『神聖工藤新一帝国』エピソード・ファイブ

帝国の奮闘

by 小夜眞彩さま

 大学生の長い休みも半ばを過ぎたある日のこと。
 例によって例のごとく東都大学杯戸第二キャンパスにある23号館地下の部室に、
東都大学最大の非公認組織である『神聖工藤新一帝国』幹部+αが顔を揃えていた。
「あ、私ちょっと今週末は来れないんだけど…」
 いつものように最愛の名探偵に付けた発信機を確認しながらお弁当タイムをしてい
るとき、通称『プリンセス』毛利蘭が思い出したように言い出した。
「えっ珍しいね〜。新一君とデート?」
 真顔で冷やかすのは黒羽快斗。裏の顔は日本一の大泥棒・怪盗KIDであるはずな
のに、ここ『帝国』内では何故かパシリとして日々こき使われている。
 蘭は少し赤くなって、快斗の背中をバンバンと叩いた。
「何言っているのよ!そんなわけないじゃない、ただの家族旅行よ、家族旅行!!」
「…いや…っていうか何もそんな本気で叩かなくても…」
 蘭に叩かれたせいで咽ながら、快斗は顔を引き攣らせて笑った。
 もちろん蘭は本気で叩いたわけではない、それは快斗もよく分かっている。彼女は
こんなところで怒る人ではないし、大体、蘭に本気を出されたら快斗だって生命の覚
悟をしなければならないだろう。
 …可愛く見えても毛利蘭、さすが無敵の『帝国』でNo.2を長年やっていられるだ
けのことはある。
 快斗がそんな感想を抱いていると、蘭の隣に座っていた園子がおもむろに箸を止め
て、親友に笑いかけた。
「家族旅行ってことは、おば様も一緒ってことでしょう?うまくいっていて良かった
じゃない!」
「…うん、ありがと、園子」
 そう言われて、蘭ははにかんだような笑みを見せる。
 蘭の両親、探偵の毛利小五郎と弁護士の妃英理は幼なじみ夫婦で相思相愛であるこ
とは間違いないのだが、お互いに少し意地っ張りで素直になれないところがあるせい
で、些細なことでケンカしたり仲直りしたりというのを延々と続けているのである。
 ケンカするほど仲が良い、とでも言っておこうか。
 まぁそんな蘭の両親も年齢のせいか最近では前よりは随分と落ち着いてきた…よう
に思われる。逆に言えば今までがあまりにも大人気なさ過ぎたともいえるわけだが、
それは言わない約束だ。
 そんなわけで毛利一家の家族旅行というのはなんともめでたいことである。
 いつもは殺伐とした雰囲気が漂う『帝国』の本部に何となくほのぼのしたお祝い
ムードが漂いはじめた、が。
「あら、困ったわね…」
 この部屋に自由に出入りできる最後の1人、『帝国』の最高幹部であるご存知『女
帝』こと宮野志保が、思案げに眉を寄せた。
「今度の週末といえば、私も外出する予定が入っているのだけれど…。」
「「えぇっ!?志保ちゃんも?」」
 蘭と園子の驚きの声が重なる。
 快斗も口に運ぼうとしたおにぎりが宙で止まり、そのままの姿勢で固まっている。
 志保は一同の顔を眺め回し、困ったというようにため息を吐いた。
「そう…博士と学会に行くことになっているの。博士の報告にアシスタントが必要だ
から、キャンセルするわけにもいかないのよ。」
 志保の養父である阿笠博士は自称・発明家で、役に立つのか立たないのか良く分か
らないような研究に人生を掛けている。数年前、『江戸川コナン』と『灰原哀』は言
葉にできないほどその恩恵にあずかったわけであるが、阿笠博士の性格なのか、相変
わらずガラクタの方が割合的には多いようだ。
「…また、何か作ったんだ?」
 快斗が疲れたような声音で尋ねた。疲れたような、というよりも、これからのこと
を思うと先が思い遣られるというのが正しいか。
 あの家にガラクタが増えたのか、それとももっと怪しいモノが増えたのか…。一度
でも彼女たちの研究を目にした者であれば良い予感よりも悪い予感の方が先に立つの
は無理もない。
 快斗なんかから見れば『探偵団バッジ』とか『時計型麻酔銃』などはもっと世の中
で脚光を浴びてもよいのではないかという気がするが、如何せん、当の発明家に儲け
ようという気がないのだから仕方がない。
 そんなわけで相変わらずの気ままな2人暮らし、お互い理系の研究者同士だから研
究をするにもそれなりに気が合って、なかなかのコンビネーションとなっている阿笠
博士と宮野志保。彼らの怪しげな研究が『帝国』にもメリットになることもあるの
で、誰も止められないというのが現状である。
「今度の研究はそんなに変なモノではないわ。ちょっとした子供のおもちゃみたいな
モノを作っただけよ」
 げんなりとした快斗を見て、志保はニヤリと意味ありげに笑った。
 何か企んでいそうな表情。いや、まず間違いなく何かを企んでいるのだろう。
 げ、と快斗が蒼ざめる間もなく。
「そうね黒羽君、興味があるのなら今日帰りにでも家に寄って行って頂戴。きっと博
士も喜ぶわ。」
 楽しそうに目を輝かせた彼女に言われて、快斗は凍りついた。
「い、いや俺ちょっと今日はいろいろと野暮用が…」
 ここで行かないと言うのも勇気がいるが、行くと言ってしまったら、どんな目に遭
わされるか分かったものではない。そのおもちゃとやらの実験台にされるか、志保の
個人的な研究の実験に付き合わされるか…考えただけでも恐ろしい未来が待ち受けて
いる。
 そう考えて断ろうとした快斗への志保の言葉はこのとおり。
「あらそう、残念ね。せっかく今日の夕食には工藤君も招こうと思っていたのに。嫌
なら工藤君にそう伝えておくわね。」
「………お邪魔致します………。」
 数ある弱点の中でも最大のところを突かれて、快斗は泣く泣く頭を下げた。
 これだから彼女にはいつまで経っても逆らえない。いや、単に快斗が弱みだらけだ
ということもあるのだが。
「…っていうか!」
 そんなことよりも、という調子でバン、と園子が机を叩いた。
「そうすると、この週末は私1人ってこと?」
 自分の顔を指差して首を傾げる。とはいえ、ただ確認しているというだけで、べつ
に困っているという様子ではない。
「そういうことになるわね」
「ごめんね、園子〜!」
 『帝国』のNo.1とNo.2は肯定し、そろって頭を下げる。
「園子1人で新一の相手をするのは大変だとは思うけど…」
 相手というかガードというか何というか、いずれにしても大変なことには違いがな
い。
 蘭が申し訳なさそうに言う言葉をついで志保いわく。
「まぁ、便利なパシリは置いて行くから、好きなように使ってやって?」
「…って、パシリって俺!?」
 快斗がガクっと脱力して椅子から転げ落ちかける。
 そんな快斗を志保は冷めた目で見遣るだけで、フォローをしようという気はまった
くないようだ。
「あなたの他に誰がいるというのよ?」
「………いいけどね………」
 追い討ちをかけられて、どうせ俺はパシリだよ、といじけるだけ。
 快斗が1人で拗ねていると、園子は腕組みをしてうーん、と唸った。
「要するに土日ってことでしょ?まぁ多分、2日間ぐらいなら2人がいなくてもどう
にかなると思うわ!」
 およそ1分ほどなにやら考えた末に出てきた言葉はこのとおり。
「ま、この鈴木園子様に不可能はないから、2人とも安心して楽しんできてね!!」
 自信に満ち溢れた表情で園子は宣言し、その話題はまとまったのだった…。







