Only Promiseby 桜綺 らら
午前零時もとうに過ぎた深夜。
書斎で本を読んでいた新一は、2階から聞こえてきた物音にはっとして顔を上げた。
その音は微かなものであったのだが、本を開き字を目で追いながらも、その意識の半
ば以上を別のことに取られていた新一には充分な大きさの音であった。
新一は、読んでいた本を机の上に投げ置くようにしながら立ち上がると、早足で書斎
を後にした。
目指すのは、同居人である黒羽快斗の部屋。
先ほどの物音は、その部屋から聞こえてきたものだと確信しての行動だった。
今夜は、怪盗キッドの予告日だった。
現場に顔を出さなくなって久しい新一も、怪盗と警察との勝負の行方が気にならない
はずはなく、ニュースでその勝敗を確認していた。
当然のことながら(そう言っては警察が可哀想だが新一にとっては単なる事実でしか
ない)、今夜もいつものごとく怪盗の勝利で終っていた。
それを確認した新一は、その後のキッドの行動を推測し、自分の元へとやって来る時
間を計算していた。
とは言っても、探偵としての新一に怪盗が会いにくる訳ではない。
以前はそんなこともあったが、今はもう違う。
怪盗はここへ、新一のいるこの家へと帰ってくるのだ。
疲れた白い翼を休めるために。
そして、折りたたんだ翼を隠し、本来の姿、黒羽快斗というひとりの男の姿に戻るた
めに。
ところが、新一が予測した時間が経っても怪盗が帰ってくる気配はなく、新一はイラ
つき、不安な気持ちのまま、いつものように彼が帰ってくるのを待ち続けていた。
もしかして・・・という思いが、どんどん大きくなっていく。
新一は、万が一のことを考えて、隣家に住む小さいながらに優秀な科学者である灰原
哀に、自分が連絡をしたらすぐに来てくれるように頼んでいた。
怪盗キッドが犯行現場で勝負する敵は、警察だけではない。
表沙汰になることはないが、そこには、警察よりも恐ろしい敵が潜んでいることが
あった。
恐らくは、今夜の犯行現場にも、そいつらが現れたのに違いない。
新一は、キッドがやつらを上手く、そして無事に躱してくることを心から祈ってい
た。
先ほどの物音は、そんな時に聞こえてきたものだった。
新一は、辿り着いた快斗の部屋の前で一呼吸置くように立ち止まる。
そして、急いで扉を開けた。
真っ暗な部屋の向こう、月明かりが薄く照らすベランダに、蹲るようにして膝をつく
白い姿があった。
新一は走るようにしてベランダへと向かった。
ベランダに出た新一は、夜風に混じる血臭と純白の衣を染める赤に、一瞬眩暈のくる
程の怒りを感じる。
しかし、瞬時にその感情を消し去ると、新一はキッドのもとへと駆け寄った。
「キッドっ」
その声に、キッドは、荒い息をつきながら閉じていた瞳を開け新一の顔を見る。
「し・・んいち・・・悪い・・・大ドジ・・かましちまった・・・」
キッドは、唇の端を歪めるような笑いを見せて言った。
「いーから、おまえは黙ってろよ、立てるか?」
新一は怒ったような乱暴な口調でそう言うと、素早くキッドのマントを外し、肩を支
えるようにして立ち上がるように促した。
キッドは少し頷いてから立ち上がると、先ほどまでの様子が嘘のように、新一の肩を
借りながらもしっかりした足取りで部屋の中へと入っていった。
ベッドの上に、キッドの身体を横たえさせる。
キッドは、最後の力を使い果たしたかのように、ぐったりと力なく身体を伸ばし、荒
い呼吸を繰り返している。顔色の悪さが新一をどんどん不安にさせていた。
新一は、急いで灰原へと連絡をとった。
特に説明をしていなかったにも拘わらず、灰原は完璧に準備を整えて、あっという間
