それは、いつもと同じ普通の朝だった。
いや、朝というより昼と言ったほうがいいのかもしれないそんな時間だった。
「ったく〜、休みなんだから寝かせてくれよ〜」
新一は枕許でけたたましく鳴る目覚ましに手を伸ばし、スイッチを切った。
キッチンへ行き、コーヒーをいれ、トーストを焼く。
そのままキッチンのスツールで、簡単な朝食を済ませる。
ふと、時計を見ると蘭との待ち合わせの時間まであと15分しかない。
駅までの道のりを考えると、もう出なくてはならない時間だった。
新一は洗面と着替えを慌ただしく済ませた。
玄関を飛び出した瞬間、新一は無様に転倒した。
「いってぇ〜〜〜!」
「大丈夫か?」
「あぁ…って、え?」
玄関を飛び出したと言っても、まだ自宅の敷地内だ。
するはずのない声に驚いて、声の主を見ると新一はさらに驚いた。
「コナン……?!」
表通りからは見えない植え込みの影にいたのは、ほんの数カ月前の自分の姿。
メガネこそかけてはいないが、江戸川コナンと名乗っていた少年に瓜二つな少年がそこにいた。
「んな訳ねぇよな……。お前……、誰だ?」
少年は子供らしくないシニカルな笑みを浮かべた。
「誰だと思う?」
「わかるかよッ!」
自分によく似た顔だちだから、親戚かとも思う。
だが、父方の親戚にも母方の親戚にも、こんな少年はいない。
「まぁ、簡単にわかられたら俺が困るけどな」
少年はそういってズボンのポケットに手を入れる。
新一はその時になってようやく少年の服装に違和感を覚えた。
不自然に捲られた袖。
ベルトで絞り上げられたウエスト。
幾重にも織り上げられた裾。
どこかで覚えがあるその姿に、新一は息を飲んだ。
少年はポケットから手を出し、拳を新一の前に突き出した。
新一は少年の顔と突き出された拳を交互に見る。
少年はまたシニカルな笑みを浮かべ、ゆっくりと新一の目の前で拳を開いた。
「お前………」
新一は、少年の手のひらに乗せられたモノを見て目を見開いた。
そこにあるのは忘れようと思っても、忘れられないもの。
夜を翔る白い怪盗のトレードマークとなっているモノクルだった。
「………キッドか?」
少年は不敵な笑みを浮かべるだけだったが、新一にはそれで十分だった。
サイズこそ違えど、放つオーラは怪盗キッドそのままだったから。
「と、とにかく中へ入れ……」
新一は頭を抱えながら、玄関のドアを開けて少年を中に入れた。
SEVEN DAYS
-Sat.-
キッドをダイニングの椅子に座らせると、新一はコーヒーメーカーに残っていたコーヒーをマグカップに入れてキッドへと差し出した。
「砂糖と牛乳ない?」
言われるがままにシュガーポットと牛乳を出すと、キッドは砂糖を3杯入れ、ドボドボと牛乳をマグカップに注ぎ入れた。
新一はその様子を唖然として見ていた。
「……それって、コーヒーって言わねぇぞ」
「ん?悪い。コーヒーは苦手なんだよね」
「まぁ、いいか……。で?いつからあそこにいた?」
取りあえずコーヒーのことは考えないようにして、新一は話の核心に触れた。
「さぁ……?まだ夜は明けてなかったけど」
時間に正確な怪盗とは思えないアバウトな答えに新一は首を傾げた。
「時計、無くしちゃったんだ。落としたのか盗られたのかどっちかだね」
「時計盗られる怪盗…か。マヌケだな……」
クククと新一は笑いを堪えている。
「ほっといてよ」
「お前なら、鍵なんてどうにでもなるだろ?どうして俺を叩き起こさなかった?」
「………………」
これにはキッドは答えられなかった。
まだそれを言う時ではないし、この姿では言いたくなかった。
キッドに答える気がないのを見ると、新一は深く追求せず次の質問を続けた。
「どうして俺のところに来た?」
「簡単なことでしょ?名探偵が江戸川コナンだったから……に決まってるじゃん!」
愚問だった、と答えを聞いて思った。
キッドが江戸川コナン=工藤新一であることを知っていたのだということを失念していたのだった。
「どうしてこんなことに……、いや、その前に飲まされたんだろ、薬を……?」
「そうだよ」
まだ、目覚めきっていないうちにとんでもないモノが転がり込んできて、新一は頭が混乱していた。
それなのに、キッドはヘーゼンとしたようにあっさりと肯定した。
新一は肩の力を脱力させながら、先を促した。
「それで、どうなった?」
