スイス―――人口712万人、面積は北海道の約半分にあたる41284kuというヨーロッパの小国。
そのほぼ真ん中にヨーロッパ最高峰のユングフラウがある。



「なんで、こんなとこなんだよっ!」
新一は、一歩一歩柔らかな雪を踏みしめながら、聳え立つユングフラウを登っていった。
夏ならば、観光地として賑わい、ケーブルカーで楽に登っていけるが、いまは3月。
遠い日本ならそろそろ春の訪れを感じる頃だが、ここはスイス。
しかも、永世中立国の防御を担うスイスアルプス。
春の訪れどころか、降り積もった雪に覆われ、閉山中。
当然ケーブルカーも休業中である。
しかも、ユングフラウは吹雪いていた。
新一がなぜそんなところを歩いて…というか登っているかというと、そこに快斗がいる…ハズだからだ。
それも、かなり危険な状態で……。






白き怪盗は白銀に消える

-3-






快斗の家の隠し部屋で見つけた黒縁のメッセージカード。
そこに書かれた暗号を解いた新一は、翌日からあれこれと準備を始めた。
まずは、冬山登山の用具を揃えること。
それから、スノーボードをメンテナンスした。
エアのチケットを押さえ、ホテルの予約をする。
幸い、暗号に書かれた日付までは、十分すぎるほどの日数があったので、準備にたっぷりと時間をかけることができた。
こんなに時間があるのに、なぜ快斗は慌てたように姿を消したのか。
新一はそれを疑問に思ったが、すぐに答えを導いた。
(俺……、のせいなんだろうな。多分……)
直接、快斗の家にメッセージが届けられたということは、敵に快斗が怪盗キッドだということがバレているということだ。
どこまで快斗のプライベートが知れているのかはわからない。
だが、黒羽快斗という名前が知れた以上、その交友関係を洗うのは当然のことだ。
まして、新一の名前は世界に…とまではいかなくても、国内では知らない人はいない。
裏社会ではなおさらだろう。
なにしろ、マスコミには流れなかったものの、黒の組織を壊滅に寄与した人物として、警察が公式に書類をのこしているのだから。
怪盗キッドが工藤新一と親しいと知って、敵がどう思うかは知らないが、すぐに姿を消したことによって、うまくすれば新一がキッドと知らず快斗と友人関係を結んでいると思わせることはできるのだ。
(ったく、俺を嘗めやがって……)
自分を巻き込みたくはない。
守りたい。
失いたくない。
そう思う快斗の心情を理解していないわけではない。
それでも、そう呟きたくなってしまうのは、快斗が新一も同じなのだということをわかっていないからなのだ。
(俺を置いていったことを、何も言わずに姿を消したことをアイツに後悔させてやる!!!)
新一は、楽しそうにスイス行きの準備を始めたのだった。





















スイスに向けて出発するのを目前に控えた3月3日、元・同級生である鈴木園子の家に新一はいた。
(ここでこんなことしてる場合じゃねぇんだけどな……)
新一は数多の女性達に囲まれながら、営業スマイルを浮かべてシャンパングラスを手にしていた。
(こんなこと、快斗にバレたら何言われるかわかったもんじゃねぇな)

蘭から雛祭りのパーティーを園子の家で開くから、一緒に行ってほしいという誘いがあったのは昨夜のことだった。
鈴木氏が女性事業家やタレントなどを集めて開くパーティーらしい。
国際的推理作家と元・女優の息子であり、本人も名探偵として顔も名前も売れている新一は、パーティーには慣れている。
だが、女性が主体のパーティーに出て、楽しいことよりは面倒なことの方が多いのは明らかだった。
新一は、雛祭りなんて女の子の節句に縁などないと一度は断ったのだが、実は新一を呼んでいるのは園子の父・鈴木会長なのだと聞いて、顔を出さざるを得なくなった。
本来、新一は大学生で探偵として開業をしているわけではないから断ることもできるのだが、園子の父親にはいろいろと世話になっている。
娘の元・同級生というだけで新一によくしてくれている大財閥の会長の呼び出しを断るほど、新一は奢ってはいなかった。

