶ時、必ずこう呼んでいた。
新一も、常務などと堅苦しく呼ばれるのは好きではなかったから、こう呼ばれることはむしろ大歓迎だった。
「ここへくればこうして君たちのように管轄外の社員と話ができるだろ?」
「そう考えられること自体、同じ常務だってのにうちの常務とは偉い違いですよ」
営業部は同じ常務である白鳥の管轄である。
白鳥は、まっすぐにエリートコースを歩いてきたような人物で、自分は特別であると自負している。
白鳥が一般の社員食堂を利用するなど、まずありえないことだろう。
「常務、気をつけてくださいよ。うちの白鳥常務がなにやら画策してるようですからね」
「画策とは聞き捨てならないな」
「新一常務は、白鳥常務にとって目の上のたん瘤ですからね。追い落とすために、なにしでかすか…」
「新一常務あっての『KUDO』ですからねぇ」
新一は話がエスカレートしていくのをやんわりと嗜めた。
社員食堂には、いろんな社員が出入りする。
彼等は白鳥常務の配下でありながら、新一に肩入れしてくれているが、皆がそうというわけではないからだ。
「それより、大阪のアミューズメントの件ですが…」
「大阪?アミューズメント?」
新一は覚えのない話に眉を寄せた。
「あれ?新一常務、聞いてないんですか?」
「どんな話だ?」
「白鳥常務が社長と進めているプロジェクトです」
大阪は日本国内でも独特の文化を持っている。
東京でヒットしたものが、大阪でも必ずヒットするというわけではない。
『KUDO』も海外に進出するようになって、ようやく大阪でも認知されるようになったが、関西圏の売り上げは『KUDO』全体の10%にしか及ばない。
その大阪に、白鳥常務は『KUDO』のプロデュースによる巨大アミューズメントを作り、そこに『KUDO』の息のかかったブランドばかりをテナントさせようと考えているのだった。
「ようするに、人が集まる箱を用意して、自社ブランドとテナント料で稼ごうというわけだな」
「そうなんですよ」
「で?」
新一は話の先を促した。
「もう土地は押さえてあって、設計も進んでるんです。一部はすでに着工してるようなんです。一方で僕達営業部はテナント集めに回ってるんですがね、そのリストの中にうちとは全然関係ないブランドがあるんですよ。新一常務はライセンス事業を管轄してらっしゃるから、どういうことか御存じなんじゃないかと思って…」
「そのリスト、いま手元にあるかい?」
「写しでよければ…」
一人が手帳を胸ポケットから取り出して、そのページを開いて新一に手渡した。
新一がリストに目を通すのを、営業部の面々は固唾を飲んで見守っている。
縮小コピーを貼りつけたそのページにざっと目を通して行くうちに、ある一点で新一の目が止まった。
「これか…?」
隣に座っていた男に指で指し示して、問いただす。
「そうです」
新一の指先にある文字は『H2』。
服部のショップの名前だった。
「確かに『H2』はいまティーンエイジャーに人気ですし、そこのデザイナーは大阪の出身だと聞いています。ですから、大阪で間違いなく売れるとは思いますが…」
「いままで何の取り引きもないところを、いきなり言われても…」
「それにこの一社だけ、というのがどうも解せなくて…」
「白鳥常務には聞いてみたのか?」
「もちろんです。ですが…」
口籠る社員に新一はニッコリと笑いかけた。
「遠慮することはないよ。そんなことしてたらビジネスはできない」
「はい…。白鳥常務は『社長の要望だ』とくり返すだけなんです」
「………なるほどね」
顎に手を置いて、なにやら考え込んでいる新一の姿を、彼等は縋るような目で見つめた。
「わかった。俺の方でも調べてみることにするよ。何かわかったら連絡を入れる」
「ありがとうございます」
「あ、すみません。午後一、会議なんでこれで…」
一斉に席を立って、彼等は立ち去っていく。
新一は冷えかかったチキンソテーを口に放り込みながら、いま聞いたばかりの話を考えていた。
(どういうことだ?これだけのビッグプロジェクトが役員会の承認もなしにすでに着工されてる?それに、あのリスト…。なぜ、うちの稼ぎ頭である『MOON』の名前がないんだ?それに『H2』だと?父さんは、いったい何を考えてるんだ?)













新一は多忙を極めていた。
灰原哀のデザイナーデビューを果たす新ブランド設立のプロジェクト。
それに触発された快斗が打ち出した、ホテルとのコラボレート企画。
そして新たに加わった、大阪のアミューズメント・プロジェクトの裏側を内偵する件。
これ以外にもライセンス事業に伴う、業務はいくらでもある。
新一は、『家庭』を忘れて仕事に没頭していた。






相変わらず、快新度低いです…。


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