に来てくれた。
服を脱がせ、快斗の姿へと戻してから、新一は灰原へと全てを委ね、側で見守る。
快斗は、怪我を負ったときの状況や自分で施した応急処置についてなど、灰原からの
質問への答えも交えて少しの間話していたが、しばらくして意識を失ってしまった。
「大丈夫よ、少し血が足りないのと、痛み止めが効いてきただけだから」
驚いたように近付いた新一に、灰原が落ち着いた声で言ってくる。
それでも、新一は、不安な顔のまま快斗を見つめ続けた。
キッドの怪我は、左肩と左脇腹の2ヶ所の銃傷だった。
「肩は掠った程度だけど、脇腹の方は少し酷いわ、でも弾は貫通してるし内臓も傷つ
いてないから、しばらく安静にしていれば黒羽くんの体力なら大丈夫よ」
灰原は、新一に快斗の怪我の具合を説明してから、安心させるかのように言った。
「ありがとう灰原、こんな遅くに悪かったな」
「そんなこと気にすることではないわ」
新一の言葉にすぐさま返る灰原の冷静な声は、新一の心を少しだけ落ち着かせてくれ
た。
これで、快斗の身体の心配は半減したという安心感だ。
「黒羽くんの意識が戻ったらこの薬を飲ませてあげて、また何かあったらいつでも呼
んで頂戴、明日また来るわ、・・・・それから工藤くん、あなたもちゃんと寝るの
よ」
そう言い残して、灰原は自宅へと帰っていった。
静かな部屋の中に、快斗の苦しげな息遣いが響く。
新一は、キッドの衣装やベランダの血痕などを手早く片付けてから、眠っている快斗
の顔をじっと見つめていた。
どのくらいそうしていたのか・・・・。
新一は、小さなうめき声と共に快斗の瞳が開かれるのに気付き、はっとしたようにそ
の顔を覗きこんだ。
「快斗」
新一の呼びかけに、快斗の瞳がゆっくりと新一の顔へと向けられる。
「・・・新一、ごめん、心配かけたな」
快斗はゆっくりとした口調でそう言った。
「心配かけたな、じゃねーよ、まだ心配してる真っ最中だぜ、・・・・怪我なんかし
んじゃねぇよ、バカ・・・」
新一はわざとぶっきらぼうな口調で、それでも不安そうな表情は隠せないままでそう
言った。
「ごめん、ホントに・・・新一」
快斗は、そんな新一を辛そうな顔で見上げ、そっと右腕でベッドについている新一の
手に触れた。
新一も、触れてきた快斗の手にもう一方の手を重ね、ぎゅっと握りしめた。
「・・・新一、オレの服は・・・・」
「大丈夫だ、ちゃんと処置した、全部問題ねぇよ、心配すんな」
快斗が当然気にするだろうことを予知していた新一は、きっぱりと言い切った。
その答えに、快斗はホッとしつつも申し訳なさそうな顔をする。
「悪かった、新一、・・・・本当は・・・・・」
快斗は、そこまで言って言葉を切ると、新一から視線を逸らし瞳を半ば伏せるように
した。
そんな快斗を、新一は眼差しを少しきつくして見つめる。
そして、これもまた、快斗が思っているだろうことを察していた新一は、投げつける
ように快斗が切った言葉の続きを言った。
「ここには帰ってくるつもりはなかったって?」
快斗は、新一のその言葉に苦笑めいた微笑みを浮かべる。
「新一は、オレのことはなんでもお見通しだな」
そして快斗は、少し戯けたようにそう言ってきた。
「ふざけるなよ快斗、おまえ、今ここに、こうして帰ってきてなかったらオレが何し
てたか分からねぇぜ、おまえも、おまえの側にいるヤツも、ぜってぇ許さねぇ」
そんな言葉を言った新一を、快斗は目を見開くようにして見つめてきた。
言葉の内容とは裏腹に、新一の表情も口調も静かで落ち着いたものだった。
ただ、瞳だけが、爛々とした炎を宿し激情を物語っている。
