五月雨は想いのメロディ

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ゴールデンウィークが終わり、世間は日常を取り戻した。
ただ、取り戻しきれない男が二人いた。
黒羽快斗と工藤新一、二人の頭の中はそれぞれお互いのことでぐるぐると回っていた。
揃いも揃ってポーカーフェイスはお手のもの。
服部や白馬に悟られないぐらいに表面上はいつもどおりに振る舞ってはいたが、
どことなく以前と違うということは二人にはわかっていた。







5月も半ば過ぎたある日のこと。
その日はここしばらくの快晴とはうってかわって、朝から雨が降っていた。
(チェッ、気分転換に久々に飛びに行こうと思ってたのにな)
キッドとしてなら夜の街を雨だろうが雪だろうが飛んでみせるのだが、
ただスポーツとしてのハングライダーを楽しむのならやはり晴れた空のほうがいい。
まして、陽の光の下を飛べば、少しは気が晴れると思っていた矢先のこの雨である。
灰色の空を恨めし気に見上げながら、快斗はベッドの上に寝転んだ。
こうして天井を見上げていると、どうしても新一のことばかり考えてしまうのである。

(新一、どうしてなんも言わねぇんだろ…)

正直なところ早まったかもしれない。
そう快斗は思っていた。
なにせ相手はあの工藤新一なのだから。
迷宮なしの名探偵………平成のホームズ………日本警察の救世主………東の名探偵………。
新一に与えられた称賛の言葉は、数多くある。
でも、一番の賛辞は…

「怪盗キッドが唯一認めた探偵」

例え誰もが知らなくても…。

いまでも明瞭に思い出せる初めての対峙。
『時計台』では直接顔をあわせることがなかった。
翌日の新聞で、JOKERの正体が工藤新一だと知った。
相手にとって不足はない。
快斗は新一と次に対峙する時を、心待ちにした。

だが、工藤新一は現れなかった。
代わりに快斗の前に立ちはだかったのは小学生だった。
「江戸川コナン、探偵さ」
サファイアのように冷たく光る瞳…。
その中に真実を求める魂が紅く燃えている…。
その子供の瞳は、快斗が探し求めている宝石(いし)を彷佛とさせた。
見つからない奇跡の宝石「パンドラ」…、孤独な戦い…、すさんでいく心…。
あの瞳に快斗は魅入られた。
それから快斗は「江戸川コナン」のことを調べ捲った。
調べれば調べる程わからなくなる不可思議な存在。
戸籍も住民登録もない。
小学校に提出された書類は全て偽造。
毛利探偵事務所に預けられた「コナン」名義の口座の残高は1000万円。
コナンが現れたと同時に名声を上げた毛利小五郎。
(コナン…、お前一体何ものだ…?)

真実はあまりにも突然に快斗の前に降ってきた。
盗聴していた電話で、阿笠という人物が呼び掛けた名は「コナン」ではなく「新一」。

(しんいち………? シンイチ………? どういうことだ…。……まさか、工藤新一!!!)
姿こそ見れなかったが、時計塔で俺を追い詰めた男。
あの男なら頷ける、あの洞察力も、推理力も、行動力も…。
でも何故、あんな子供の姿に…?
真実の姿を誰にも明かさず、偽りの姿と偽りの名前で「真実」を求める。
立っている位置こそ正反対なのに、快斗と同じものを背負っている。
それこそが、快斗があの「パンドラ」の瞳に魅入られた理由だった。

何度かの対峙を重ね、工藤新一は復活した。
偽りの姿は消えたが、「パンドラ」の瞳は消えていなかった。
いや、その輝きは前にも増して強く美しかった。
そして、新たに生まれた瞳の中の翳りにも気付いた。
囚われていた…、あの瞳に…、狂おしい程に。
なんとか彼の側にいたくて、東都大学を受験した。
入学式の日、学部オリエンテーションで出会ったことは偶然だったが、
同じ学内にいれば、幼馴染みですら間違える程似通った容姿がキャンパスの噂になり、
近付くチャンスがあることぐらいは計算のうちだった。

運良く初日から出会い、意気投合して友人の座を手に入れ、いつも彼の傍らにいた。
服部や白馬までもが同じキャンパスにいるのは鬱陶しいことだが、それも予定のうちには入れていた。
だが、服部のうっとりと新一を見つめる様子や白馬の相変わらずな快斗への追及に、
快斗は少し焦っていたのだろう。
未だ時期尚早とは思いつつも自分から正体を明かしてしまったのだから。
だが、新一はその後キャンパスで顔を会わせていても何もいわなかった。
新一がどのぐらい探偵として優れているかは、身をもって知っている。
だから、新一が自分の正体に気付いていないはずはない、そう断言できた。
あの暗号を解いたことが、快斗=キッドであることを知っていることになるのだ。

(新一、新一が俺を逮捕するつもりならそれでもいいんだ。だから…)
新一にだけは自分の総てを知ってもらいたかった。
それでも、受け入れてくれるのなら、何があっても離れることはしない。
新一が探偵であることを最優先するのなら、それが新一が下した結論なら、
どんな結果でも甘んじて受け入れるつもりだった。
(親父には悪いけど、俺はもう新一以外を愛せない。新一が望むなら、それを受け入れるのが俺の愛なんだ)
だから、見なかったことには、聞かなかったことにだけはして欲しくなかった。
新一の誕生日、小学校の屋上での邂逅からすでに2週間が過ぎている。
キッドの姿のまま、愛の告白をして、新一の唇を奪った。
(やわらかい唇だったよな…)
その感触を思い出すかのように、快斗は右手で自分の唇に触れた。
快斗は逮捕もされていないのに、判決待ちの被告人の気持ちだった。










