SEVENDAYS
-Sun.-
夜が明けた日曜日。
APTX4869の開発者であり、その解毒剤をも完成させて『江戸川コナン』を『工藤新一』に戻した人物・宮野志保を迎えに成田に行く事になっていた。
新一は朝、「ちょっと出かけてくる」と言い残して出かけ、先ほど戻って来たところだった。
「じゃ、そろそろ出かけよーぜ」と声をかけられ、玄関を出ると、家の前に1台の車が止まっていた。
シルバーグレーのスポーツクーペ。
しかもピッカピカの新車だ。
どう見ても長年一人息子に家を任せたまま、世界中を放蕩している作家先生のものには見えない。
「これ……名探偵の?」
「あぁ、18になったからな。それに合わせて書き換えたんだよ」
16の時に早く免許が欲しくて、夏休みの間にロスで免許を取ったのだという。
日本では18になるまで自動車免許は取れないから、誕生日の日に即行で書き換えたのだそうだ。
車もその時に買ったのだそうだ。
悔しい……。
それが快斗の気持ちだった。
車の運転なら自信がある。
それぐらい出来なくては変装の名人、怪盗キッドの名が廃るというものだ。
だけど、快斗の誕生日まではあと少しある。
正式に免許を交付されるのには、ほんの僅かだが待たなくてはならない。
別に他人がいつ免許を取ろうが、車を買おうがどうでもいいのだが、いまこの姿で、この名探偵に18歳という年齢を見せつけられるのが、無性に悔しかった。
「ちくしょ〜!元に戻ったら、即行で免許取ってやる〜!」
そう唸りながら助手席側のドアを開けて、快斗は固まった。
悔しさも忘れるぐらい……、いや倍増したのかもしれない。
「名探偵……、これは勘弁して欲しいかも……」
天下無敵の怪盗をげんなりとさせたもの。
それは、目にも鮮やかな配色のジュニアシートだった。
「ちゃんとそれに座れよ?道交法、改正になったんだから」
いかにも笑いを堪えてます、というようにクククッと声を洩らす。
「でもでもでも、コナンちゃんはこんなのに座ってなかったじゃねぇ〜か!」
「ん〜?まぁ運転者がそれで良いってんだから、いいんじゃねぇ?」
交通課の由美さんとかの前に、ジュニアシートなしで子供を5人も乗せて平気で現れたんだから、博士も命知らずだよなぁ〜、なんて呟いている。
「日本警察の救世主なんて呼ばれてる俺が道交法違反で減点なんてしたかねぇ〜の!大人しく着けろよ」
新一に念を押され、快斗は泣く泣くジュニアシートに座った。
成田までの道は空いているというほどでもないが、さしたる渋滞に引っ掛かることもなく予定を少しオーバーした程度だった。
宮野志保の乗る飛行機が到着したサインを確認すると、二人は入国ゲート前のベンチに座り込んで志保が出てくるのを待った。
二人は始終無言だった。
(天才化学者・宮野志保……か。組織に属していた両親の元、英才教育を受け、16歳で組織のAPTX4869の開発担当者となり、2年後に失踪。裏切り者として、組織から追われる身となる……か)
快斗は頭の中で志保のプロフィールを反芻した。
コナンだった新一の隣にいた灰原哀という少女。
それが宮野志保だということはわかっている。
闇の中にいた彼女が、ありきたりの正義感など持ち合わせていないことも。
だが、志保自身を知っているわけではない。
彼女の力が必要なことはわかっていても、未だ現役の怪盗としては複雑な心境だった。
小振りの旅行鞄を引きながらゲートを出てきた志保の姿を認めると、新一は立ち上がって駆け寄った。
「宮野!」
志保はサングラスを外し、新一の差し出された手に鞄を手渡す。
「久しぶりね、工藤君」
志保は僅かに微笑んだ。
灰原哀と呼ばれていたころから比べると、表情の乏しいなりにも自然な笑顔に新一は胸を撫で下ろしていた。
志保のそれはポーカーフェイスとは違い、彼女の過去に根付いたものであったから。
「わりぃな、急に呼び戻したりして」
新一もふわりとした笑みを浮かべて、そう答えた。
「いいのよ。それより……」
「あぁ、お前に頼まれたものは全て手配した。すぐにでも始められるぜ」
「そうじゃなくて……、えっ?」
志保は自分の目の前に立った少年に目を奪われた。
その少年は小さい身体の自分を思い起こさせる風貌を持っていたから。