 さてさて、『帝国』本部から視線を移すと。
「聞いたか皆の者!?」
 同じ頃、というかまさにその瞬間、歓喜満面で拳を握り固めている1人の男がい
た。
 その男とは他でもない、『工藤新一ファンクラブ』東都大学本部本部長、法学部4
年の島田その人である。
「今週末、あの忌々しい『神聖工藤新一帝国』の支配者が不在になるそうだ!」
 彼は苦虫を噛み潰したような表情で天を仰ぎ、これまでの度重なる死闘を思い浮か
べていたが、すぐに唇を噛み締めて続けた。
「4月から幾多の試練を乗り越えて幾星霜………ついに我らの努力が報われるときが
来た!これを神に与えられたチャンスといわずして何と言おうか!このチャンス、逃
す手はないぞ、皆の者!!」
「おぉー!」
 芝居がかった身振り手振りで力説する島田と、それに応える『工藤新一ファンクラ
ブ』の後輩たち。字にすると分からないだろうが、口調のわりにすべてが最小のボ
リュームだと思っていただきたい。
 というのは彼らのいるその場所は杯戸第二キャンパス23号館地下、すなわち『帝
国』本部から目と鼻の先、というところなのである。
 そして数人の後輩たちの中心に1人だけ立つ島田の足元では、『工藤新一ファンク
ラブ』東都大学本部副部長が、何やらゴソゴソと糸のようなものを引っ張っている。
その糸の先には――紙コップ。
 聡明な読者の方々はお察しのことだろう、『帝国』に正面から挑んでも返り討ちに
されることだけは学習した『工藤新一ファンクラブ』、せめて何かの情報でも得よう
とこっそりと『帝国』を偵察しに来たのであったが、所詮一般市民にしか過ぎない彼
らには『帝国』のような技術力(ただし『帝国』のアレは違法である)はない。
それゆえ、なんとも原始的ではあるが糸電話などというものを部室のドアに仕掛けて
置き、埃っぽい階段の陰に隠れて聞いていたのだった。
 …あれだけの規模の組織の割りに、やることは小学生のスパイごっこレベルであ
る。
 まぁそれにしたって彼らにだってプライドはある、いつも黙って『帝国』の女性た
ちに負けているわけにもいかないのだろう。
「というわけで我が戦友たちよ、今こそ我らの真の力を発揮すべきときである!」
「おぉ〜っ!!!」
 23号館地下の階段の陰などという場所で宣言することでもないだろうが、今の島
田にはそんな常識は通用しない。
 そして、盛り上がっている後輩たちには島田の背には後光が見える。
「我らが死力を尽くし、横暴なる『帝国』の支配から東都大学を解き放ち、我らの覇
権を取り戻すのだ〜っ!!」
「おぉ〜っ!!」
「島田さん、俺たちどこまでも付いて行きます〜っっ!」
 感涙に咽ぶ後輩たちに、うんうんと頷いてやる島田。
 いずれにしても「覇権」とか言っている時点ですでに名探偵のファンクラブの活動
という域を超えているのではないかという気がするのだが、今の彼らにはそんなこと
を言っても無視されるに違いにない。
 ただ1人、ようやく糸電話を回収し終えた副部長・高井は一瞬だけ廊下の果てに視
線を向けて。
「シーっ!こんなところであまり騒ぐと『帝国』に気付かれますよ〜っ!!」
 なんとも情けない声を上げたのだった…。







