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事の始まりは一本の電話だった。
「はい、工藤です」
梅雨が開けて、世間は夏休み。
子供たちは夏休みの宿題なんてものはきれいさっぱり忘れて、浮かれている季節だ。
もっとも、そんな生活は新一にとって今は昔。
すでに高校どころか大学を卒業して7年。
いまや、新一は世界中から依頼を持ち込まれるような私立探偵であるから、夏休みなんてものはなく、日々世界中で起きる事件に多忙な毎日を過ごしている。
かつては『怪盗キッド』という名で世界を股にかけて活躍していた同居人も、いまは別の名前で忙しそうに世界中を渡り歩いている。
おかげで擦れ違い生活も多くはなるが、文明の利器を使いメールや電話で連絡は日々取り合っている。
というわけで、久々の休日をのんびり家で過ごしている時に鳴った電話も多分快斗からだろうと思いつつ、ディスプレイを見ずに出たのだった。
そうしたら……。「新ちゃ〜〜〜〜〜ん♪」
年甲斐もない母・有希子の黄色い声に、新一は思わず叫んでしまった。
「ゲッ!」
「ゲとはなによぉ〜! 母さんが愛する新ちゃんの声が聞きたくて電話したって言うのに〜!」
「げ、げ、げ……、元気か?って聞こうとしたんだよ。で、こっちも元気だから。じゃあな」
苦しい言い訳をして通話終了!とばかりに赤いボタンを押そうとすると、耳を劈く(つんざく)ような声が飛び出してきた。
「ちょっと! 新ちゃん! 母さんの話も聞いてちょうだいよ〜!」
「……わかったよ」
新一は疲れた声を隠そうともせずに、有希子に話を促した。有希子の話は、いつものように父・優作への愚痴に始まり、最近見たミュージカルの話や新しくできたエステサロンの話などなど、果てしなく続く。
新一も「はいはい」と適当に相槌を打ちながら、ソファに寝転び、放ってあった週刊誌を拾い上げ、ペラペラ捲っていたりしていた。(はぁ〜、母さんといい蘭といい、どうして女ってのはこう話が長いんだよッ!)
流し読みしていた週刊誌を最後のページまで捲ってしまうと、新一は心の中でそう呟いた。
「そうそう、大事なこと忘れてたわ〜。母さん達、年が明けたら日本に戻ろうと思うの♪」
「はいは……、なんだってぇ〜ッ!?」
新一は軽く流そうとして、なんだかとっても怖い話を聞いたことになんとか気付いた。
「だってぇ〜、こっちに来てもう15年よぉ〜? 飽きてきちゃったしぃ〜」
「ロスに飽きたんなら、スイスでも、ハワイでも行きゃいいだろ〜がッ!」
工藤優作が所有する不動産は世界中どこにでもある。
「老後はやっぱり日本がいいしぃ〜」
「老後……って、いつの話だよ!」
20歳で新一を産んだ有希子は現在49歳。
サラリーマンだとしても、定年まであと10年以上はあるだろうが。
「新ちゃんをほったらかしにするのもかわいそうだし……」
「俺はもう子供でもコナンでもねぇってーの!」
まだ義務教育中だった自分を放り出してロスに行ったクセに、いまさら何を言うか。
「快ちゃんのご飯、美味しいし……」
「……目的はそれかよ」
はっきり言って有希子は料理が上手ではない。
味付け云々より、焼きすぎ、煮えすぎ、半生って感じだ。
まぁ、かろうじて食べられるから、大きな声じゃ言えないが、蘭の母親よりはマシ……かもしれない。
日本にいたときには家政婦を頼んでいたから、一家の食生活にはあまり問題がなかったし、ロスに行ってからはほとんどが外食で、朝食にトーストを焼いて、フルーツとヨーグルトを並べるぐらいだから、まず失敗はしないだろう。
だから、たまに日本に帰ってくる時、家庭の味に飢えていた優作と有紀子は快斗の手料理をものすごく楽しみにしていたのだった。
新ちゃんの料理も美味しかったけど、快ちゃんのは格別!と言う有希子に、新一はちょっとムッとする。
それが事実だから、反論する気はない。
ただ、新一だって快斗の手料理をもう10日以上食べてないのだ。
「快斗だって忙しいんだから、毎日食える訳じゃねーんだぞ?」
「わかってるわよぉ〜。なんてったって、『The Emperor of the illusion』ですもんね」
『The Emperor of the illusion』というのはマスコミが快斗に付けた異名。
もちろん自称ではない。
新一の『日本警察の救世主』というのと同じである。
「でも、新ちゃんたら、ほんとにいいお婿さん捕まえたわよね♪」
婿ってなんだよ!と突っ込む気すらしなくなる。
どうせ恋人だってことは知られてるんだし、勝手にしてくれってなもんだ。
ふて腐れて電話を切ろうとして、何か大事なことを忘れてる気がした。
(何だったっけ……?)
と新一が考えこんでいる間も、有希子のマシンガントークは続いている。
(え〜と、そもそもなんで快斗の手料理って話になったんだっけ……?)
