五月雨は想いのメロディ

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梅雨の走りとはよく言ったもので、本格的な梅雨入りは未だしていないのに、週の半分は雨模様だった。
そんな天気が続く中、珍しく広がった青空に、キャンパスもにぎわいを見せていた。
中庭のベンチで人目も憚らずいちゃつくカップル。
木陰で、昼寝をする学生。
グラウンドを走り回る体育会の部員達。
教授室のある本館の3階の廊下に快斗はいた。
窓の外に広がるキャンパスの光景を横目に、レポート提出のため快斗は教授室のドアをノックした。




教授室にいたのはほんの10分たらずだったのに、先ほどまでとはうってかわった黒雲が空を覆っていた。
雷鳴と共に激しい雨が降り始めた。
(あっちゃー、カサなしじゃ正門まで辿り着く前にびしょ濡れだな、こりゃ)
外を見下ろすと、学部棟や講堂などあらゆる建物の軒下で学生達が雨宿りしている。
快斗はそんな学生の中に、ひときわ目立つ人物を見つけた。
(新一?何やってんだ、あんなとこで?)
だが、その疑問はすぐに解決した。
新一がこの激しい雨に行く手を阻まれていたのは図書館の前。
(そっか、まだレポート仕上げてないって言ってたっけ…)
いままで、図書館の自習室でいましがた快斗が提出した社会心理学のレポートを仕上げていたのだろう。
提出期限は今日の5時まで。
時計を見るとあと15分しかない。
(ってことは、新一はここへ来るってことだ)
快斗は新一が来るであろう方向とは逆の方へ向かい、階段に腰をおろした。




怪盗キッドの姿で愛の告白をしてしまってから、もうすぐ1ヶ月になろうとしている。
新一が快斗と二人っきりになるのを避けはじめたのは、それよりも1週間程前のことだ。
ずいぶんと長いこと、まともに会話していない。
快斗は辛抱強く新一からのリアクションを待っていたが、それもそろそろ限界にきている。
(いいチャンスだもんな)
快斗は待つことをやめるために、新一を待った。











「失礼します」
一礼をして教授室から出てきた新一がドアを開けた瞬間、その手が止まった。
窓に凭れ掛かるようにして、快斗が立っていた。
「よぉ!」
ニッコリ笑って手をあげる快斗から、新一は目が離せなくなった。
後ろ手に教授室のドアをしめる。
「か…………いと…」
二人の間だけ時間の流れが変わったかのようだった。
ゆっくりと新一に向かって近寄ってくる快斗の姿が、まるでスローモーションのように感じられる。
「新一と話がしたいんだ」
有無を言わせぬ眼光に、新一は唇を噛んだ。
(来るべき時が来ちまったか…)
1ヶ月以上、逃げ回るようにしていたのだ。
当然といえば、当然の結果だ。
新一は、もう逃げられないのを悟って、ゆっくりと頷いた。






快斗は新一を使用されていない教室の一つに連れ込んだ。
さして広くもないそこは15室あるゼミ室の一つだ。
一つしかない窓の外では、雨脚がさらに激しくなり、稲光を伴って雷鳴が轟いていた。
「なんだよ、話って」
新一は極めてぶっきらぼうに口火を切った。
「そんなに急くなって。ま、座れば?」
新一は手近な椅子を引き出すと、腰をかけ足を組んだ。
快斗は、その前の席の椅子を引き出し、跨ぐようにして後ろ向きに腰かけ、背もたれに腕を乗せた。
「で、こんなとこへ引っ張ってきて、何の話があるって?」
「わかってるクセに。っていうか、話がしたいのは新一の方なんじゃないの?」
「話なんかねぇよ」
「無理すんなって。聞きたいんだろ?俺がなんで『怪盗キッド』なんてのをやってんのか?」
新一はすぐには答えなかった。
かなり長い時間―――――といっても僅か数秒のことだが―――――快斗の瞳を見つめていた。
やがて静かに目を伏せると、小さく呟いた。
「バーロ、とうとう自分で言っちまいやがった…」
それは余りにも小さい呟きだったので、快斗の耳には届かなかった。
「え?」
「…………………しいんだ?」
ドーンという落雷の音が新一の声を掻き消した。
「なに?聞こえない?」
新一は苛々をつのらせ、声を荒げて一気にまくしたてた。
「だから、俺にどうしろって言うんだ!このまま警察を呼べばいいのか?中森警部に連絡すればいいのか?それとも『自首しろ』とでも言って欲しいのか?どうなんだ!」
稲光に照らされて、激昂した新一の顔が薄暗い部屋の中で美しく浮かび上がる。
蒼い瞳は光を持ち、形のいい柳眉が吊り上がっている。
険しい表情は怒りを漲らせている。
(新一は怒った表情もきれいなんだな…)
快斗は、そんなことを考えていた。
「新一がそうしたいのなら…」
そう言って携帯を差し出す快斗に、新一はますます眉を吊り上げた。
「ふざけんな!!!」
差し出された携帯を手で撥ね付ける。
ガシャンと携帯が床に投げ出された音が、他に誰もいない部屋に響く。
「ふざけてなんかない!新一のことが好きだから!愛してるから!だから新一に総てを委ねたいんだ!」