――そして決戦の日はやってきた。


ピンポーン
「………はい」
土曜日の朝、チャイムの音によって強制的に叩き起こされた名探偵が眠い目を擦りな
がら玄関のドアを開けると。
「はぁ〜い!おはよ、新一クンvvv」
「おはよ〜新一君、起こしちゃった?ごめんね〜vvv」
そこに幼なじみの親友と腐れ縁的友人の能天気な顔があった。
新一はしばしの間硬直していたが。
「………………夢か。」
やがて独り言のように呟くと、1人で納得顔になり、そのままドアを閉めようとし
た。
 が、しかし。
「って、ちょっと待ってよ!!」
 ドン
「ぐえっ」
 閉まろうとするドアの隙間にパシリ・黒羽快斗を突き飛ばして挟み込み、鈴木園子
は無理やりにそれを阻止する。
「おいっ!?」
 快斗の漏らした奇声…と言ってはかわいそうか、断末魔のような悲鳴にはさすがの
名探偵も顔色を変え、慌ててドアを開けて快斗を救出してやる。
「大丈夫か、黒羽…?」
「…ううう…駄目かも…」
 快斗はそのまま玄関に倒れ込む。
新一は目を丸くしながらも、顔面から倒れ伏している快斗の癖っ毛頭をヨシヨシと撫
でてやった。
「お前、何だか知らないが、朝から災難だな…ま、園子に捕まったのが運の尽きだと
思って諦めろ。」
 そもそも何でこの2人がセットで現れるのか、その理由がさっぱり分からない。
が、日頃の言動から察するに快斗が園子の何かに巻き込まれているのだろうと、新一
は勝手に想像した。
「こんないい女を前に、失礼ね!」
 快斗が倒れ込んだためにできたスペースに身体を割り込ませた園子は、後ろ手にド
アを閉めながらキッと新一を睨みつける。
「黒羽君とはちゃんと合意ができてるの!ま、ちょっと今のは痛かったかもしれない
けど、それって私のせいじゃないし!!」
「………俺のせいかよ………?」
 言外に責められて、ムッとした様子を表す新一。
 確かにドアを強引に閉めようとした非は認めざるをえないが、その閉まりかけたド
アに他人を押し込むなどという荒業を披露した園子その人からすべての咎を押し付け
られても、といいたいところだ。
 玄関にしゃがみ込んで快斗の頭を撫でてやっていた新一は不機嫌そうに立ち上が
り、腕を組んで園子を見下ろした。
「で、こんな朝から一体何の用だよ?」
 新一と園子の付き合いは長い。小学校から毛利蘭を挟んでの、これまた腐れ縁とも
言ってよい関係だ。
しかし、不思議なことに彼と彼女が蘭を間に挟んだ以上の関係にはまったくなる気配
はなく、個人的に互いの家を訪問するということは皆無である。…もちろん、毛利蘭
や宮野志保を伴って、というのなら話は別だが。
それが何故か何の前触れもなくやって来るのに連れているのが黒羽快斗。何の接点も
なさそうな相手である。いやむしろ、新一にしてみれば快斗が1人で気紛れに遊びに
来るという方が、まだ園子の訪問よりも納得できるものだ。
それだけでも警戒して然るべきであろうと思うのに。
「突然だけど新一クン、今日明日お暇かしら?」
 本当に突然そんな一言を突きつけられて、新一の身体が腕組みした体勢のままでぐ
らりと傾いだ。
「………何なんだよ、それ。本当に突然だな?」
 3秒ぐらいの空白の後、新一は眉間にしわを寄せながらも、どうにかそれだけを尋
ねることができた。
 前々からの約束があるわけでもなくいきなりやって来てのその台詞は、新一でなく
とも驚くであろうし、訝しむのも当然だろう。
 新一はそう思ったのだが、園子はそう?という感じで少しだけ顔を傾けて、しかし
すぐにニヤリと笑って見せた。
「ていうか、さらに突然な上に今さらって言えば今さらなんだけど新一クン、シャー
ロック・ホームズ好きでしょう?」
「…まぁな。」
 怪しみながらも、新一はその質問には素直に頷く。
 園子もそれに応えるように1つ頷いて、さらに言葉を繋いだ。
「そうよね、訊くまでもないとは私も思うわ。ってことでまた突然なんだけど、『緋
色の研究』の初版本、見たいと思わない?」
「んなもん見たいに決まっているだろ!」
 これまた即答。警戒していてこの反応なのだから、ホームズの威力の凄まじさは感
