探偵秘書りゅうの業務日誌
★2★
事務所開設から2ヶ月が過ぎた。
窓の外にそぼ降る雨は、いまもどこかで犯罪の痕跡を洗い流しているのかもしれない。
けれど、K.I.D.オフィスはちょうど面倒な事件が片付いて、いまは特に急ぎの事件もない。
所長と所員と準所員はウェッジウッドのコーヌコピアのティーカップを満たすアッサムと快斗のお手製のブランデーケーキで、ゆったりとしたティータイムを迎えていた。「くど〜♪ 事務所開いたんやってなぁ〜。おめっとさ〜ん!」
のどかなティータイムをぶち壊すけたたましい声とともに姿を現したのは、色黒の関西人だった。
「服部!? ングッ……」
新一は、ちょうど口の中に入れてたケーキを喉に詰まらせた。
「しんいち! 大丈夫?」
すぐさま快斗が駆け寄って新一の背中をトントンと叩いてやる。
その光景をりゅうは、キッチンへミネラルウォーターを取りに行きながら微笑ましく見守っていた。ようやく落ち着いた新一は、ギロリと色黒の関西人を睨みつける。
「ったく、なんなんだよ、テメーは! いきなり現われやがって!」
「つれないやっちゃ……。水臭いやんか〜。俺とくど〜の仲やのに、いままで知らせてもくれへんで……」
手にしていた、ラッピングもされてなければ、熨斗も付いてない剥き出しの一升瓶を「開所祝いや!」と、ドンッとマホガニーのデスクに載せた。
それを横目でチロッと見やると、新一は頭痛がするとばかりに頭を抑える。
「お前なァ〜、仮にも祝いならもうちょっと考えろよ」
「仮やないで。俺の気持ちや!」
「なお悪いだろ!」
結局、それを受け取るでもなく放置したまま、新一は残りのケーキを口の中に放り込んでいった。
その様子を、りゅうは渋い顔で見ていた。
「コンシェルジュは何をしていたのかしら。こんな輩が入り込んでくるなんて……」
そう呟いたりゅうの背後から、か細い声で「スミマセン」と声が掛けられた。
小さくなって頭を下げるのは、すっかり顔馴染となった警視庁の高木刑事だった。
「下で言い合いをしてた彼に、つい声をかけてしまったんです。そうしたら、無理やりついてきてしまって……」
何度もここを訪れている彼は、コンシェルジュを顔パスで通れるようになっている。
どうやらあのけたたましい男は、高木刑事にひっついてここまで来たらしい。
「彼……誰なんです?」
「あぁ、服部平次君です。工藤君とは高校生の頃からの友人で……」
高木刑事の言葉に、当の本人を見れば、親しげに新一に話しかけてはいるものの、新一は嫌そうな顔をしている。
「あれ……、友人に対する態度でしょうか?」
りゅうが聞くと、高木刑事もただ苦笑している。
正直な所、高木刑事も服部には手を焼いていた。
なまじ親が警察高官なので、ヒラ刑事の高木としては強いことを言えないのだ。
そんな、お役所事情もここでは通用しない。
「仕方ないわね……。快斗君とも相談してセキュリティを強化することにしましょう」
せっかくだから、と快斗の好意で高木刑事と服部にも紅茶とケーキが振舞われて、一見のどかなティータイムが戻ってくる。
それぞれが心の中で何を考えているかは、ひとまずは置いておくことにしよう。
「で? 服部はこれだけのためにわざわざ来たのかよ?」
「他にも用事はあるんよ。実はな……」
服部は話したかった本題を切り出した。服部の話によると……。
大阪では名の知れた病院の院長が、最近自分の身のまわりでよく事故が起こる。
一つ一つは大したものではないが、こう頻繁に起こるということは、どうも自分狙われているのではないかと不安になって、服部に身辺警護を依頼してきた、ということだった。
実際、その院長はけっこう悪どいことをしていて、身に覚えはありすぎるほどあるらしい。
その院長が今日、赤坂のホテルで行われる会合のために上京しているので、服部も一緒に来たのだそうだ。「バーロー! それならこんなとこでのんびりケーキ食ってる場合じゃねーだろ!」
「そこでや! 工藤も一緒に行かんかな〜思うて誘いにきたんや♪」
危機感ゼロのニコニコ顔で誘われて、新一はがっくりと項垂れた。
「あのなぁ〜、お前が引き受けた依頼だろ? なんで俺が行かなきゃなんねーんだよ」
「せやかて、工藤がおれば百人力やし、俺と工藤が組んで解決でけへん事件はないやろ? 頼むわ!」
新一の形の良い柳眉がピクリと動く。
「まぁ、今日のところは急ぐ事件もないし、お前からの依頼だったら引き受けてやらないこともねーけど……」
「決まりや! おおきに、恩にきるで! ほな、さっそく行こか!」
服部は勢い良く立ち上がると、ジャケットに袖を通そうとする新一をそのまま引っ張って出て行った。
呆然と取り残された3人の間に、沈黙が流れる。
「……あの、僕もそろそろ戻らないと」
気まずい雰囲気に、高木ものそのそと立ち上がって、紅茶とケーキの礼を言うと静かに出て行った。
「クスクス、新一君が心配?」
不貞腐れた顔で、コーヌコピアを片付けていく快斗をりゅうは面白そうに見ていた。
「ん〜、心配というのとはちょっと違うかな?」
確かに、あの様子では、新一に対し不埒な行動を起こす心配はなさそうだ。
