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始動!K.I.D.オフィス
様々なビルが建ち並ぶ街。
その中でも極めて美しい外観を持つビルの最上階に設けられたペントハウスを新一は快斗と志保と共に訪れていた。
奥のキッチンでは、この部屋の主が自分達のためにお茶の用意をしている。
ことの起こりは1週間前のことだった。
阿笠博士が不在のため、「一人で食べる食事は味気ないから」と隣家の宮野志保を快斗が夕食に誘った。
3人がバカ話に興じながら夕食を終え、食後のコーヒーとデザートを食べている時だった。
「探偵事務所を開こうと思うんだ」
新一が唐突に切り出した。
「ぐっ!」
快斗がむせ返ったか、胸をドンドンと叩いている。
「はい、お水」
志保が気をきかせてコップを差し出すと、快斗は一気にそれを飲み干した。
「サンキュ♪志保ちゃん」
「そんなに驚くようなことかよ」
新一はちょっとふて腐れた顔をして、快斗を睨んだ。
「だって新一、俺になんにも言ってくれなかったじゃない」
「だから、いま言ってるだろ?」
このまま放っておくと痴話喧嘩に発展しそうな様子に、志保はそうそうに話題を引き戻した。
「で?専門は?やっぱり殺人?」
「まぁな。だけど、そうそう殺人の依頼なんてこないだろう?」
「だよねぇ〜、警察からの依頼だけしかないだろしぃ〜」
快斗はすっかり拗ねてしまい、気の抜けたをしている。
「せいぜい浮気調査でもして、小金を稼ぐのね」
「それはやだ!」
「それで採算が取れるのかしら?」
「ぐっ…」
志保のからかいに子供のような返事をする新一に呆れ、志保はさらに追い討ちをかけた。
「ところで、事務所は決まったの?」
「それはまだ」
「事務処理とかは?蘭さんに頼むの?」
「蘭はダメ」
快斗にとって新一の答えは意外だった。
蘭はずっと働かない父親の事務所をなんとか切り盛りしてきたし、新一にとっても気兼ねのない相手だ。
快斗は拗ねていたことも忘れて、問い返した。
「へ?どうして?彼女なら慣れてるのに」
「毛利探偵事務所が成り立たなくなるだろ?それに…あいつはまっすぐすぎるから」
「どういう意味?」
「少々やばい依頼とか、危険なのとか断っちまうだろ?」
「やばめの…って探偵がそれでいいわけ?」
「いいんじゃねぇ?別に俺、警察じゃねぇし。
俺は難事件とか、訳わかんねぇような謎とかそういうのだけやりたいんだよ」
新一の答えに呆れつつ、志保は大きな溜息をついた。
「わがままねぇ。そんなにしょっちゅう難事件なんか起こらないわよ」
「だから日本だけじゃなく世界をフィールドにするんだよ」
「ならなおさら事務仕事どうすんのさ。新一そういうの苦手っていうかキライだろ?
その上海外まで出るとなると語学力も必要だし、不在だって多くなるだろ?」
「ん〜、誰かいねぇ?事務仕事とか経理とか得意で、最低英語とフランス語の読み書きが出来て、
謎とか暗号とか好きで、俺の好みわかってくれそうな奴」
「そんな奴いるわけねぇじゃん」
「だよなぁ〜」
「いるわよ」
お手上げだ、とばかりにソファに身を投げ出した快斗と新一に、あっさりと志保は爆弾を落とした。
「え?」
「しかも給料ナシどころか、うまくいけばスポンサーになってくれそうな極上のが」
「だ、誰?すぐに紹介してくれ!」
「まさか志保ちゃんとか言わないよね?」
「私、事務仕事好きそうに見える?」
「全然!志保ちゃんてば研究バカだもんね」
「黒羽君、実験台になりたいらしいわね」
「…謹んでご辞退させていただきます」
冷ややかな視線を投げる志保をこれ以上機嫌を損ねては大変とばかりに、快斗は丁重に頭をさげた。
「快斗、少し黙ってろ!で、誰なんだよ。その極上の人ってのは。志保の知り合い?」
「いいえ、姉の親友だった人なのよ。私や姉が組織に属していたことも知ってるわ」
「…何してる人なんだ?」
「さぁ?私も最近のことは知らないから…。話はしておくから、あとは実際にあってからね」
「お待たせ」
女主人が本格的なアフタヌーンティーのセットをテーブルの上に並べられた。
「どうぞ。いただきながらお話しましょう?」