じていただけることだろう。
 その反応に満足げな笑みを浮かべて、園子は、そんな新一クンに耳より情報よ、と
人差し指を立てて囁いた。
「あのね、実はパパの昔からの友達がシャーロキアンでね、『緋色の研究』の初版本
を手に入れたんですって。それで私が新一クンの知り合いだって言ったら、『平成の
ホームズ』と呼ばれる工藤新一君にぜひこれをお見せしたいって言うのよ。」
「………………」
 確かに鈴木財閥の会長の友達なら金はあるだろうし、初版本のコレクターの1人や
2人、いたとしてもちっともおかしくはない。
「でね、ついでにこの週末にそこのお屋敷にお泊り頂いて、ぜひホームズについてご
教授賜りたいと、こう頼まれたんだけど、新一クンのご都合はどうかしらって思った
んだけど、どう?」
「行く」
 新一は今までの警戒っぷりが嘘のように、あっさりと、しかも躊躇いもなく了承し
た。
 快斗が一瞬だけ何だか複雑そうな顔をしたような気もするが、初版本の前に敵など
はない。
「そう?ちょっとそこのお屋敷は千葉だから遠いけど黒羽君が車で送ってくれるって
言うし、グルメなおじさまだから豪華な料理が食べ放題だとは思うわ。というわけで
早速すぐに支度して!」
「分かった、5分待て!!」
 新一は一言言い残して彼女たちにくるりと背を向け、階段を2段飛ばしで駆け上
がっていく。
その後姿を見送った園子は、親指を立てて勝利を宣言した。
「ま、この鈴木園子様の手に掛かれば新一クンを落とすのなんて簡単ね!」
「…いや〜さすが『帝国』幹部に名前を連ねているだけのことはあるね、園子ちゃ
ん…」
 新一の消えていった階段の上をぽかーんと見つめたまま、快斗が心底から感心した
ように彼女を誉める。
 最初、車で来いと呼びつけられたときには一体何をどうするつもりだろうと思った
ものだが、守るべき対象をいとも容易に敵から引き離すその手腕は、ある意味では志
保や蘭を上回る効果を上げることもあるのかもしれない。
「ま、ね。っていうか、さすがに新一クンに都内をウロウロされるとガードしにくい
し。まして『工藤新一ファンクラブ』が何やら画策しているって噂もあるから、私た
ちにも余力はなさそうだしね〜」
 そう、数日前にこの週末の『帝国』幹部の不在を知ってしまった『工藤新一ファン
クラブ』東都大学本部が何か企んでいるということは、とっくに『帝国』サイドにも
伝わっているのだった(笑)。
 一体どうやってそんな情報を仕入れているのか、それは訊くに訊けないものであ
る。
「それはそうだよねぇ…新一君、都内にいたら絶対事件に巻き込まれそうだし。そう
したら目が離せないし、工藤FCはいつ何を仕掛けてくるか分からないもんなぁ…」
 快斗も『工藤新一ファンクラブ』の動向は知っているから、はじめから園子の意見
に賛成だった。もともと志保からパシリとして名指しで命令を受けているし、新一の
ためだと思えば何だって協力する覚悟はある。
「そうよ。確かに蘭たちがそろっていなくなると物理的な意味での攻撃力はガクンと
低下するのは事実なのよね。あの2人って男ども相手に大立ち回りも平気でこなすで
しょう、さすがの私でも肉弾戦はちょっとねぇ…」
「そりゃあ当然だって!蘭ちゃんも志保さんも素手で凶悪犯に立ち向かえるんだよ、
そこら辺の男だって無理だよ、普通…。」
 園子の言葉に快斗もコクコクと頷く。蘭が強いのは言うまでもない、そして志保も
どこで身につけたのか関節技を極めており半端ではなく強い。もし本気を出したとし
ても素手では敵わないかもしれないと、快斗でさえ思うほどである。
 そう考えると、園子のような普通の女の子にその2人の真似を困ると思ってしまう
のは、罪ではないだろう。
「まぁ、そうよね。ってことで黒羽君、新一君のことはヨロシクね!」
「任せといて!!」
 そんなことを言い合っているうちに着替え一式を揃えた新一が下りて来て。
「じゃ、行ってきま〜す♪」
「気をつけてね!」
 快斗の車の助手席に新一を押し込んで、園子は走り去る車に手を振って見送っ
て…。

