「新一、8月の予定って決まってる?」
黒羽快斗が新一にそう電話してきたのは、7月最後の日だった。
「あ?なんかあるのか?」
「え…だから…その…新一といっぱいデートしたいなぁって…」
快斗らしくないしおらしさに、悪戯心が疼きだした。
「残念だけど、8月は日本にいないんだ…」
心の中では吹き出しそうなくらい笑っているのだが、持ち前の演技力を総動員して、
新一はいたく残念そうに言った。
「え?そうなの…」
いろいろと予定を立てていたのだろう。
快斗が肩を落として、がっかりとしている様子が目に浮かぶようだ。
「どこか行くの?」
快斗は単なる旅行なら便乗しようと考えていた。
もし、行き先が大阪などと言われたら、それこそ心配でじっとなんかしてられない。
快斗は服部の気持ちに気付いていたし、あの時――服部に告られたと言っていた――
服部と新一の間に何かがあったことは間違いない。
新一が何気ない気持ちで大阪行きを口にすることはあるだろうし、
そうなれば服部は天にも舞い上がらんかのように、浮かれていることだろう。
だが、いまは夏休み。
あの黒い関西人の顔を見ることはないだろうから、
服部の様子でそれを確かめることはできなかった。
電話の向こうで快斗がそんなやきもきとした気持ちでいることなど知らず、
新一はあっさりと行き先を告げた。
「あぁ、ロスにいる父さん達のところへな。多分、8月いっぱいいることになると思う」
「そっか…」
行き先が大阪でなかったことにホッと胸を撫で下ろしたが、
1ヶ月まるまる新一に会えないのかと思うとブルーな気分になる。
行き先が両親のところでは便乗するわけにもいかない、と快斗は落胆振りを隠さなかった。
「快斗はどうしてるんだ?」
つい先程まで真っ黒だった黒羽快斗のスケジュール表は、たったいま全て白紙になった。
「特に決めてないよ…。新一とどこか行きたいなって思ってただけだから…」
拗ねたように言う快斗が新一にはおかしくて仕方がない。
だが、そんなことはおくびにも出さず、新一は起爆スイッチを押した。
「予定がないなら、快斗も一緒に行くか?パスポートぐらい持ってるんだろ?」
新一は快斗に聞かずとも、快斗がパスポートを持っていることを知っていた。
怪盗キッドが犯行を行ったのは何も日本に限ったことではないから。
「いいの?行く!行きます!行かせてください!」
電話が切れたあと、「新ちゃんと婚前旅行〜♪」とはしゃいでいた快斗を見て、
快斗の母が呆れていたのを新一は知らなかった。