「はい。いただきます」
3人は少し遠慮気味にティーカップへと手をのばした。
「志保ちゃんから話は聞いてるわ。私が提供できる物は事務所と人材と資金ってとこかしらね」
「人材ってのは、あなたのことですよね」
「えぇ、不満かしら?」
「いま、仕事とかしてないんですか?」
「そうねぇ、してると言えばしてるし、してないと言えばしてないわね」
「どういう意味です?」
「毎日、会社へ行かなきゃならないようなことはしてないの」
「どんな仕事されてるんです?」
「私、このビルのオーナーなのよ。だからテナント料が入ってくるし、地下のカジノと3Fのティーサロンは
共同経営なのよ。そっちの収益もあるってわけ」
「だから、外で働かなくてもいいんですね」
「えぇ、毎日ヒマだからね。開いた時間に超古代史の研究したり、モノ書きしたりしてるのよ」
「ちょーこだいし?」
「そう、面白いのよ。暗号解いてるみたいで」
「暗号?」
「そう。元々は推理小説とか読むのが好きだったのよ。謎とか不思議とか追っかけてる内に、
なぜかそういう方面へはまってっちゃったのよね。興味があるなら教えてあげるわよ」
「ぜひ!」
「じゃあ、そのうちにゆっくりとね。時間はたっぷりあるだろうから」
「それって…」
「合格ってことですね?」
「ええ。事務所はここの7Fに用意するわ。家具とかも勝手に選んでいいかしら?」
「おまかせします」
「じゃあ、1週間後には使えるようにしておくわ」
1週間後、再びビルを訪れて新一も快斗も唖然とした。
7Fに用意されたのは、居住用に作られてる間取りを無理なく改装した事務所だった。
そこに用意された最高級のマホガニーのデスク、柔らかい皮張りの応接セットと大理石のテーブル。
事務用と思われるデスクも、スチール製のものではなく、オーク材を使った上品なものだった。
壁面に作り付けになってるキャビネも同じオーク材の扉がついている。
床には上品な色合いのカーペットが敷き詰められている。
「どう?お気に召した?」
「これって…、いったい幾らかかってるんです?」
「心配しないで、請求するつもりはないから」
「にしても…」
お金には苦労していないが、余りにゴージャスな事務所に新一は戸惑っていた。
「何ごとでもハッタリが必要なこともあるわよ。特にあなたが相手にしようとしてる企業のトップにはね」
「ど、どうして…?」
「さぁ奥も見ていただきたいわ」
新一は答えを貰えぬまま、奥へと案内された。
元はダイニングキッチンと思われる部屋には、10人がゆうに座れるダイニングテーブルがある。
「ここは打ち合わせ用ね。資料とか広げるには応接セットより、こういう広いテーブルの方が便利でしょ?
と言っても、キッチンにはティーセットも用意してあるし、簡単な食事ぐらいなら作れるわよ」
時間が不規則な探偵の仕事には欠かせないポイントであった。
さらに奥に2つの部屋があった。
「一つは倉庫ね。最初は何もないでしょうけど、資料とか整理しておく場所が必要だわ」
「もう一つは?」
「プライベートっていうのかしら。仮眠したり、着替えをしたりね。第一印象って重要でしょ。
シャワールームもあるのよ。簡易ベッドも用意したわ。あ、でもここでのセックスは禁止よ、お二人さん」
にっこりと笑いかけられて、新一は蒼白になったあと、全身を真っ赤に染めて俯いた。
一方、快斗はあっけらかんとしていた。
「志保ちゃんに聞いたんですか?」
「いいえ。なんとなくだけど、わかっちゃうのよねぇ。そういう仕事してるからかしら?」
「仕事って?」
「あら?言ってなかった?半分趣味でやおい小説書いてるのよ」
「………聞いてません」
冷ややかに、かつ楽し気に笑う志保の顔が頭に浮かんだ。
(あいつ…、このこと知ってて、わざと黙ってたな…)
快斗と新一は内心で、今日はいない志保のことを毒づいた。
事務所内を一通り見て回り、ダイニングのテーブルについた。
「どう?気に入っていただけたかしら?」
「えぇ、十分すぎるくらいです」
「じゃあ、ビジネスの話を片付けちゃいましょう」
税務上の問題があるからということで、形ばかりのテナント料を決め、