「さて、これからが本番よね。」

 と、徐に腕まくりを始めたのだった。







 愛すべき名探偵とその友人(自称「新一君のファンvvv」)が千葉に旅立った後の
鈴木園子嬢は、『帝国』No.3の名に違わず非常に忙しかった。
 
 最初にお断りしておくが、『帝国』とは決して某『女帝』『プリンセス』2人のみ
によって構成されているわけではない。
 この時点で帝国臣民総数100人以上。サークルの規模としては決して小さいわけ
ではないが、そのすべてが工藤新一に面識のある女性である。というか、『神聖工藤
新一帝国』への入会(?)資格が、「皇帝・工藤新一と知人以上であり工藤新一を心
より愛しながら抜け駆けはせず、かつ、あらゆる敵から工藤新一を守る意思の固い女
性」となっているからである。…こうしてみるといかに厳格な条件が要求されている
かということがお分かりいただけることであろう。元々は不可侵条約だったという特
殊性から、本当は抜け駆けできるかもしれないけれどしない、ということが絶対の条
件なのだ。
 この条件を満たさない仲間は『属州民』と呼ばれる。新一のファンで彼を守りたい
と思っているが面識はない女性とか、快斗のように面識もあるが男性だとかいう人々
であり、その数はゆうに1000人を超える。これは決して少ない数字ではない!
(…ちなみに、属州民になるための条件は「工藤新一を心から敬愛していること」
「工藤新一をあらゆる敵から守る意思」「帝国に服従する覚悟」、この3つだけであ
る。)
 もちろん目下の敵である『工藤新一ファンクラブ』が万単位の会員を擁しているこ
とを思えば、人数で勝負しても勝てるはずがない。だが、少数精鋭という言葉がある
とおり、『帝国』の方が少なくとも東都大学周辺においては圧倒的な強さを誇ってい
ることは説明するまでもないだろう。




 というわけで、鈴木園子嬢の話に戻る。
 彼女は『女帝』と『プリンセス』を頂点とするその組織の中でNo.3の地位を得て
いる。それは『プリンセス』との友情によるところも大きいが、彼女もまた彼女なり
に名探偵を愛しているという事実があるからであった。…自分の彼氏にしたいとは
まったく思わなくとも、憎からず思っているのである。
 とにかく鈴木財閥のご令嬢である彼女、すでに地位も財産も権力も持っているわけ
だが、それに加えて『帝国』の臣民・属州民を手足のように使うこともできる。
 この莫大なパワーを用いて、彼女は宿敵(?)である『工藤新一ファンクラブ』を
撃退するだけの才を持っていた。
 まずは最大の問題、工藤新一自身を安全な場所に追いやることに成功。これは鈴木
財閥ご令嬢の人脈がモノを言った。
 そして次に、いつもの部室に『帝国』の腹心たちを招集して、この休日の間の対
『工藤新一ファンクラブ』撃退作戦を練る。
 工藤新一と黒羽快斗と別れてから2時間後、東都大学23号館地下の部室に集まっ
た面々を順番に眺めながら、最初に彼女はこう言った。
「…という作戦なのよ。」
 そしてニヤリと、食えない笑みを付け加えるのも忘れない。
 その笑みにあわせて、その場に集まった5名の女性たちも一様に頷いた。これだけ
で彼女たちも園子の考えを理解しているのである。
 とはいえ、『帝国』臣民ではない皆さんにはそれだけでは分かりにくいだろう。一
体どんな作戦なのかと気になるところだ。
 それを明確に口にする者はこの場にはいない。が、ヒントはないこともない。
「ま、要するに2日ぐらい蘭や志保ちゃんがいないとしても、結局私たちの前に敵は
いないってことよね!」
 という、園子の発言が少しはヒントになるだろう。
 