「いいか快斗、絶対オレのところへ帰ってこい、どんなことがあっても、どんなにも
うだめだと思っても、絶対にだっ!」
新一の激しい瞳に睨まれるように熱く見つめられ、ぶつけられた言葉に、快斗は身動
きひとつ、呼吸ひとつ出来ずに、ただ新一の顔に見入っていた。
しばらくしてから、快斗は、ふっとひとつ息を吐き出すようにすると、優しい苦笑を
浮かべながら新一の頬へと右手の指を伸ばし、滑らせた。
「すごいな新一・・・・オレ息が止まりそうだったよ、でもね新一、おまえ以外のと
ころにもし行くとしても、誰か別のヤツのところに行く訳じゃない、行くとしてもお
ふくろのとこくらいだぜ」
快斗のからかうような言葉にも、新一は真剣な表情のままで答える。
「それでもだめだ、たとえおまえの母親でも許さない」
新一の答えに、快斗はますます苦笑を深め、更に言葉を続ける。
「でも、もし、オレが怪我がもとで死んだら、おまえ困るだろ?死体にどういい訳つ
けるんだ?」
「・・・地下室にでけぇ冷凍室つくってやる、おまえの死体はそこに保管してやるよ」
新一が淡々と答える。
「そりゃすげぇな、じゃあキッドが死んだことは秘密のままにできるな、快斗は?」
快斗はからかい口調のままできく。
「キッドの生死は誰にも教えない、オレだけの秘密だ、快斗のことはおまえの母親に
言う」
新一の無表情での答えに、快斗は黙る。
「おまえのことは、何もかもオレが全て知っていればいいことだ、他の人間の口から
知るようなことになったらぜってぇ許さねぇ、おまえは全部オレのもんだ、死体に
なったって、オレ・・の・・・っ・・クソッ、なんでこんな話しなきゃなんねーん
だっ」
黙って見つめる快斗の前で、静かに言葉を綴っていた新一が、ふいに言葉を詰まらせ
たかと思うと、耐え切れないというように顔を歪め、吐き捨てるような口調になる。
そして、新一の瞳から、ポロリと一粒の涙が零れ落ちた。
「見んなよっ・・・チクショー・・・」
自分の涙に驚いたような顔をした新一が、悔しげにそう言って、快斗から顔を背けよ
うとする。
快斗は、頬に沿えた手でそれを阻むと、涙を流し続けている新一の目元をそっと拭っ
た。
「ごめん新一、泣かせるつもりはなかった・・・」
快斗の優しい仕草と、辛そうな、そして愛しげな瞳に、新一は更に涙を誘われてしま
う。
「でも、おまえにそこまでの覚悟があるのなら、・・・新一、オレは何があってもお
まえの元に帰るよ、絶対に・・・、約束だ」
快斗は、新一の瞳を剛く見つめ、迷いのない凛とした口調でそう言った。
そして、新一の顔を引き寄せると、もう泣くなというように、目元に口づけた。
「かい・・と」
新一は、ベッドへと乗り上げ、もっとというように快斗へと身体を寄せていく。
「愛してるよ、新一、オレはおまえだけのものだ、たとえ死んでも、永遠に・・・」
快斗の甘く、悲しい囁き声に、新一はいやいやというように首を横に振ると、泣きは
らした瞳で快斗の瞳をキツク睨みつけた。
そして・・・、
「今まで言った言葉は全部嘘にしてもいい、でも絶対死ぬなっ!それだけは絶対に絶
対に許さないっっ!」
そう言って、新一は最後の涙を一粒零した。
「愛してる・・・快斗・・・・」
新一の言葉に、快斗が微笑む。どこか痛いような微笑み・・・。
その顔を見たくなくて、新一は瞳を閉じ、快斗へと口づけていく。
甘く、優しく、深く、切ないくちづけ・・・・。
約束は、たったひとつでいい。
どうか、どうか、逝かないで・・・・。
ずっと側にいて。
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