サンタモニカの熱い夜
-1-







ことの起こりは3日前だった。
『ハロ〜〜〜!新ちゃん、元気にしてる〜?』
ロスにいる母・由紀子からの国際電話。
「母さん?なんだよ、元気にしてる。じゃぁな」
あっさりとそれだけ返すと新一は電話を切ろうとした。
『ちょっと〜!新ちゃんってば〜!』
「あん?まだなんか用があるのか?」
由紀子の用事など用事のうちに入らない。
それが新一の認識だった。
『あるわよ〜。今日、チケット送ったからね』
「チケット?なんの?」
チケットなんか頼んだ覚えは新一にはない。
『やぁねぇ〜、老化現象には早すぎるんじゃない?』
老化現象…。
誰がだ!と新一は突っ込まなかった。
自分の親ながら、このズレ具合にはほとほと呆れる。
いつものことだ、と新一は軽く流すことにした。
『航空券よ。新ちゃんたら全然こっちにこないんですもの。3年前に蘭ちゃんと来たっきりよ』
当然だ!
2年前はコナンだったのだから。
偽りの姿でパスポートなどもてるわけがない。
去年は受験生だったから。
勉強に勤しんでいたわけではないが、それを建前に渡米を断った。
ロスに行って、何をするわけでもない。
ただ原書を買い漁り、ひたすら読書に徹するだけだ。
それならば日本にいたほうが、事件があれば依頼がくる。
それに――去年の夏は怪盗キッドを追っていたのだ。
コナンから新一に戻って、すぐにでも対決したい相手だった。
ところが、1年間の休学状態から復帰すると、鬼のような補習とテストが新一を待ち受けていた。
テストはなんの心配もなかったが、補習は例え粗の必要がない成績でも出席しなければ認められない。
結局、1学期は目暮警部からの依頼以外には身動きが取れなくなってしまった。
ようやく補習から解放された夏休み。
宿題を即行で終わらせると、情報を集めはじめた。
ただ、現場へ行くだけではない。
予告状の暗号を解析し、過去の犯行を検証し、怪盗キッド像の割り出しにかかった。
こんな楽しいことが日本にあるのに、ロスで読書三昧の日々を送る気など更々なかった。
(それが、あんなふざけたやつなんだもんなぁ、ったく…してやられたぜ)
なんとも言えない巡り合わせに、新一は心の中でクスッと笑った。
声に出さずに笑ったはずなのに、由紀子にはなぜだか聞こえていたようだ。
『もぉ〜!新ちゃんたらナニ思い出し笑いなんかしてるのよ、エッチなんだから〜』
仮にも自分の息子に言う台詞ではないと思う。
『とにかく、今年は必ず来るのよ!いいわね?』
あの夫婦に逆らったら、あとで何があるかわからない。
「わぁ〜ったよ、行きゃいいんだろ、行きゃ」
『よろしい。チケット2枚送ったから、また蘭ちゃんでも連れてらっしゃいね〜!じゃ』
「え?ちょっと…母さん!」
切れてしまった電話を手に新一は呆然とした。
(蘭を…って、いまさら蘭と二人で旅行なんかできるかっ!)
幼馴染みとして、いい友人としての関係は保たれているが、二人の間にもはや恋愛感情はない。
現に蘭にはいまちゃんと恋人がいるし、自分にだって…。
そこまで考えて新一は一人赤くなった。
(快斗…一緒に行ってくれるよ…な…?)

そうして1週間後、新一は快斗と共に機上の人となった。













約12時間に渡るフライトを終え、ロサンゼルス国際空港に降り立った時、快斗はぐったりとしていた。
「おいおい、大丈夫かよ。日頃、グライダーで飛んでるヤツが飛行機ダメなのか?」
「そんなんじゃないよ!いままで何度、海外遠征してると思ってるの!」
「怪盗キッドとしては8回だな。ヨーロッパが5回でアメリカが3回。マジシャンとしては知らねぇけど」
しれっとした顔で詳細なデータを述べるとさっさとタクシーの列に並ぶ新一を見て、
快斗ははぁ〜っと大きな溜息をついた。
快斗がぐったりしてるのは新一のせいなのだ。

なにしろ、機内食で魚料理を頼むし、機内が暗くなれば無防備な顔を快斗の肩に預け、耳許に寝息をかけちゃったりしてくれたのだ。
おかげで快斗は一睡もできず、食欲も減退しっぱなしだった。
一応、魚に関しては、これから新一の両親に1ヶ月近く世話になるのに、避けて通れない問題だったので、
最初の機内食の時に、恥を偲んで打ち明けた。
それなのに、新一ときたら「怪盗キッドの弱点か…、中森警部に教えてやれば喜ぶよな」などと宣い、
二度目の機内食ではわざと魚料理を頼んだのだった。













「でけぇ…」
タクシーを降り、工藤邸を見た快斗の第1声だった。
新一が住んでいる東都の家も大きいが、さすが広大な土地を誇るアメリカ。
その何倍もの敷地がある。
まさにお屋敷である。
実をいうと黒羽の家だとて庶民というわけではない。
盗一が亡くなって10年たったいまでも、母は働くことなく人並み以上の暮らしをすることができる。
快斗が亡父から譲り受けた遺産だけでも、世界各地に点在する不動産やマジックに関する知的所有権など、
大学生が所有するものとしては破格のものがある。
ただ、それらのうち不動産は怪盗キッドのアジトとして使用されているため、表にでることはない。
母も必要最低限のものがあればよしとする性格だったので、
工藤の家のように不必要に大きな家に住んだ経験はなかったのだ。
「これでも、この辺じゃ小さいほうなんだぜ。この国の金持ちってのは桁違いだからな」
新一は極めて淡々とそう言った。
新一は本を置くスペース以外には寝るところがあれば十分という感覚であったから、
万事に尽き派手好きな両親の家を快斗に見せるのは少しばかり恥ずかしかった。
快斗は、新一のそんなところも気に入っていた。
自分が親の脛かじりであることをちゃんと認識していて、
とことんまでそれを利用はするがそれを自分のものと勘違いするようなことはない。
父親の地位さえも私物化しているような白馬とは偉い違いだ。
快斗はそう思っていた。
「新ちゃ〜ん、いらっしゃ……」
冷たい息子を出迎えに出てきた有希子は快斗を一目見ると、踵を返して走り去った。
「な、なに……?俺、なんか悪いことした?」
「………さぁ?」
快斗と新一は顔を見合わせながら首を捻った。
さっぱり事情がつかめない。
だが、奥から聞こえてきた有希子のヒステリックな声で新一は事情を理解した。
「優ちゃんの浮気者〜!よくも18年も騙したわね!隠し子までいたなんて!離婚よ、離婚!」
初対面の快斗でも、これには苦笑した。
「新一…、誤解とかなきゃ…」
「あ、あぁ…。ったく、頭いてぇよ…」
荷物を玄関に置きっぱなしのまま、新一は快斗を伴って奥へと入っていった。