 『工藤新一ファンクラブ』の姑息な企みを知り、ここ数日の間、園子もあれこれと
考えてみた。
 相手は男性が中心で、人数もどれだけ出てくるか分からない。組織の規模そのもの
は『工藤新一ファンクラブ』の方が圧倒的に大きいのだから、もし組織立って攻撃さ
れたら不利なことは間違いないのだ。こちらは若い女性がメンバーのほとんどを占め
るのであり、園子自身は除くとしても他のメンバーは別に財力があるわけでもない
(むしろ当然だが)。
 …だがしかし、考えてみればここはあくまでも大学のキャンパスの中である。
 いくら夏休み中とはいえども、大学のキャンパス内で、サークル同士の小競り合い
レベル以上の攻撃を仕掛けることなどできるはずがない。
 しかも東都大学は国立大学の中でもトップレベル。言ってみれば日本全国の大学の
代表なのだ。
そんな大学のキャンパス内で派手な騒ぎなど起こせば、冗談ではなく警察沙汰になり
かねないというものである。
…安保闘争の時代じゃあるまいし。
左翼の活動家とかならまだ話は分からなくもないが、『工藤新一ファンクラブ』にし
ても我らが『神聖工藤新一帝国』にしても、結局は個人のファンクラブに過ぎない。
キャンパスを舞台に戦争を始めるわけにはいかないだろう。

と、それだけの前提があればそんなに難しい問題はない。
いくらなんでも戦車やバズーカ砲や戦闘機が出てくるわけではないのだから、そんな
に物理的攻撃力、防御力が必要なわけではない。
女性だけの集団とはいえ各自多少の心得はあったりもするし、第一、東都大学の男子
学生はガリ勉タイプが圧倒的に多いのだから、そうでなくとも大して腕力はない。
技術力についても、『帝国』には天才的な発明家の協力者が多いので、盗聴やらモニ
ターやらその他いろいろな仕掛けはすでに整備されている。というか、標準装備の段
階ですでに自衛隊とも張り合えるのが『帝国』なのである。
そうなると、結局最後は知恵と勇気と意欲だけの問題であって。
「とりあえずお昼にでもしましょうか?」
 ひととおりの装備をすべて稼動させてから、彼女たちは篭城態勢に突入したのだっ
た。







 さて、こちらは『工藤新一ファンクラブ』東都大学本部の陣営である。
 陣営…というのはいくら何でも大げさすぎるか、ただの部室だ。
そして現在、偵察部隊が23号館裏の茂みに隠れつつ23号館に出入りする人間を見
張っているところだった。
『こちらB−12佐藤、どうぞ』
「こちらA−2高井、敵の様子はどうだ、佐藤?」
『今のところ異状ありません、どうぞ』
「そうか、だったら3時に鈴木と交代だ」
『了解しました!』
 …などと、やはりスパイごっことしか思えないような会話をしているが、手にして
いるものはただの携帯電話だし、秘密兵器を隠し持っているわけでもない。
 偵察部隊との無線…もとい、通話を切った『工藤新一ファンクラブ』東都大学本部
のNo.2高井は、部室の片隅で何やらゴソゴソと棚を漁っている本部長に声を掛け
た。
「島田さん、敵にはまだ動きはありません!」
「………そうか。」
 島田は手を止めて、フフフ…と低い笑い声を立てる。
 その手にしているのは柔道着と懐中電灯。よく分からない組み合わせだ。
 しかし高井は慣れているのかさして疑問も抱いていなさそうな様子で、黙って上司
を見上げるのみ。他の者もまぁ、同じような反応だった。
 そんな部下たちを見回して、島田は自信たっぷりの顔でゆっくりと顔を伏せた。
「やはり敵も我々の動きを察知しているか………噂だけで『帝国』を恐怖させると
は、我らもなかなかのモノだなっ!!」
 言い放つとともにびしっと人差し指を天に向けて高笑いする様は、まるで時代劇の
中のB級チンピラのボスみたいな感じだろうか。
 …いかにもヤラレ役的だという自覚はもちろんないのだろうが…。
 そのボスの腹心である高井は徐にノートパソコンを広げて、真面目そのものの顔で
その画面を覗き込んだ。
「…というわけで、現在、23号館地下にいるのは『帝国』幹部5名のみです。当然
ながら『女帝』および『プリンセス』の姿は見られません!我々の計画どおりです
!」
「そうだな!フフフ…」
 またしても一頻り笑い、島田は高らかに宣言した。
「よし!作戦その2、消耗戦でいくぞ!!今夜一晩じりじりと攻め、明日の朝に総攻
撃だ〜っ!」
「おぉ〜っ!!」
 部下たちの従順な反応に鷹揚に頷いて。
 島田は正装たる柔道着に着替えるべく部室を出て行った…。