「この子………、誰…なの……?」
江戸川コナンと名乗っていた少年に。
(ホントに…よく似てる……)
だが、同一人物でないことも知っていた。
志保は、あの少年の真実の姿はいま自分の隣に立つ工藤新一だと知る数少ない人物の一人なのだから。
「宮野でも驚くか。俺でさえ、ぎょっとしたもんな」
新一は苦笑を浮かべていた。
「ということは、あなたの親戚でもないのね」
「あぁ」
「じゃあ、一体……?」
快斗は終始無言で二人のやり取りを見守っていた。
およそ子供らしくない不敵な笑みを浮かべて。
「その話は車の中でな。ここで出来るような話じゃない」
新一はそう言って歩きだすと、二人もそれに続いた。
高速を走る車の中、最初に口を開いたのは志保だった。
「そろそろ教えてくれない?彼、誰なの?」新一はステアリングを握り前を向いたままそれに答えた。
「怪盗キッド」
「えっ?」
志保は思わずリアシートを振り返った。
視線を向けられた快斗は手首を翻し、パチンと指を鳴らすとサーモンピンクの薔薇を差し出した。
「……嘘じゃないようね」
志保は呆れた口調で薔薇の花を受け取った。
いまどきこんなキザな真似をするのは、確かに怪盗キッドしかいないだろう。
(歯が浮くような台詞ならいい勝負の人を知ってるけど……)
志保は自分の隣で楽しそうにステアリングを握る人物を横目で見た。
「で、この怪盗さんがどういういきさつであれを飲んだの?」
新一は志保の言葉を受けて快斗から聞いた一部始終を話した。
もちろん、怪盗キッドを追い回すという組織のことも。
「組織って、まさか!?」
かつて『黒の組織』に属し、裏切り者として追われた志保は目に見えて怯えた。
ようやく取り戻した、―――いや、志保にとっては初めて手に入れたなんでもない平凡な日常。
再び闇に覆われる恐怖に、志保は背中にヒンヤリとした汗が伝うのを感じていた。
「宮野」
新一の呼び掛けに志保はビクンと身体を震わせた。
「正直言って、その組織ってのがヤツラとどう関わってるのかはわからねぇ。だから、もう一つ頼みがある」
新一が志保の返事を必要としていないことはわかっている。
志保は新一の頼みがなんであっても、それを聞くしかないのだ。
それは、ここにいる全員の未来に繋がることなのだから。
「コイツから出来る限りの組織に関わる話を聞いて、宮野の知ってることを教えてくれ。どんなことでもいい。宮野の鼻が頼りなんだ」
組織の人間は臭いでわかる、とかつて志保は言っていた。
それは決して大袈裟な言葉ではなく、新一もこと組織に関しては敏感な彼女に助けられたこともあったのだ。
「えぇ、もちろんそのつもりよ」
志保は乾いた声でそう呟いた。
「というわけでよろしくね、怪盗さん」
リアシートを覗き込んだ志保に快斗はニカッと笑いかけた。
拭い切れない不安はあるが、新一が志保に寄せる信頼は並々ならぬものがあると見て、快斗も覚悟を決めたのだった。
「快斗でいいよ。俺、黒羽快斗ってんだ。よろしくね、志保ちゃん」
志保は目をぱちくりとさせると、苦笑を洩らした。
「随分と信用してくれるのね」
「俺は名探偵を信用したんだ。その名探偵が志保ちゃんを信用してるからね。俺も志保ちゃんも信用するよ」
快斗は小さな手を差し出した。
首都高に入ったあたりから渋滞に巻き込まれ、工藤邸に戻ったのは夕方近くになってからだった。
志保の荷物を下ろそうとトランクに頭を突っ込んでいた新一の背後から、良く知った声がかけられた。
「新一っ!!!」
振り返ると、凄まじい形相の蘭が仁王立ちしていた。
「よ、よぉ…、蘭。……どうした?」
「どーしたもこーしたもないわよっ!約束はすっぽかすわ、電話は切るわ、気になって様子を見に来てみたら出かけてるわ、いったいなんなのよ!」
鬼気迫る剣幕の蘭に新一は完全に圧されていた。
「なんなの、といわれてもなぁ……」
「工藤君、どうしたの……?」
助手席のドアが開いて、出てきた志保に蘭の表情は強張った。
コナンのことを蘭に話していない新一は、志保のことも事件の渦中で知り合った友人としか話していなかった。
戻ってきた新一の隣に突然、それもかなり親し気に現れた志保が蘭には新一の恋人のように思えたのだ。