パーティーが盛り上がる中、ようやく鈴木会長の手がようやく空いたらしく、秘書が新一を呼びに来た。
「すまないね、新一君。付き合わせてしまって」
「いえ、大盛況でなによりですね」
「いやいや、そういや園子から聞いているよ。君の友人にすごいマジックの得意な子がいるとね。今度ぜひ我が社のパーティーで公演してもらいたいね」
ハハハと新一は苦笑を洩らした。
たった一度、東都祭で顔を合わせただけのはずだが、園子のイイ男チェックのアンテナはしっかりと快斗をキャッチしていたようだ。
東都祭後にもいろいろと情報収集したのだろう。
その割に、合コンだのなんだのと言ってこないと思ったら、蘭がストップしてくれていた、と後になって聞いた。
それにしても、快斗…というか怪盗キッドと鈴木財閥はなにかと縁がある。
その快斗が鈴木財閥のパーティーでマジックを披露するのは、なんとも因縁めいている。
(ビッグジュエルでもあれば、一も二もなく引き受ける、かな……)
と、探偵にあるまじきことを考えていた。
「実は君に見てもらいたいものがあるんだよ」
鈴木会長が秘書に目配せすると、秘書が心得たように机の上にあったビロード張りの箱を持ってきた。
恭しく運ばれたその箱を開けると、そこには赤ん坊の拳ぐらいの大きさのピンクダイヤモンドが収まっている。
「これは……?」
「きれいだろう?」
確かに、4Cのどれをとっても見事としか言いようのない。
だが、それをどうして新一に見せようと思ったのか、鈴木氏の真意がわからなかった。
「このピンクダイヤモンドは、ある人から譲り受けたものなんだが、どうもこの宝石の経歴がはっきりしないんだよ」
これだけの宝石となれば、大抵どういう持ち主を経ていたとかがはっきりしているものなのだが、それがはっきりしないという。
「鑑定書はどうなんですか?」
「それが…あるにはあるんだがね」
鈴木氏は歯切れ悪く言葉を濁す。
「新しく掘り出されたもの、ということですか?」
「いや、そうじゃないんだ。どうも日付けが古すぎて胡散臭いんだよ。で、君に来てもらったのは他でもない、この宝石のことなんだ」
鈴木氏が温厚な笑顔を新一に向ける。
新一が居住まいを正すと、鈴木氏は身を乗り出してきた。
「このピンクダイヤモンドの経歴を洗ってくれないか。盗品とかだと困るからねぇ」
「こういうことは専門外ですが……」
新一は、ハンカチでそっと包みながら宝石を手にした。











鈴木会長からの依頼を受けた翌日、新一はスイスに向けて旅立った。


























雪山登山の経験のない新一が、視界数メートルのユングフラウを登るのは極めて困難だった。
何度となく足を取られ、これ以上進むのは無理と諦めたくなった。
それでも、諦めずに、ただひたすら足を前へ前へと動かしたのは、快斗に会わなくては、という気持ちだけだった。
―――会って、恨み言の一つでも言ってやらなくてはならない。
―――会って、後悔させてやらなくてはならない。
―――会って、あの黒縁のカードを寄越した奴と対峙しているはずの快斗からオイシイところを攫ってやらなくてはならない。
―――会って、自分を置いていった罪は、怪盗キッドの罪より重いのだと思い知らせてやらなくてはならない。
新一は譫言のようにそう心の中で繰り返しながら、ひたすらにその場所を目指した。
そして―――、突然視界が開けた。
青く澄み渡る空に、白く覆われたユングフラウの頂きが聳え立っている。
柔らかな陽射しが白い雪に反射して、真夏のような眩さをつくり出している。
どうやら、雲の上に出たようだった。
(あれか……?)
山頂と新一の居る場所のちょうど中間ほどに展望台が立っていた。
他に建物などないから、その展望台があの暗号に書かれていた場所に違いないだろう。
新一は様子を見ながら、慎重に展望台へと近付いていった。






展望台へと着いた新一が、中の様子を伺おうとした瞬間のことだった。
突然ドアが開き、中から男が飛び出してきた。
新一は咄嗟に物陰に身を潜める。
パスッ。
男は手にしたサイレンサー付きの銃を上に向けて、発砲する。
(快斗っ!)
新一は男が狙った方を振り返るが、建物が邪魔して快斗の姿を見ることはできない。
シュッシュッシュッと音がしたかと思うと、新一の目の前を何かが横切る。
今度は男の方を振り返ると、雪の上にカードが散乱している。
そのうちの一枚が男の手に命中したのか、男は手を押さえて蹲り、男が持っていた銃は後方へと弾き飛ばされていた。
白く広がる景色を新たな白いものが遮る。
それは、キッドの衣装に身を包んだ快斗だった。
新一は気配を殺した。
快斗に気を読まれてしまっては、ここへ来た意味がない。
まして、いまは命を賭けた闘いの真っ最中。
余計なことに気を取らせたくはなかった。
じっと息をつめて、二人の様子を見つめていると、男の気が動いた。
男は押さえこんだ手を懐に忍ばせ、新たな銃を取り出した。
その銃を見て、新一は目を見張った。
なぜなら、その銃にはサイレンサーがついていなかったのだ。
(バカか!ここであれを使ったら………)
そう、新一が思う間もなく、男はキッドに向けて銃を発砲した。
パァーンッ!
アルプスの山々に銃声が響き渡る。
ズズズッと鈍い音がして、山が崩れた。
(やっぱり!)
柔らかな陽射しに照らされていた雪は、雪崩を起こしたのだ。
新一は男が銃を出した時からこのことを予測していた。
手近な気に伸縮式サスペンダーをつけると、反対側を自分に巻き付けた。
崩れた山は次々と雪を飲み込んで、激しさを増してくる。
新一は姿を現して、叫んだ。
「快斗っ!こっちだ!!!」
「新一?!」
快斗は、そこに新一がいることに驚いたが、まずは雪崩を回避する方が先決だった。
白いマントを靡かせて、新一へとダイブする。
その向こう側に快斗を狙った男が雪崩に飲み込まれていくのが見えた。
快斗が新一の伸ばした手を掴もうとした瞬間、白い激流が二人を襲った。
「うわぁっ、しんいちーーーっ!!!」
「かいとぉーーーっ!!!」
白い激流がその大きな口を開けて、白い怪盗を飲み込んでいった。



白い激流に飲み込まれる白い怪盗……。
というわけで、短いけど-2-で終わりませんでした。

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