雨あがりの空を見上げて




東都近代美術館の中央展示室で怪盗キッドは多数の警官に銃口を突き付けられていた。
鉛玉を発射するものではない。
標的を眠らせるためでも、物騒なシロモノであることに変わりはない。
身動きがとれなくなったかのように、じっとしているキッドの前に一人の男が歩みでた。
「観念するんですね、この包囲網から逃れることはできませんよ」
慇懃とも取れるような独特の言葉遣い。
不遜な視線。
同じキャンパスで学ぶその男の手にも、麻酔銃が握られている。
その全てがキッドにとっては道化にしか映らない。
「ずいぶんとおかしな物をお持ちですね。私は野生の熊ではないのですが」
キッドは余裕の態度で応じた。
これだけの数の麻酔弾を撃たれれば、キッドとはいえかなり危険な状態になる。
直接、命を奪うようなものではないにしろ、使い方を誤れば死に至らしめることもあり得る。
死からは免れたとしても、この場で気を失うようなことになれば、正体が露見して、即逮捕となる。
実際には、それほど余裕があるわけではなかったが、手立てがないわけでもない。
それに何より、キッドにはここを脱出し、追っ手を撒かなくてはならない理由があった。

夕方、快斗の携帯に送られてきた最愛の名探偵からのメッセージ。

『杯戸シティホテルの屋上で待ってる。新一』

おそらく、新一はこの状況を事前に察知していたのであろう。
何がなんでも戻って来いという、探偵としての矜持を守った上でのメッセージ。
やはり目の前のバカとは格が違うな、と快斗は思った。

「残念ですが、今宵はこのあとデートの約束がありますので、失礼させてもらいますよ」
キッドがそう言い放つと同時に、閃光弾が光を放った。
警官達が視力を取り戻した頃には、キッドの姿はなかった。







新一は杯戸シティホテルの屋上で空を見上げていた。
何日も降り続いていた雨も今は止み、本来の夜の空が顔を覗かせ始めている。
一瞬、辺りを包む空気が揺らぎ、白い怪盗が舞い降りた。
(いつもながら見事なもんだ)
苦笑を浮かべながら、新一はキッドを見た。
空を見上げていたにも関わらず、新一はその影を捕らえることができなかった。
一方、キッドの方も夜の闇に包まれながらも、凛として空を見上げる新一の姿を目にして、その美しさに目眩を起こしそうになった。
二人の視線が絡み合い、お互いに目を離せなくなる。
キッドは口の端をわずかに上げて微笑んだ。
「よぉ名探偵、何やってんだ?」

『よぉボウズ、何やってんだ?』

初めての邂逅の時と同じ台詞がキッドの口から紡がれる。
新一はにっこり笑って、屋上の端の方へと移動する。
足元には、缶コーヒーの空き缶にたてられたロケット花火。
身を屈めてそれに火をつける。
夜の静寂を撃ち破る小さな閃光とそれに続く破裂音。
「花火だよ」

『花火だよ』

小さな姿とは声の高さも、イントネーションも、その言葉のもつ雰囲気も違うが同じ台詞。
新一はゆっくりと立ち上がると、キッドの方へと向き直る。
新一の顔から微笑が消え、真剣な眼差しが蒼い瞳を煌めかせた。


「お前を……逮捕しにきたんだ……」


キッドの―――いや、姿こそそのままではあるが、それを包む雰囲気はすでに変わっている―――快斗の顔からも微笑は消えた。
変わりに浮かんだのは、無機質な冷たい表情だった。


「それが……新一の出した結論なら……いいよ」


二人の間に風が流れる。
快斗の瞳を捕らえたまま、視線を外すことなく新一はゆっくりと近付いた。

目の前まで来ると、新一は立ち止まった。
快斗は静かに目を閉じた。
だから、快斗は新一の極上の笑顔を見ることができなかった。
新一はそっと手を延ばし、快斗の首筋に腕をまわすと形のいい唇に口づけた。


(えっ…………?)