「あ〜〜〜っ!」
「やだ、新ちゃん。いきなり大きな声出さないでよ!」
「母さん、帰って来るって、どこに住むつもりなんだよ!」
「どこって……、そこに決まってるじゃない! 息子夫婦と同居っていいわよね〜」
頭の中が真っ白になりながらも、何か言わねば……と考える。
が、何も言えずにいる内に、老後の面倒はよろしくね〜♪なんて、媚びた声が聞こえてくる。
「ふざけんな!」と言おうとした瞬間、ピーピーピーと音がして通話が切れた。
携帯のディスプレイは何も表示してはいなかった。
あまりの長電話にバッテリーが切れたのだろう。「同居……? あの二人と……か?」
切れてしまった電話を握りしめたまま、新一は呆然と呟く。
頭の中で、あの二人と同居している快斗の姿を思い描く。
例えば―――。
自分が事件でいなくて、快斗はショーの合間で休日だったりする。
「優作さん、お茶が入りましたから、一休みしませんか?」
「おぉ、すまんな。いやぁ、快斗君のお茶は絶品だからね〜」
とか。
「快ちゃ〜ん、お買い物に行きたいの〜。付き合ってくれない?」
「いいですよ」
「快ちゃんって、センスいいんですもの〜♪」
とか。
「快斗君、ちょっと肩揉んでくれないかい?」
「いいですよ」
「あぁ〜、気持ちいいねぇ〜。やっぱ歳かねぇ。どうにも肩が凝りやすくなって……」
「優作さん、頑張り過ぎなんですよ。少しは息抜きもしないと」
とか。
「もぉ〜! 快ちゃんたら、ホントにお料理上手なんだからぁ〜」
「お二人のために、腕を奮ったんです。あ、優作さん、おかわりはいかがですか?」
「頼むよ。ほんと、快斗君の料理はおいしくて、ついつい食べ過ぎてしまうな。ハッハッハ」
とか……。「調子に乗ってんじゃねーぞ……」
地を這うような声が新一の口から漏れる。
自分の頭に沸いた妄想にギシギシと歯軋りして。
「ケッ! 老後の面倒だ〜? 家庭の味が恋しいだ〜? 快斗は俺のなんだぞッ! 快斗のメシ、俺だってなかなか食えねーんだぞッ! 父さん達の好きにさせてたまるかよッ! 断固として阻止してやるッ!」
怒りの余り、快斗が聞いたらその場で押し倒されそうなことを口走っていることなど、気付いてもいない。
新一は携帯を充電器に繋ぐと、そのまま快斗の携帯を呼び出した。
「快斗、いまどこ?」
呼び出し音が途切れると、快斗の応答を待たずに、新一はまくし立てた。
「いま? ちょうど成田に……」
「大事な話があるから、すぐに帰ってこい!」
快斗の言葉を最後まで聞かず、新一はそう叫んで電話を切った。
快斗はタクシーから降り立つと、大きく深呼吸をした。
もう目を瞑っていたって歩けるぐらい、身体に馴染んだ工藤邸。
その門扉を開けるのに、こんなにドキドキしたのは一体何年ぶりだろうか。
「一番最初にここに来た時は、バルコニーからだったし……」
怪盗キッド、なんてものをしてた自分を捕まえると言った名探偵。
一目で彼に恋をして、同じ大学へ入学して。
彼と友人になれて、告白して、受け入れてもらって、恋人になった。
ここへ来る時はいつだってドキドキだった。
鍵をもらって、一緒に住むようになって、ここへ『帰る』のが当たり前になって、ドキドキって気持ちはなくなっていたかもしれない。
でも、いまのドキドキはあの頃のドキドキとは違うものだ。
成田空港で荷物が出るのを待っていた時に、突然鳴り出した携帯電話。
怒った声で「大事な話があるから、すぐに帰って来い」なんて言われて。
(大事な話って……、なんだろう……)
タクシーの中で結局そればかり考えていた。
新一を怒らせるようなことと言ったら、お互い忙しすぎてゆっくりと過ごす時間がない、ということか。
「ひょっとして、愛想つかされちゃったとか……?」
毎日のメールでも、電話でも、そんな素振りは見えなかったけど。
だからと言って、今日もそうだとは限らない。
構ってくれない恋人なんて必要ない、なんて言われたら、この先どうしていいのかわからないぐらい落ち込んでしまう。
新一がいない人生なんて、考えたくもない。
10年という歳月が過ぎても、快斗はあいかわらずこの恋に臆病だった。
だから、早く会いたい恋人の待つ家になかなか入れないでいる快斗であった。
快斗が家の前で立ち尽くしていると、玄関の扉が開いた。
「快斗? 何やってんだ、そんなところで? 帰ってたなら、とっとと入れよ」
車が停まる音が聞こえたから、快斗が帰ってきたのだと思ったのに、なかなか入ってくる様子がないから新一は様子を見に出てきたのだった。
「え? あ、しんいち……」
新一が門扉のところまでやってきて、旅行ケースを奪い取り、ゴロゴロと押して家の中へ入って行く。荷物をとりあえず部屋に置いて、リビングに戻ってくると、新一がキッチンでアイスティーを淹れている。
運ばれてきたタンブラーを手にすると、かすかにラベンダーの香りがした。
快斗がガムシロップを入れて、ストローで掻き回すと氷がカラカランと音を立てる。
これから別れ話をしようとする相手に、なんでこんなことをしてくれるのだろう……と思いながら、快斗は思い切って先に話を切り出した。
「ねぇ、新一。忙し過ぎて会えないのが嫌だってんなら、俺、海外の仕事減らすよ?」
ストローに口をつけたまま新一は上目遣いで快斗を見る。
「はぁ? 何言ってんだ? それに、なんでそんな情けねぇツラしてんだよ?」
「え? だって、大事な話って言うから……」
「あぁ、ったく! いつだって自分勝手なんだよッ! 母さんたちは!」
母さんたち……?