「身体がどんどん熱くなって、燃えてるみたいだった。心臓がバクバクしてくるから、セックスドラッグかと思ったね。もう、貞操の危機を感じちゃったよ」
「……………」
あっけらかんとした様子に新一は開いた口が塞がらなかった。
「そしてらさぁ〜、骨が溶けてくるみたいな感じがして、気を失っちゃった訳。で、気付いたらこうなってた」
「あっそ……」
真剣に聞いてるのがバカらしくなってくる。
だが、事はとても重大なのだ。
キッドの命にも、引いては自分ともうひとりの人物・宮野志保の命に関わることだから。
キッドが話した症状は全て身に覚えのあるものだ。
まず、間違いないだろう。
スッと新一は立ち上がり、電話の子機を手にした。
『工藤君?いったい何時だと思ってるの?時差ってものがあるのよ。こっちはいま真夜中……』
送話口から不機嫌な声が聞こえてくる。
「わかってる。悪い、宮野。すぐ戻ってきてくれないか?」
いま、志保と言い合いをしている時ではないから、新一はすこぶる下手にでた。
『え?』
「なぁ、あの薬作るのにどれぐらいかかる?」
『あの薬って……まさか?!』
「あぁ、出たんだ……。俺達の身体を小さくしたAPTX4869がな……」
『ホント……に……?』
「俺は薬の専門じゃねぇからなんとも言えねぇが、99%間違いない」
『わ、わかったわ……。とにかく朝一番の便に乗れるように手配するから。成田まで迎えに来てくれる?』
「あぁ。で、何日かかる?」
『3日……、いえ4日はちょうだい』
「てことは1週間でケリをつけなきゃなんねぇってことだな」
『詳しいことは全部そっちに帰ってから聞くわ』
「頼むよ…。じゃあ」
通話ボタンを押して電話を切った。
「明日には宮野……お前には灰原哀と言った方がわかるかもな。アイツが戻ってくる。解毒剤を作るのに4日はかかるそうだから、1週間で全てのケリをつける」
「了解」
「で、なんで薬を飲まされたんだ?」
「……………」
沈黙に新一は溜息を吐いた。
「お前が探偵の俺に言いにくいことがあるのはわかってる。けど、これは俺達にとっても死活問題なんだ。第一、俺のところに来たからには覚悟の上なんだろ?」
「……………」
キッドは沈黙を続けてはいるが、目を反らすことなく新一を見ている。
「全てが終わったらそのまま警察に連行するなんて卑怯な真似はしねぇから安心しろ。お前を追い掛けるのは楽しいからな」
本当に楽しそうな笑顔を見せた新一に、キッドも笑みを返した。
「俺の…キッドのこと話さなきゃなんないのはもちろん覚悟してるよ。ただ、お伽話みたいな話だからね。信じてもらえるかどうか……」
「とにかく話してみろよ。信じてやるから」
キッドは新一の顔をじっと見つめ、零れ落ちそうな笑顔を向けた。
そして一つ一つゆっくりと話し始めた。
キッドの目的。
不老不死をもたらすというパンドラという宝石を探し出すこと。
そして、それを狙っている組織があること。
ちょっと躊躇ったが初代キッド・盗一のことも話した。
新一は、黙ってキッドの話に耳を傾けていた。
「不老不死ね。確かにお伽噺だな」
キッドの話を聞き終わると、新一は開口一番そう言った。
「けど、お前はこんな時に作り話でからかうような奴じゃないってことはわかってるさ」
荒唐無稽な話を素直に信じると言えないところが名探偵らしい
しかも怪盗の話だからなおさらだろう。
キッドは苦笑を漏らすと、新一は顎に手を当てたお決まりのポーズで呟いた。
「組織……か。一週間で潰すのはちょっと無理だな」
「名探偵が優秀なのは認めるけど、一週間で組織潰されたら、俺の立つ瀬がないデショ?」
「それもそうだな」
二人は声を立てて笑いあった。
笑いながら、新一は心底感心していた。
(やっぱりコイツただもんじゃねぇ……。こんなにイイ緊張感のある会話、すげぇ久しぶりかも……)
新一を緊張させることのできるほどの会話ができるのは、いままで父・優作だけだった。
怪盗キッドとは事件の現場で顔を合わせれば話す事もあったが、それは駆け引きであったから、緊張は当たり前だといままで思っていた。
だが、素の怪盗キッドと話をしてみて、頭の回転の早さには舌を巻いている自分に気がついた。
(こんなの服部じゃダメだ。あいつとは脱力感しか感じねぇもんな。蘭は……、あれ?なんか忘れてるような気が……)
ちょうどその時、新一の携帯がなった。
『ちょっと新一っ!いま何時だと思ってるわけ?』