けれど、楽しいティータイムをかき回されて、新一を連れ去られてしまった恨みは残る。
「まぁ、報復は考えてあるわよ?」
りゅうとしても、この自慢のビルに、あのような輩が好き勝手に出入りするのは願いさげだった。
「それに新一君もそのつもりだったようだしね」
「うん、それは俺にもわかった♪」
「あの西の探偵さんはわかってないみたいだけど……」
2人はその後服部がどんな反応を示すか、想像しながらクスクスと笑いあった。
そして数時間後―――。
「それでやな〜、そん男が怪しい動きを見せよったんで、工藤が院長を庇うて、俺がそいつにタックルかましたんや〜。そりゃ、見事な連携プレーやったで〜♪」
K.I.D.オフィスのソファにふんぞり返って、見事事件を解決したと声高々に話す男がいた。
「へぇ〜、それはお手柄だね〜」
「本当に、ヨカッタこと……」
快斗とりゅうはそれぞれキーボードを叩きながら、服部の話を聞き流していた。
それぞれ語尾に(新一のおかげで)、(新一君が無傷で)という言葉を飲み込んでいることは言うまでもない。
なんのことはない。
その男が院長を襲おうとする者だと気付いたのは、新一の観察眼と推理のおかげ。
その男が狡猾な謀略を捨て、無謀とも思える犯行に及んだのは、新一が心理的な揺さぶりをかけて焦らせたおかげ。
誰一人血を流すことなく、院長が大阪へと帰っていったのは、新一の冷静な判断と周囲への配慮が行き届いていたおかげである。
そして事件解決の影の立役者はといえば、犯人である男のナイフによって切り裂かれたシャツを着替えるのを兼ねて、シャワーを浴びているところである。
もちろん、新一の玉の肌にかすり傷一つないことは、快斗の手によって確認済みである。
快斗としては、シャツ一枚であろうと、新一に危害を及ぼしたことを責め立てたい気持ちはあるのだが、いまはあえて黙っていた。「あ〜、サッパリした」
汗と埃を洗い流し、雨降る戸外で冷えた身体を熱いシャワーで暖めた新一は、冷蔵庫からアイスオレンジティーを取り出して自分の椅子へ座る。
本当はキリッと冷えた白ワインあたりがいいのだが、あと10分ほど定時までには時間があるので我慢しているのだ。
「工藤、今日はほんまにおおきにな。ゆっくり語り明かしたいとこやねんけど、明日も予定があるんや」
なんてったって『西の服部』やからなぁ〜、と笑いながら立ち去ろうとする服部を新一は引き止めた。
「なんやねん。名残り惜しいんは俺かて同じ……」
勘違いも甚だしいことをぬかす服部の鼻先に、新一はりゅうが差し出した一枚の紙切れを突き付けた。
「なんやコレ……って、請求書〜!? 大親友の俺から金取る言うんかいなッ! しかも、なんやこの金額!? 8万7850円って、ぼったくりやでぇ?」
「バーロ! 俺は探偵、ここは探偵事務所。依頼なんだから、金貰うのは当然だろ?」
「い、い、い、依頼って……?」
「あれ? 俺、ちゃんと聞いたぜ? 『お前からの依頼なら、引き受けてやらないこともない』って。それにその金額、別に吹っかけたりしてねーから。むしろ、オトモダチ価格で『勉強』してあるし。あ、これ明細書な。まぁ、手持ちがないってなら、振込でもいいし。あ、入金がなければ、本部長殿に内容証明で請求書回しとくから」
黒い顔を忙しなく赤くしたり青くしたりしながら、服部は2枚の紙を呆然と見比べ、フラフラと立ち去っていった。
「これで、当分静かになるだろ」
「けど、服部って学習機能ついてないから、3ヶ月ぐらいしたらまた来るんじゃない?」
「そんときゃ、そんときだろ。お! 本日の業務終了! ワイン飲もうぜ!」
所長自ら立ち上がって、冷蔵庫からワインとグラスを取り出す。
快斗も笑って、こうなることを見込んで新一が出掛けている間に作っておいたツマミを兼会議用のテーブルに並べていく。
りゅうは、打ち終えた業務日誌を保存すると、パソコンの電源を落とした。
服部は高校生の時となんら変わらずに『探偵』を名乗っている。
浮気調査や迷い犬探しなんぞやってられるかい!という理由で、事務所も構えずに。
世間ではそれをプータローと呼ぶということに、服部は気付いていなかった。
話はずれるが、新一は事務所を構えた時に、全国の顔見知りの警察官僚―――特に警視庁と大阪府警―――には、仁義を通してご挨拶状を出してあるから、大阪府警本部長である服部の父親も当然、新一が事務所を構えたことを知っていた。
実を言えばその時に、服部平蔵氏より丁重な激励の返信を貰い、いつか機会があったら腑甲斐ない息子にキツイ灸を据えてやって欲しいとも依頼されていたのだった。
しかも、依頼料がわりにと、大阪府警管内での探偵活動を認められて―――。
さらに後日、新一が命を救った院長からは、謝礼金として高額の小切手が送られてきた。
おまけに、「あの名探偵・工藤新一に命を救ってもらった」と院長はことあるごとに吹聴してまわったため、K.I.D.オフィスへの依頼は増える一方。
こうして、名探偵・工藤新一と『K.I.D.オフィス』の名は、更に高まっていくのだった。
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