給料に関しても一先ずは歩合ということになった。
「え〜と、これからなんと呼ばせていただけばいいでしょうか?」
「りゅうでいいわよ。私も普段は新一君でいいかしら?もちろん依頼人の前では所長と呼ばせてもらうけど」
「はい。快斗は?」
「ん、俺も快斗って呼んで下さい」
「ありがとう。で、コンシェルジュにプレートを出したいんだけど、事務所の名前は決まってるのかしら?」
「はい。工藤国際探偵事務所。英語表記では、Kudo International Detective Office。
略して……《K.I.D.オフィス》」
「し…んい…ち…」
快斗が目を大きく見開いて新一を見つめていた。
「ふ〜ん、つまりここは快斗君のための事務所なのね」
「え?」
「それもわかっちゃうんですか?」
今度慌てたのは快斗の方だった。
「いいえ、これは志保ちゃんからよ。ということは怪盗キッドに関する依頼は引き受けないのかしら?」
「いえ、引き受けて下さってかまいません。快斗のことはいずれお話するつもりでしたから」
新一はきっぱりと言い切った。
キッドの仕事には、新一が口を挟むことはない。
いまでも予告状の暗号を解き、逃走経路で待ち構えるというのは変わっていない。
ただ、キッドを逮捕する気がないだけだ。
それに、事務所を切り盛りしてもらうのだから、りゅうには知っていて貰う方が都合はいいのだ。
依頼があれば大っぴらに現場に出入りできるし、万一の場合のバックアップを頼むことができる。
「わかったわ。それでメンバーは4人ってこと?」
「基本的には僕とりゅうさんの二人ですね。快斗と志保は準メンバーってことで」
「なんで?」
と聞いたのは快斗だった。
「志保は研究室に籠る方が好きだろ?必要な時に手を貸してもらえればいいさ」
「俺は?」
不服だと言わんばかりに快斗は新一に詰め寄った。
「快斗はマジシャンとしての仕事もあるから。それにキッドの依頼の時だけ参加しないのはおかしいだろ?」
「しんいち…」
快斗は、いまにも泣き出しそうなぐらい嬉しかった。
ここが工藤邸で、りゅうがいなかったら、間違いなくすぐさま押し倒していただろう。
「さて、細かいことはこれからそのつど相談していくことにして、お祝しましょう」
りゅうは冷蔵庫を開け、モエ・シャンドンのボトルを取り出した。
工藤邸に戻ってきた新一は、靴を脱ぐ間もなく後ろから快斗に抱き締められた。
「ん?快斗、酔ったのか?」
「新一、愛してる」
「………酔ったんだな」
「うん、新一に酔ってるかも」
思いっきり気障な台詞を耳許で囁かれ、新一は身の危険を感じた。
「バ、バーロ!何ふざけてんだよ」
「ふざけてなんかいないよ。ホントに俺、新一の恋人になれてよかったって思ってるんだから」
「なんだよ…急に…」
「だって、めちゃめちゃ嬉しかったんだよ。事務所の名前も、依頼のことも…」
「お前のためじゃねぇよ」
確かに快斗を喜こばせようとしてつけた名前でも、言ったことでもなかった。
ただ、自分がそうしたかっただけなのである。
快斗もそれはわかっていたが、その新一の気持ちこそが快斗にはなにより嬉しかったのだ。
快斗はさらに強く新一を抱き締めると、ゆっくりと新一の顎に手を添え、自分の方へと顔を向けさせた。
「かい…と…」
アルコールの力も手伝って、より紅く染まった新一の唇がわずかに開かれると、
貪るように激しくその唇を吸った。
蕩けるようにうつろになった新一の瞳を捕らえると、快斗はもう一度触れるような口付けをした。
「新一、ありがとう。愛してる」
「快斗…」
「だから…ね?しよ…」
ゲシッ。
「いってぇ〜〜〜〜〜〜〜!」
「ったく、おめぇってヤツは!」
「いいじゃん!好きなんだから!」
「うるせ〜!シャワーでも浴びて頭冷やしてこい!」
左足をさすっている快斗を置いて、新一は二階の自室へと入っていった。
「油断するとバ快斗はどこででもだからな…。ったく、玄関なんかでできるか!」
即行でシャワーを浴びてくるであろう快斗を、ドアの影で待ちながら、新一はそう呟いた。
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