通話ボタンを押した瞬間に聞こえてきた幼馴染みの声に時計を見る。
(やっべ〜、そういや蘭と約束してたんだっけ……)
約束の時間を2時間は過ぎていた。
「ワリィ、蘭。ちょっとやっかいな事件に関わっちまってさ。この埋め合わせは必ずするから!わりぃ!」
『ちょっと新一っ……!』
何か言いたそうな蘭の声を無視して新一は通話を切ると電源も落とした。
当然新一は、電話の向こうで蘭が「今度こそギッタギタにしてやるんだから〜!!!」と拳を突き出していたことを知らなかった。「腹減ったな……。なんか食おうぜ。と言ってもなんもねーから、外行くか?」
「いいけど、このカッコで?めちゃめちゃアヤシくない?」
「コナンの服を貸してやるから」
新一はキッドを伴って2階へと上がった。
廊下の突き当たりにある北側の部屋のドアを開ける。
そこは通称・衣装部屋と呼んでいる部屋で、有希子がパーティー用に作ったドレスを筆頭に普段余り着ることのない服が所狭しと並んでいる。
靴だけでも200足、帽子が50個、バッグも100個は下らない。
服となると一体どれくらいの数があるのか、有希子ですら把握していない。
おそらく4桁にはなるだろう。
「さすが元・人気女優だね。変装する時には借りたいくらい」
余計な一言を言ったばかりに、新一に冷たい視線を向けられた。
この衣装部屋には、新一が子供の頃に着ていた服もしまってあった。
また、コナンが毛利探偵事務所を去る時に持ち出した服もひそかに運びいれてしまっておいた。
新一はその中からキッドに似合いそうなものを何点か選び出すとキッドに渡す。
「サンキュ、助かったよ。マジで着るものどうしようか悩んでたんだ」
幾重にも折られた袖や裾はあまりにも違和感がある。
買いに行くこともできず、親のいる家に取りに行くこともできず途方にくれていたのだった。
「着替えたらいくぞ、と……まだ名前聞いてなかったな」
名前―――それは敢えていままで口にしなかったこと。
素顔を知られることはやむを得なかったし、子供の顔だからまだなんとかなるかとも思われた。
だが名前となるとどちらかと言えば珍しい名前だし、できることなら口にせず済ませたかった。
だからさきほど父親のことを話すにも、名前ではなく『親父』としか言わなかった。
(言わずに済ませてはくんないか、この名探偵は……)
快斗は躊躇いを見せずに言った。
「快斗。黒羽快斗って言うんだ。都立江古田高校3年。ピッチピチの18歳。ヨロシクな?」
名前を知られてしまえば身元なんて簡単にわかってしまう。
簡単にだが身元も明らかにしておいた。
「黒羽‥‥。じゃあさっき言ってた初代キッドって、ひょっとして黒羽盗一か?」
「へぇ、知ってるんだ。親父死んだのって9年も前だよ。まだガキだったのに」
マジシャンとしての父をこの名探偵が知っているというのが嬉しくて快斗は満面の笑みを浮かべた。
蘭との鉢合わせを避けて、駅とは反対の方向へと歩き、牛丼屋で『つゆだく』を掻き込み、コンビニで夕食用のレトルトカレーとサラダ、朝食用のパンとヨーグルトを買って帰る。
「快斗」
呼ばれた名前に少し驚いた。
確かに名前を教えはしたが、すぐにこうして名前で呼んで貰えるとは思っていなかったのだ。
なぜなら、自分は怪盗で、彼は探偵で、本来追う者と追われる者なのだから。
新一は快斗の戸惑いを見て、続けて言った。
「あ、名前で呼ばれるの嫌か?」
快斗はブンブン首を振った。
「ううん、嬉しい!俺も新一って呼んでいい?」
「あぁ。で、連絡しとかなくていいのか?母親とか、カノジョとか」
「カノジョなんていねぇもん。あぁ、でも口煩い幼馴染みがいるか。あとで電話借り手いい?」
「ったりめーだ」
「あとあの便利な蝶ネクタイも」
「蝶ネクタイ型変声機か?いいけど……、お前必要ないだろ?」
なにせ怪盗キッドは変装の名人。
かつてコナンだった自分の前で何人もの声色を真似てくれたことすらある。
「う〜ん、どうだろ?声帯までオコサマになっちゃったからねぇ。少し練習すればいけるかもしんないけど、すぐには無理かも」
「ふーん」
気のない返事をする新一はなんだか嬉しそうだった。
夕方、変声機を使いながら電話をかける快斗の姿を見て、新一はこの奇妙な状況を楽しんでいる自分に気付いたのだった。
こうして、一週間に渡る探偵と怪盗の奇妙で波乱に満ちた同居生活が始まった。
INDEX Sun.