「……な、なんだ。そうならそうと言ってくれればいいのに」
瞳を潤ませて立ち去ろうとしたとき、蘭は何かにぶつかった。
「ってぇ〜〜!」
「ご、ごめんね……」
自分の足下で蹲る子供を見て、蘭は慌ててその子を立ち上がらせようと跪いた。
「え…?コナン…君……?」
蘭の言葉に慌てたのは新一だった。
志保も、自分でさえも良く似ていると思ったのだ。
蘭が快斗をコナンだと思い込むのも無理はない。
だけど、快斗はコナンではないのだ。
「ら、蘭。この子はその……」
狼狽する新一の声を遮ったのは、快斗だった。
「蘭ねぇちゃん、久し振り。元気だった?」
ハッとして快斗を見れば、あどけない子供の笑みを浮かべながら半ズボンをはたいていた。
「『元気だった?』じゃないわよ〜!連絡一つくれないんだから」
蘭は久々の『コナン』との再会に、怒りながらも瞳を潤ませている。
「ゴメンネ、蘭ねぇちゃん」
見事なまでのなりきりぶりに新一も舌を巻いた。
(……なんて言うか、さすがと言うか。やっぱ、キッド……なんだよな)
一瞬のうちに、状況を把握し、快斗は『コナン』として蘭に挨拶をする。
『コナン』は新一の遠縁ということになっていたから、新一の元にいるのは不思議でもなんでもない。
これ以上自然な言い訳もないだろう。
新一は、はぁ〜っと深い溜息を溢した。
志保はそれを見て、「借りが一つできたわね」と囁いた。
一方、蘭は『コナン』に毛利探偵事務所を去ってからのことやいまのことを根掘り葉掘り尋ねたりしていた。
快斗も心得たもので、すっかり『コナン』になりきって適当なことを答えている。
「えぇ?コナン君、新一のところにいるの?」
「うん、昨日から一週間だけだけどね」
「じゃあ、新一が昨日約束すっぽかしたのって……」
「えっ、新一にぃちゃん、蘭ねぇちゃんと約束してたんだ……。ごめんね、母さんがいきなり新一にぃちゃんのとこに行ってなさい、なんて言ったから……」
「やぁねぇ、コナン君が謝ることじゃないわよ。それより、コナン君ちゃんと食べさせてもらえてる?1週間でもうちに来た方がいいんじゃない?」
昨日の食卓を思い浮かべて、新一はギクリとした。
「大丈夫だよ。博士もいるし、それにえっと…志保ねぇちゃんもいるからさ」
『コナン』の登場ですっかり志保のことを忘れていた蘭は、後ろを振り返ると並んで立っている二人が目に入った。
「そ、そうね……。じゃあ、こっちにいる間に必ず遊びに来てね。みんなコナン君に会いたがってるから。じゃあ私帰るね」
蘭はいたたまれない気持ちで立ち上がった。
「またね〜、蘭ねぇちゃん」
新一に挨拶もせずに駆け去る蘭の背中に、快斗は大きく手を振りながら声をかけた。
「いいの?蘭さん、完璧に私達の事誤解してるわよ?」
志保がそう尋ねてくるのに、新一は胸に痛みを感じながら答えた。
「いいさ、別に……。俺はもう蘭の気持ちに答えることはできねぇから……」
この答えには志保も少なからず驚いた。
新一がコナンだったころ、彼女を待たせていることにどれだけ傷付いていたか。
それを志保は知っていたから。
新一もそれに気付き、志保に改めて話し始めた。
コナンとして過ごした日々は想いのカタチを変えてしまったのだと。
新一にとって蘭はいまでも変わらずに大切にしたい女性ではあるけれども、それは恋愛感情ではなく、家族愛に近いものになっていた。
幸せになって欲しいと思う。
「いいわ、貴方が納得してるのならね」
蘭が納得するのはまだまだ先のようだが、と思いながら志保はそう呟いた。
それを二人の前であどけない子供のフリを続けながら快斗は聞いていた。
(ふ〜ん、名探偵サンはいまフリーってことか……)
快斗は蘭のような誤解はしていない。
新一と志保の間に流れる空気はそんな甘いものではなかった。
言葉通り『運命共同体』であり、『戦友』なのだ。
(さぁ〜てと、降って湧いたチャンスだけど、どっからどう攻めてくか……)
快斗は密かに頭をフル回転させ、名探偵の攻略法を企てながら、工藤邸の中へと入っていった。
お待たせしました。第2話です。 なにやら考えていたのとは別方向に進んでいるような……。
Sat. INDEX Mon.