外を降る雨は一層激しくなり、バラバラと窓を打ち付ける。
響き渡る雷鳴とは対照的に、二人は黙り込んだ。
沈黙を破ったのは快斗の方だった。
「ごめん、感情的になるつもりじゃないんだ…」
「快斗…」
「ただ、新一の気持ちが知りたいだけなんだ」
「俺の……気持ち……」
それがわかればこんなに悩んだりはしていない、と新一は心の中で呟いた。
快斗はそんな新一の心情を全て知っているかのように、一つ一つ尋ねていった。
「新一のことだから、俺がキッドだってことはわかっていたよね?」
「あぁ、あれだけあからさまなメッセージを貰えばな」
新一の誕生日だったあの日、逃走経路で待ち伏せていたのだから、それはわかりきっていたことだったが、改めて確認するように問いかけた快斗に、新一も素直に答えた。
「なんで、それを俺に確かめなかったの?」
新一は少し考えてから言った。
「お前の口からそれを聞きたくなかったから」
「なんで?」
今度は少し長く間をおいて言った。
「聞かなければ、俺はそれを気付かなかったことに、知らなかったことにできるからな」
「でもね、俺はそうして欲しくなかったんだよ」
その意味を新一は取り違えた。
「それ、俺がお前にとって相手不足ってことか?」
「違うよ」
ニッコリと笑って快斗は続けた。
「キッドを逮捕できるのは新一しかいないって、本気でそう思ってる」
「じゃあ……」
「新一を好きになっちゃったから、ありのままの俺を見て欲しかったんだ」
少しだけ照れたように笑いながら、快斗はそう言った。
だが、新一はまだ戸惑っている。
「俺が……俺が探偵業を優先させるとは思わなかったのか?」
「思ったよ。だけど、ただ好きなだけじゃないから、愛しちゃったから…」
だから新一に全てを委ねたのだと、快斗の命も、人生も、父への思いも…、その全てと引き換えにしてもいいぐらい真剣に愛してるのだ、そして新一の全てが欲しい、心も、身体も……そう快斗は告げた。
「かい……と……」
新一は、何も言えなかった。
大きすぎる、そして深すぎる快斗の自分への思いを知って、ただその名を呼ぶことしかできなかった。






先ほどまで激しく窓を叩いていた雨も、少し弱まっていた。
耳を劈いていた雷鳴は、遠くへ去りつつあるようで、いまはもうゴロゴロと遠雷が鳴っているだけだった。
「昔、蘭に聞かれたことがあるんだ。自分の知り合いが犯人だったらどうするのってね」
快斗は唐突に変わった話題に戸惑いを感じたが、すぐに意図を察して先を促した。
「新一はなんて答えたの?」
「そん時は何の躊躇いもなく答えた。『言うよ、あなたが犯人ですってね』って」
快斗は黙って新一の顔を見ていた。
新一の顔に儚げな苦笑の色が浮かぶ。
「だけど、いま俺はお前に自首を勧めることすらできないでいる」
「なんで?」
「…………怖いから、なんだろうな」
「怖い?」
今度は少しはにかんだような微笑を浮かべて答えた。
「あぁ」
新一は頭の中を整理しながらぽつぽつと話始めた。
「ずっと、自分を抑えて、偽ってきたから。ありのままの自分を理解できる奴なんて一人もいなかったから」
新一の言葉、それは快斗の身にも覚えのある痛みだった。
「快斗に会って、初めて同じ目線で話ができる奴に会えて、嬉しかった。かけがえのない友人になれるって、そう思った。だけど、お前がキッドだって知って、お前を失うのが怖くなった」
「新一……」
「探偵である自分を捨てることはできない。でも、お前を失いたくもない。笑っていいぜ、俺は現実を直視することから逃げたんだ」
もちろん、快斗は新一を笑ったりなどはしなかった。
代わりに快斗がしたのは、新一を引き寄せ、強く抱き締めることだった。
「か……い…と…?」
予想もしなかった出来事に新一は惚けたように快斗の名を呼んだ。
「同じなんだ、新一と。俺も同じなんだ」
そう呟きながら、快斗はきつく新一の身体を抱き締めた。