快斗は何が起きたのかわからなかった。
目を開けると、新一の柔らかな髪が見えた。
柔らかな感触が唇から離れていくのを感じると、クスッという笑い声が聞こえた。
「バ〜カ、本気にしたのかよ」
「しんい…ち…?」
「逮捕してやるよ。これで、お前は俺のもんだ」
「あ………」
そういう意味なのだ、と快斗は初めて気がついた。
新一のこととなるとまるで余裕がない自分に、苦笑するしかなかった。


新一が本当に受け入れて貰えるなんて思ってもみなかったのだ。
最初は見ているだけでよかった。
でも、想いは果てしなく膨らみ、側にいたいと願い、欲しいと望み、一方的に想いを告げた。
答えを待ってはいたけれど、それは余りにも無謀に思える望みだったから。
だから、想いが通じる時が来るなんて…、そうなったらどうするかなんて考えたことはなかった。
ただ、新一の側にいられれば…。

快斗の心は熱く沸き立った。
新一の身体を引き寄せると、激しく抱き締めた。
「か…快斗!苦しいだろっ…」
しかし、快斗はさらに強く新一の身体を抱き締める。
新一はそれ以上、何も言わず快斗の好きにさせた。
「しんい…ち…、新一…ありがとう……新一…」
繰り返し新一の名前を呼ぶ快斗の頬をひと雫の涙が伝った。
「ば〜ろ、泣いてんじゃねぇよ。似合わねぇぞ」
快斗はまだ白い衣装を着たままだ。
夜を支配する不敵な怪盗に、確かに涙は似合わない。
「うん……」
快斗はそう呟いたまま、溢れてくる涙を拭おうともせずに、新一の身体を抱き締めていた。

ようやく快斗が落ち着いてきたのを見計らって、新一は快斗に声をかけた。
「快斗…」
「………ん」
「お誕生日おめでとう」
快斗は吃驚して、新一の顔を覗き込んだ。
快斗も教えてはいなかったし、新一も聞いたりしなかったから、新一が快斗の誕生日を知っているとは思わなかったのだ。
「知ってたの?」
「ったりめぇだ!俺の誕生日をあんな風に祝って貰ったんだ。礼はきっちりしねぇとな」
ニッコリと笑って、快斗の左手を取った。

「黒羽快斗、窃盗容疑で逮捕する」

張りのある堂々とした口調。
カチッという金属音。
左手を見ると、いままではなかった銀色の輪が嵌められている。
新一の瞳と同じ蒼の文字盤のついた腕時計。
「これ…?」
「お前の手錠。俺からの誕生日プレゼントだよ」
「ありがとう、新一。すっごく嬉しい…」
再び、快斗は新一を強く抱いた。






夏至の夜は短い。
東の空はすでに明るくなりはじめている。
二人は寄り添いあいながら空を見つめていた。
「雨、あがったな」
「あぁ、今日はいい天気になりそうだ」
「で、いつまでその格好でいるつもりだ?」
「あ、いけね」
快斗はシルクハットの鍔を少し引くと一瞬でその雰囲気を怪盗キッドのそれに変えた。
「それでは名探偵に敬意を表して、素顔に戻る瞬間をお見せしましょう」
「へぇ、光栄なことで」
「One……Two……Three!」
一瞬、新一の視界がキッドのマントで覆われたかと思うと、目の前にはTシャツにジーンズという軽装の快斗が立っていた。
「すげぇ…」
新一は素直に感心した。
ぺたぺたと快斗の身体に触りながら、タネを探している。
「脱いだ服はどこへいったんだよ〜!」
「アハハ、教えられないよ。企業秘密だからね」






今日はずっと一緒にいよう。
話したいことはたくさんある。
親父のこと、キッドのこと、パンドラのこと、あまり言いたくはないけど組織のこと。
新一に聞きたいこともある。






二人は清々しく広がる青い空を見上げた。
夏はもうそこまできている。







とりあえず、1日遅れで全てをアップできました。

ラブラブになった2人の次なる展開は…。

次の更新まで暫く間があくことになると思いますが、待っててくださいね。


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