新一が怒っていたのは、自分にではなく、あの自由奔放を絵に描いたような二人に対して?
目をパチクリとさせる快斗に構うことなく、新一は続けた。
「何考えてんのか知らねーけど、あの二人、年明けたらあっち引き払って戻って来るって言ってんだよ!」
「な〜んだ、よかった……………って、え〜〜〜〜〜っ!!! 戻るってどこに!?」
「ここに」
「うそ!?」
「マジ」
「う〜ん、それは由々しき問題だ」
「だろ? 老後の面倒見ろだの、快斗の手料理を楽しみにしてるだの、ふざけんなってんだよ!」
「いや、別にそれはいいけど」
返ってきた答えに、新一はキョトンとして快斗の顔を見た。
「……お前の由々しい問題って何?」
「ん? 一つ屋根の下に優作さんたちがいるとさ、新一なかなかさせてくんないし。させてくれても、声出すの我慢しちゃったりするでしょ? それが。ず〜っと続くなんて、新一困るじゃない?」
それでなくても、擦れ違いが多いのに……と嘆く快斗を、新一はぽか〜んとして、快斗の顔を見た。
「……困るのは俺じゃなくてお前だろッ!」
「じゃあ、新一はず〜っとそういう状態が続いてもいいわけ?」
艶を帯びた流し目は、さっきまで別れ話かも……と落ち込んでいた人物とはまるで思えない。
が、そんな葛藤が快斗にあったことなど露とも知らない新一は、ポッと頬を染めた。
「そ、そういうわけじゃねーけど……。と、とにかくだな、何が何でも父さんたちの帰国を阻止してーんだよ!」
バンッとテーブルを叩いて、快斗に訴えかける。
「う〜ん……」
快斗は腕を組んで考える。
一日、二日を凌ぐなら、あの手この手がある。
そもそも、それなら新一一人でなんとかしてるだろう。
その程度なら策を弄する必要などないし、いままでには我慢することだってしてきた。
だが、これからず〜〜〜っと、それも、言っては悪いがあの二人が他界するまで阻止し続けるような名案など簡単に浮かぶはずもなかった。
「難問だよね。あの二人、戻ってくるって言ったら、何があっても戻ってくるよ?」
「だから、快斗に相談してんだろーが」
「って言われてもねぇ……」
あの二人に振り回されているのは、快斗も同じなのである。
「……あのさぁ」
「なんか名案浮かんだか?」
「あの二人が戻って来るのが阻止できないんなら、俺達がここから出ていくっての……ダメ?」
「え……?」
「それなりに収入だってあるしさ、新居探さない?」
住み慣れたこの家を出る、という発想はいまのいままで新一にはなかった。
けれど、それもいいかもしれない。
自分にとって、快斗との生活を邪魔さえされなければいいのだから。
「そ……だな。それも、いいかも……」
こうして、二人の新居探しが決まったのである。
「決まり。とりあえず今夜はここまで。続きは明日にしよう?」
そう言って、快斗は新一の肩を抱いた。
久々に触れる新一の身体を楽しむ為に不埒に伸びた手は、新一の手によって叩き落とされた。
「快斗、さっきオメェ、変なこと言ってたよなぁ?」
「へ?」
「仕事減らすとかなんとか……。妙に情けねー顔してさぁ?」
「あ……」
「なに考えてたのか言ってみろよ?」
快斗が恐る恐る新一の顔を見れば、何を考えていたのかわかっているという顔をしている。
「だって……、忙しくて擦れ違いばっかだし……」
「だし?」
「新一が怒った声で大事な話があるって言うから、てっきり……」
「てっきり?」
「……その、別れ話かと……………、ッ!」
ムギュっと鼻を摘まれた。
「バーロ! お互いさまだろーが。俺を疑った罰として、今夜はお前ここで寝ろ!」
「しんいち〜!」
すっくと立ち上がってリビングを出る新一に、快斗は必死に追い縋った。
その夜、どうにかお許しをもらった快斗は、10日ぶりに新一を抱いた。
そして、新一は是が非でも新居を探さねばならないと実感させられるほど、啼かされたのであった。
ちょっと長くなりましたが、まずはプロローグ。 INDEX NEXT