窓の外は雨がまだ降ってはいるものの、先程までの激しさはなくなっていた。
分厚い黒雲に覆われていた空も、かなり明るさを取り戻している。
二人っきりのゼミ室にも、わずかに明るい空気が漂い始めていた。
快斗は新一の身体を拘束していた腕を解きながら話しはじめた。
「俺ね、こう見えてもIQ400なんだ」
「よんひゃく〜?」
聞いたこともない高い数値に、新一は素頓狂な声をあげた。
「そ♪」
「って、お前こんなとこにいる必要ねぇじゃん。NASAでもペンタゴンでも引く手数多だろうが」
「やだよ、そんなの。俺はマジシャンになりたいんだから」
はぁ〜と大きく溜め息をつきながら新一は呟いた。
「勝てねぇはずだよな」
クスッと小さく笑って快斗は話を続けた。
「ガキのころから、ひっきりなしに特別機関で教育させるって話があったらしい」
はっとして新一は快斗の顔を見た。
特別機関での教育。
つまりそれは、快斗が普通の子供ではなかったことを意味する。
突出した子供の孤独は自分がよく知っている。
まして、快斗のそれは自分の上をいっているものだ。
「そっか…、だからさっき同じだって…。けど…」
同レベルどころか、快斗は新一の遥か上にいる。
ならば、新一にとって心浮き立つような会話も、快斗にはもの足りないのではないだろうか…と思う。
新一は口に出したつもりはなかったが、快斗には聞こえていたらしい。
「そんなことないよ。それにね、新一と同じだって言ったのはそのことだけじゃないんだ」
「なに?」
「偽りの姿…ってこと」
「あっ………」
快斗との会話にいままでの調子が戻ってくるにつれ、新一は快斗がキッドであることをついつい失念しがちだった。
快斗がキッドであるなら、新一がコナンだったことを知っているのだ。
偽りの姿ゆえの孤独。
それを知る唯一の人物がお互いであるのだ。
「………快斗。もう少し時間くんねぇか?」
新一がいままでになく、真剣な目をしている。
「俺が探偵であることも、お前が怪盗であることも、それからお前が言う……『愛してる』って言葉も、真剣に考えるから。もう逃げたりしないから…」
「ありがと、新一。大丈夫待つのは慣れてるから。なんてったって2年も待ってるんだし」
「に…ねん……?」
またしても新一は素頓狂な声をあげた。
「それならお前…」
2年前なら新一はコナンの姿だ。
「そ♪新一のこと、ずっと見ていた。コナンだった新一を…」
「快斗………」
新一の驚いたような表情を楽し気に快斗は見ていた。
「おまえ……ストーカー?」
「失礼な!」
大袈裟に身体をガクッとさせ、そう言いながらも快斗は笑っていた。
「あ、雨あがったみたいだぜ」
「ほんとだ」
激しい雨に洗われてきれいに澄んだ空を夕日が赤く染めている。
新一の白い頬も夕日を受けて、赤く染まっているのを見ると、快斗はその頬に軽く触れるキスをした。
「うわぁっ!なにすんだ!」
「なにって…キスしたんだけど」
「だから、なんでそんなことすんだよ!」
「新一の顔が綺麗だったから」
「綺麗とか言うな!俺は男なんだぞ」
殊更に荒々しく言い放つ新一の顔が夕日のせいではなく赤くなってることに、新一は気付いていない。
その様子がおかしくて、快斗はクスクスと笑った。
「わかってるよ。でも男でも新一は綺麗なんだからさ」
そういって、快斗は掠め盗るように新一の唇にキスした。
「快斗!!!」
アハハハと笑って快斗は席をたった。
「腹減ったなぁ〜、なんか食ってこうぜ」
「ったく…」
快斗の変わり身の早さに呆れながら、新一は部屋を出ようとする快斗の後を追った。











二人は、この時のちょっとふざけた触れあっただけのキスが新たな波紋を呼ぶとは、思ってもみなかった。








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