30分後、リビングの応接セットで新一と快斗は、青痣やかすり傷だらけの優作とかいがいしく優作の手当てをする有希子と向かいあっていた。
「ったく、母さんの早とちりもいい加減にしろよな!」
「だってぇ〜」
ふんぞり返ってソファに座る新一に有希子は甘えた声を出した。
「父さんも!日頃の行いが悪いから、こんなことになるんだぞ」
「おい新一、父さんはなんにも悪いことなんかしてないぞ。ただ女性には優しくしているだけだ」
快斗は居心地悪そうに三人の親子の顔を見比べていた。
(この三人って……似た者親子だよなぁ〜)
新一の顔はどちらかといえば、有希子に似ている。
性格は……足して2で割った感じだろう。
そういうと新一は怒るだろう、と口を噤んだ快斗は懸命である。
「で、こちらはどなたなの?」
「そういえば紹介してもらっていなかったな」
工藤夫妻の視線を受け、快斗は姿勢をただして挨拶した。
「黒羽快斗です」
「くろば?ひょっとして。黒羽盗一さんの御子息かね?」
「父を知ってるんですか?」
快斗は身を乗り出しながら、尋ねた。
「知ってるもなにも、私が有希子と知り合ったのは盗一さんのおかげだからね」
「そうよ〜、私が盗一さんに弟子入りしている時に、優ちゃんが盗一さんの楽屋を訪ねてきたのよね〜」
「弟子入りって…母さん、女優辞めてマジシャンになるつもりだったのか?」
「違うわよ、ほら、前に言ったでしょ?変装術教わったマジシャンがいるって。あれが黒羽盗一さんなのよ」
「あぁ、なるほどね」
初めてその話を聞いた時、マジシャンに変装術を習うというのがどうにも違和感を感じていたのだが、ようやく合点がいった。
黒羽盗一の『七変化』というマジックはいまでも伝説のように語られているし、なにせ初代怪盗キッドなのだから変装は快斗以上のものを持っていたのだろう。
「盗一さんの息子さんなら、大歓迎だよ」
「そうよ、今夜は歓迎パーティーね♪」
有希子は席を立ち嬉々としながら奥へと引っ込んでいった。
「新一の部屋はいつもの部屋でいいね?快斗君の部屋はすぐにその隣に用意しよう。それまで、新一の部屋で一緒に休んでいるといい」
「あ、俺自分でやりますから…」
そう申し出た快斗を、優作は柔らかな笑みで制する。
「盗一さんの忘れ形見に会えて、私達も嬉しいのだよ。彼の分まで世話を焼かせてくれないか」
そう言われて、快斗は深々と頭を下げた。
優作も有希子も多くは語らない。
二人が父・盗一が怪盗キッドだったことを知っているかどうかはわからない。
だが、単なる友人とかそういう関係ではなかったのだろう。
快斗は、改めて新一との不思議な繋がりを感じていた。
新一も同様だった。
快斗の気持ちを全て理解することはできない。
だが、快斗の心にいろんなものが溢れて、揺れているのが伝わってくる。
それは悪いものではなかったから不安はなかったが、快斗をそっと見守っていたかった。













その夜、新一は一つの決心をした。






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