「なーんて、言っているけどねぇ…?」
 同時刻、園子はまさにモニターでその様子を眺めてため息を吐いていた。
「はっきり言って何もかも筒抜けだって気付いていないのはそっちなのよね、恐ろし
いことに…。」
 いつのまにか『工藤新一ファンクラブ』の部室にまで隠しカメラをセットしてあっ
たのは、実は園子でさえ昨日初めて知らされた事実だった。
 どうやら留守の用心のために仕掛けたらしい…まったくもって恐ろしい『帝国』
トップたちである。
「ということは明日の朝までは何もないってことかしら?」
 『帝国』幹部の1人、千葉由佳里が言った。ちなみに彼女はあの警視庁捜査一課の
千葉刑事の妹である(という資格で入会している)。
「そうね〜まぁ今から少し子供だましのトラップを仕掛ることにして、夜は順番に仮
眠を取りましょう!」
 あんな敵を相手に本気を出して応戦する必要もない。
 そう結論付けた園子は、大きなあくびをした。







 そんなこんなであっというまに夜が白みはじめて明け方。
 夏のさわやかな朝、しかも広大な大学のキャンパスの外れの方という静かな場所
に、全然さわやかでない集団が集っていた。
「あー、というわけでそろそろ突入する!!」
 白さが眩しい柔道着に身を包んだリーダー島田は、朝日を背にして号令をかける。
「皆の者、覚悟はいいな!」
「「おぉ〜っ!!」」
 総勢14名の部下たちの声がきれいに揃う。
 その模範的な返事に大きく頷いて、島田は柔道着の帯をぎゅっと締め直した。
「よし、先頭は…佐藤!」
「はいっ!」
「石井!」
「はいっ!!」
「お前たちが先頭だ。これを持て」
 そう言いながら渡すものは武器ではない、ただの懐中電灯。23号館の地下は薄暗
いから、万が一のときのために用意した代物である。
「それから鈴木、山本!」
「「はいっ!」」
「お前たちは念のため、2人で23号館の他の教室を全部見回ってこい。見回りが終
わったら23号館入り口に待機するように。」
「「はい」」
 その返事にまた頷いてみせて。
 島田は23号館をおもむろに見上げて、拳を振り上げた。
「よし、では我らが『工藤新一ファンクラブ』東都大本部の覇権を取り戻すため、今
から宿敵『神聖工藤新一帝国』の本拠地に突入を開始する!行くぞ、皆の者〜っ!」
「「「おぉ〜〜〜っ!」」」
 みんなで声を重ねて掛け声を掛け、『工藤新一ファンクラブ』主要メンバー15人
は23号館に進入した。
「23号館1階エントランス、異状ありません!」
「よし、進め!」
 何を警戒しているのか、まるで地雷だらけの戦場を匍匐前進でもするかのごとく慎
重に、1歩1歩を踏み締めながら進む。
…重ねがさねいうが、『帝国』の部室のある23号館はごく普通の校舎である。地上
部分は理系の学部が合同で使っている、何の変哲もない普通の教室しかない。だから
本来は警戒すべきものなど何もないはずなのであるが。
「先輩、何かここに………痛っ!」
 先頭を歩いていた下っ端その1・佐藤が不審そうな声を上げようとした瞬間、ド
テっとすっ転んだ。
「何事だ!?」
「あ、洗剤ですーっ!」
 島田の声に、相方の下っ端その2・石井が報告する。
 その言葉を聞いて、佐藤を起こしてやりながら副部長が一言。
「なんて初歩的な…。」
 呆れまじりのその声は幸いにして島田には届かず、頭に血を上らせた島田は傍にい
た石井から懐中電灯を奪った。
「うぬぅ、突入して5分で負傷者を出すとは!許せん!!」
 地下にまで響きそうな大声で叫んで、薄暗い階段を真っ先に駆け降りていく。
 そこは『工藤新一ファンクラブ』のメンバーたちにとっては鬼門ともいえる地帯で
あるから余計に慎重に進んでいかなければならないはずだが、今の島田を止められる
者などここにはいなかった。
「あ、島田さん!」
 ハッと我に返って島田を追いかけた部下たちが階段を半分降りたところで目にした
ものは。
「うぅ〜………おのれ、『帝国』め!」