その頃、新一は書斎で読書に励んでいた。
だが、ページを捲る手は思うようには進んでいない。
いくら読んでも内容が頭に入ってこないのだ。
キャンパスにいる時はよかった。
快斗が側にいたとしても、服部や白馬が一緒にいる。
そうでない時でも、学部の友人達が二人を取り巻いていた。
快斗と二人っきりになる時間をできるだけ作らないようにしていたから、
なんとか2週間を無事に過ごしてきた。
事件に呼ばれている時もよかった。
さすがに現場までは快斗は付いてこないし、目暮警部を始めとした捜査1課の人たちが誰かしらいる。
関係者に話を聞いたり、鑑識の人たちと話をしたり、なにかと動き回っているから、
個人的な思いに耽ることはなかった。
だが、今日のように外出するのも億劫な空模様で、事件もない休日となると、
普段は片隅に追いやっていることが、幅をきかせてしまうのだった。

(独り………か)
いつごろからだったろう、新一が孤独を感じたのは。
幼い頃から、両親は外出がちだった。
家にいる時は、執筆中で側へ寄ることすらさせてもらえなかった。
高級住宅街の中では、近くに同じ年頃の子供もなく誰かと遊ぶということはほとんどなかった。
それは幼稚園や小学校に通うようになっても変わらなかった。
有名作家と元・美人女優の両親を持ち、十分すぎる容姿と、
優れた頭脳を持った子供は『神童』と呼ばれ、いつでも大人達から特別扱いされてきた。
それは、大人から子供へと伝わり、遊びの輪の中へは入れてもらえなかった。
歳を経るにつれて、処世術を身につけた新一は、容姿の良さも手伝って、
いつでも人の輪の中心にいるようになった。
だが、誰も本当の新一を見てはいなかった。
誰とでも友人になれた新一は、誰とも親友にはなれなかった。
そんな中で、蘭だけが新一と共にいた。
それを恋だと思い込んだ時期もあった。

1年近く姿を消し、やがて戻ってきた新一は誰の目にも変わっていた。
容姿がではない。人の輪の中心にいた工藤新一はいなくなり、人の輪を外れて静かに佇んでいた。
それが、孤高の美しさを醸し出しているとは本人は全く気付いていなかったが。
蘭とも一歩距離を置くようになった。
コナンであったことを誰にも言う気がなかった新一は、蘭を一番警戒したからだ。
逆にコナンを知っている哀が、一番身近に距離を置くようになった。
だが、彼女が宮野志保ではなく灰原哀を選んだ時から、その距離がそれ以上縮まることはなかった。
同じようにコナンを知る服部だが、彼は論外と言ってもよかった。
服部に孤独は理解できない。
彼はいつでもまっすぐで、屈託がなく、人の輪の中心に自然にいられるような男だった。

黒羽快斗という男は、いままで知っているような友人とは全く違った。
最初は、自分さえも時にやり込められるような頭のキレや知識の豊富さに、面白いやつだと思った。
人付き合いもよく、いつでも笑っている男だった。
だが、ほんのひとつきとは言え、毎日顔を合わせているうちに、
快斗が抱える孤独が見えかくれするのに気付いた。
『偉大なるマジシャン』と謳われた黒羽盗一という有名人の親。
新一すら遥か及ばない並外れた頭脳。
見るもの全てを惹き付けるような整い過ぎた容姿。
それだけでも、新一が快斗に自分を重ねるには十分だった。
だがそれだけではない。
見かけの明るさに反比例して自分に似た心の闇を持っていることが新一には見えてしまった。
快斗の闇はどこからくるのか、その謎を知りたいとは思ったが、
本人が話したがらないものを無理に聞き出すようなことはなかった。

だが、快斗は自ら新一にその闇の正体を明かしてしまった。
そのことの重大さに、新一はもう何日も悩み続けてしまっているのだ。

(いっそ、知らなきゃよかった…)
快斗の闇は自分がこの手で逮捕したいと望んできた確保不能の怪盗だったのだから。
ようやくかけがえのない友人を手に入れたと思っていた。
その友人を自分の手で逮捕して、失うことができるのだろうか。

高校生探偵として活躍し始めた頃に、蘭に聞かれたことがあった。
『もし自分の知り合いが犯人だったらどうする?』
その時には、きっぱりと答えたものだった。
『言うよ、あなたが犯人です…ってね』
あの頃は、失って困るような友人などいなかった。
だけど、快斗は違う。
失いたくない、と初めて感じた友人だった。

(バカヤロー、どうして俺に教えたんだよ…)

そして、もう一つ、新一が頭を悩ますことがあった。
自分の誕生日に行われた東都中央美術館での犯行。
新一はあの時、怪盗キッドから『愛してる』と告白され、唇を奪われたのだ。

(…ったく。俺は男なんだぞ。なんなんだよ『愛してる』ってのは…)










想いの渦から逃れることのできないまま、時は過ぎていく。
快斗と新一、二人の心に降る五月雨は当分止みそうになかった。








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