 階段下に蹲り、呻いているリーダーと。
「何よ、そっちが仕掛けてきたんでしょ?」
 その頭上から見下ろすように腕組みをして島田の姿を覗き込んでいる、茶髪ショー
トの女・鈴木園子という構図だった。
「ぬぅぅ、しかし階段の途中にヒモを仕掛けるとは卑劣なマネを!とっさに受身を
取ったから良かったものの、そうでなければ打ち所が悪くて死ぬことも…」
 そう、階段を駆け降りていた島田は途中に仕掛けられていたゴムひもに足を引っ掛
けて、階段の下まで転がり落ちたのである。
 とはいえこうみえても柔道の有段者、受身を取れないはずがない。…こんなときに
は非常に役に立つ特技である。
「だって…ていうかそっちこそ、か弱い女の子を相手にムサい男15人がかりって、
卑怯なんじゃないの?」
 園子は『工藤新一ファンクラブ』を責めているというよりも、むしろ馬鹿にする口
調で言った。
「よく言うでしょ、正当防衛って。そっちがもっと穏便にことを進めれば、べつに私
たちが攻撃するような理由もないし。」
「………あ?」
 きょとん。床に膝をついたまま園子を見上げた島田は、思わず目を丸くした。
「ていうかねぇ、何か勘違いしているような気がするんだけど、いくら対立してい
るって言っても『帝国』の本部に攻撃を仕掛けたところで何も出てこないわよ?」
「へ?」
 さらに固まる島田。園子はおもむろにため息を吐いた。
「だって蘭たちがいないったって、だから何?蘭と志保ちゃんがいないと新一君が困
るだけで、『帝国』そのものがどうにかなるわけじゃないじゃないの。あんたたちの
相手をするのがウチの目的じゃないんだから…。そりゃ新一君の生活は大問題よ?ア
イツ、ほっとくと何にも食べないしねぇ…」
「………………。」
 早口でしかも理路整然と述べられて、島田は黙り込んだ。
 そういわれるとまったくもってそのとおり。よく考えれば自分たちは単なるファン
クラブであって、『神聖工藤新一帝国』と戦うためのサークルではない。
 そのまま60秒ほどが経過した後、島田はがばっと立ち上がった。
「撤収!!」
「「はい!」」
 島田の一声で、部下たちはぞろぞろと階段を上がっていく。彼らの背中が疲れてい
るように見えるのは…きっと、気のせいではないだろう。
 園子は彼らの姿が見えなくなるまで見送り、それからふぅ、と一息吐いて部室に
戻ったのだった。







「うぬぅ、今回は失敗だったか…。」
 失意のうちに23号館の建物を出る。先頭をいく島田は拳を固めて、だいぶ高く上
がった朝日を見上げた。
「だがしかし、次こそは!必ずや東都大の覇権を………っ!!」
 …取り戻す。
 そう続けようとして、瞬間的に動きを止める。
 いつのまにやら目前には燦然と輝く朝日を背にして立つ、美女2人。
「園子に撃退されたくせに、ぜんっぜん懲りてないじゃん〜!」
「まったく、馬鹿は死んでも治らないっていうのは自然科学的真理なのね。」
 …そう、『女帝』と『プリンセス』がそこにいた。
「先輩〜すみません、連絡する前にやられました………」
 そしてその2人の足元に転がる、鈴木と山本の両名を、島田は無感動に見遣る。
「ま、そういう連中には…」
「おしおきが必要ね。」
 ニヤリ。
 毛利蘭と宮野志保の美しい笑みは凄絶すぎる。
硬直した島田以下『工藤新一ファンクラブ』の面々はなすすべもなく「おしおき」を
受けて、今回の事件は一件落着を迎えることとなったのだった。

小夜眞彩様の『Beyond the Blue Sky』でキリ番62000を踏んでいただいたお話です。
タイトルに『エピソード・ファイブ』とあるように、
小夜様のところでシリーズとなっている『神聖工藤新一帝国』のお話ですので、
初めて読む方は、ゼヒ『Beyond the Blue Sky』様で前のお話も読んでみてくださいね〜。
確実に笑えます。

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